日本社会は歴史的に一神教的な風土ではなかったししたがって、絶対神というもなを本質的に理解できない。(略)なにか自分を許容する、自分の不節操を許容してきたのではないか、と思うんです。続く
続き 加賀の前田家は、関ヶ原前夜に徳川に協力して、徳川体制の成立につくすわけですね。秀吉から、秀頼を頼む頼むと言われた前田家にしてそういう行動をとる。(略)結局、徳川を助けて豊臣を潰し、前田家も生き残る。続く
続き そこで多少の自責と悲しみがあって、城内にひそかに太閤さんを祀るわけです。祀れば、済む。そういう藩が割合多かった。神は東照権現である徳川家康だけでなく、ちょっとはやらなくなったが、かつての主権者秀吉を、豊国大明神として領内にこっそり祀っている。続く
続き こういう八百万の神々が、ごちゃごちゃになってある。だから一神教的なくっきりした姿を要求されると日本人はちょっとかわいそうです。ハッキリしろと言われてもどうもそうはいかない 『手掘り日本史』司馬遼太郎著より
日本的正義
(略)日本人はどうも社会を壊してしまうことはいけないことだ(略)そして社会を組み上げていくことが正義だと思っているらしい。一つの社会が壊れたら、すぐ新しい社会を組み上げるというところがある。続く
続き 新しい社会ができると、立場立場で非常に不満ではあるけれども、作ることに正義を感じて妥協してしまう。福島正則も加藤清正も豊臣家への不忠の臣として語られません。徳川体制をつくる上での有力な協力者だったという”正義”の上で彼らのモラルは浄化されます。続く
続き (略)日本人の心の二重構造性を考えないと、歴史は見えにくいのではないでしょうか
『手掘り日本史』司馬遼太郎著より
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