鎌田實さんは、医者。
『あきらめない』『がんばらない』とは、彼が勤める病院などでであった患者さんのなくなっていく過程での出会いや思いを描いたもの
医療とか、、何より手術とか血とか大の苦手な私にとって
読んでるだけで、頭痛がしてくる生生しい部分もあって、、なかなか読み進まないのだけど
週刊誌の仕事で、藤原新也という高名な写真家と対談をしたというときのお話
彼の代表作は『メメントモリ』って写真集。人間の死体を喰う犬の写真に「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」とのキャプションで有名に
P84
ぼくは聞いた。
「孤独な老人が死の準備に入ったとき、家族のように看取ってあげたいと思ってきました。孤独死を少しでも地域で減らしたい、と考えてきまいた。でも、藤原さんがインドで撮影された写真を拝見して、孤独死を受け入れ、穏やかな気持ちで、一人だけで死を待つ人々がいることを知りました。日本と何が違うのでしょう」
「信仰だと思います。ぼくは二十四歳のとき初めてインドに行って、負け続けた。自分の価値観が見事に壊されていったわけですが、ある日、瀕死の人が道端に横たわっていた。栄養失調だというのでミルクを流し込んだら、咳き込んで痙攣をして仮死状態になった。ミルクで人を殺しちゃったと、トラウマになっていたんだけど、後日、ガンジスの川辺にたどり着いたら、人を焼いていた。彼もこんな風に焼かれたのかと見つめていたら、灰と骨を川に流して箒で掃くんです。それを見ていたら何か気が楽になっちゃって、それから何ヶ月も火葬場に通って、そのうち無常観のようなものが、自分の中に植わっていくのを感じたんです」
ぼくは耳になっていた。ひとりぼっちで死んでいくことを、恐れなくていいのかもしれない。
対談が終わった頃、彼が静かにしゃべり始めた。
「母親が病院で死んでいく直前、メバルが入っているからお食べと、冷蔵庫の中のことをしきりに気にしている。人間って不思議ですね」
ぼくたち医師は、死を特別のものと考えてきたが、案外こんなもんかなあと思った。日常の暮らしのなかに、死が溶け込んでいる安定感は、なんとも味わいが深いような気がした。「死を生きる」という哲学的な言葉の意味が少し胸に落ちた。
―『あきらめない』 鎌田實著 集英社文庫より
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世界の中心で愛を叫ぶとか、、、死を特別にした感じのドラマに感情移入が出来なくて、
でも、戦艦大和とか、戦争の中で死んでいく話は魂を揺さぶられると言うか
なんなんだろうな
「死」とは、「生きる」とは何なんだろうね
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