保証書の期限すぎればそののちは壊れてもよい電気製品

この電車は三宮まで停まりません。パニックとなりし各駅停車 (ああびっくりしたぁ所収)

記憶

2021年03月09日 | 日記
記憶というものは正しかったり間違っていたりするから面白い。
よく夢に見た景色があった。駅に沿って川が流れ川の向こうは深い山々である。
駅、川、山の順に並んでいる。人はいない。
山あいの静かな駅を私は少しばかり上空から眺めている。
忘れたころにふと思い出すように見る夢の情景は
空想や想像上の物ではない現実の風景だった。

高三の夏休み、友人と信州白馬の学生村に出かけた。
あちこちからやって来た高校生や浪人生と民宿で過ごした。
全部で10人ほどの共同生活は飛び切り楽しかった。
朝昼晩、玄関横の6畳間でそろって食事をし、おやつのあとは庭で卓球をした。
受験生だけで過ごしているうち女子大生が三人東京からやってきた。

民宿みせはますます楽しくなった。僕ら受験生は君たちと呼ばれた。
ゼミ旅行と言ってたがそのゼミがよくわからなかった。ゼミナールなのだろう。
語の雰囲気から、ゼミと言うからには三人で部屋にこもり
難しい課題に集中するのだろうと思っていた。
しかし集中どころか三人は毎日あちこちへ出かけていく。要はただの旅行だった。
毎朝、今日は日本海に泳ぎに行くのよなどと予定を聞かされた。
そうしてどこにも予定のないぼくらは夜に報告を聞かされる。
それも嫌なものではなかった。

そのうち彼女らの知り合いである早大生が二人やってきて毎晩飲むようになった。
そうして民宿は次第にぐじゃぐじゃになっていき、
私は女子大生のリーダー格と不覚にも突然恋に落ちてしまった。
片思いではない。また最初から好意をもっていたのでもない。
それは落とし穴にはまった感覚だった。

友人は「ここは遊びの誘惑が多すぎて勉強できない。すまんが先に帰る」と言って、
予定を早め蒸し暑い大阪へ帰っていった。
私は長く滞在したくなり母に仕送りを頼んだ。
ここは涼しくて勉強がはかどると電話した。
母は快諾してくれ夏休み最後の日まで滞在できるようになった。

彼女らは予定通り帰っていったが、あの人は数日後また一人で戻ってきた。
好きなレコードをいっぱい携えていた。彼女の部屋にはステレオとオルガンがあった。
壁にもたれて並んで座りナンシー・ウイルソンが歌うザ・ロング・アンド・ワインディング・ロードを聴き私はプロコル・ハルムの青い影を弾いた。
毎日ロマンティックな想いで過ごしていたが別れの日はやってきた。

その日、僕らは南小谷始発の急行に乗り込んだ。
みなみこたにと思っていたがみなみおたりと誰かに教えてもらった。
ここは白馬より日本海よりの駅だった。
車で来ていた早稲田の大学生が始発の南小谷まで送ってやろうと言ってくれたのだった。
白馬では多くの人が乗り込む。改札にはチェーンがかけられ、
長い行列ができる。早く並ばないと座れない恐れがあったのか。

寂しい朝だった。今日でもうこの人と会えない。
ぼくらは川に沿って走るローレルの後部座席でおとなしく座っていた。
すると早大生は場を明るくしたかったのだろうか突然私に、
大阪ではおまんこはどういうのかと尋ねてきた。

南小谷は人一人いない寂しい駅だった。
プラットフォームの遠くに花壇があった。
花が咲いてる、見に行こうよと彼女が言った。
この人は寂しそうにしていない。僕と別れても平気なのか。
そう思うと寂しさはさらに増した。

列車に乗り込んでもあの人は元気にしていた。
やがて急行アルプスは塩尻に着き私は名古屋行きのしなのに乗り換えた。
時刻表を見ると彼女の新宿到着は私の名古屋到着より数分早いだけだった。
だから私はしなのが名古屋に着いたとき
あの人は今頃新宿で乗り換えているのだろうなと知らない駅のことを想像した。

それから私は度々、駅、川、山が並ぶ夢を見るようになった。
年に一度か数年に一度なのか、とにかくこの光景の夢を見た。

それから30年近く経ち松本へ行く機会があった。
私は南小谷まで足を伸ばした。物の配置は夢のようになっているだろうか。
私の夢は確かか。

夢の中では手前にプラットフォームがありその向こうに川が流れ川の向こうは山だ。
ところが行ってみると順が違った。
改札の前を大きな川が流れていた。川と駅の順が入れ替わっている。
自分の記憶は実にいい加減なものだと思った。

しかしこれだけしつこく夢に見る光景をどんな加減で間違えたのか。どこで。
それもおかしいという思いも残っていた。あの夢は自分が見た風景に違いない。

どういう訳か夢は見なくなった。どちらかの夢が出てきても面白いのだが見ない。

それからさらに過ぎた。
ユーチューブで千葉発南小谷行き特急あずさからの風景を見ていた。
大糸線に乗り入れるあずさは千葉発のようだ。

動画は左側車窓を映していた。大糸線は北アルプスが連続する左側の眺めが素晴らしい。
あずさが南小谷に到着した時、カメラが先頭車あたりにあることがわかった。
画像は改札を過ぎずっと先まで行って止まった。
その時の風景に呆然とした。何度みたかわからない景色が映っている。
プラットフォームのすぐ向こうを姫川が流れその川の向こうもまた山なのである。
ああ山はこっちにもあったのか。考えれば当たり前だ。
ああやはり夢は本当だったのか。

あの時ここまで足を伸ばせばよかった。
改札を出ただけで、8分後に折り返しする同じ電車にあっさり乗り込んでしまった。
プラットフォームの先まで歩いていれば。感慨深かったであろう。

モニターに映る最後の画が消えないように動画を停止させた。
この辺りに花壇があり、その花々を寂しく見つめていたのだろうかと思った。
この時の寂しい心持ちが風景と共に脳裏に貼りついていたのだろう。
強い感情はこうして夢になり記憶をとどめさせようとするのかもしれない。

あの日塩尻で降りた私は階段に向かわず彼女のいる窓まで歩いた。
もう一度顔を見、声をかけ、列車が消えるまで見送ろうと思った。
そうするとそれまでずっと快活だったあの人は
目から涙を落としながら私を見上げてきたのだった。

集団免疫という気持ち悪い言葉があるが

2021年03月04日 | 日記
集団はおかしいな。集団とは集まりやろ。なにかの目的で集まっている。暴走族とか。
免疫の集団なんてない。どれほどすすんでいるかだけ。
定義があいまいやね、60%になれれば収まるとか言う。なんでや。
数字もはっきりしない。こんな言葉を使う奴が本来馬鹿やろう。
それより私が下に示したように数学的に理解したほうがよろしいね。
誰にもようわかりましょ。

ワクチンの効果は接種した人だけのメリットでない

2021年03月04日 | 日記
たとえばワクチンにより半数の人がコロナにかからなくなったとしよう。
このときの効果はワクチンをした人だけに限られると思われるがそうではない。
しない人にも大きな恩恵がある。
ワクチンをしていない人からしても接する人の半数はコロナを移さないのやね。
安全性は倍になる。
感染者からすると半数の人には移せない。
実効再生産数は半分になる。そうして1を切ればコロナは収束にむかう。
ワクチン率が2割なら係数は8がけやね。

緊急事態宣言により東京の増大係数は0.8になってたが

2021年03月04日 | 日記
最近は下げ止まり。増えだした。これは変異株による増大かもしれない。
私はほかに思い浮かばない。この前提で書く。
たとえば全体の係数0.8がこの変異株効果で1.3倍になると
係数は1.04に引き上げられる。

仮に1.3としたが実際にこんな程度やろう。東京では係数は1強である。
下げ止まって増大傾向や。しかしこの数値1.04では変異株はまだ一部の状態やね。
全部が変異株になるとどうか。感染力は1.7倍。
よって元の係数0.8は1.36になると考えておかないといけない。

こうなれば規制中でも以前のような急増大が起こる。
もしそうならなければ下げ止まりは他の要因。

下げ止まりが変異株によるとすればこの先また倍倍ゲームになる。
抜本的な対策が必要。商店、学校、会社の休業。
いずれにしろこれをするのが結局効果的。早く収められる。
小池さんの危機感は適切。