悠久の美と神秘の世界へようこそ。
ある程度知識が詰まってきたので、ブログ開設しました。
これまでの知見をまとめていく。誰かの暇潰しになるのもいいし、脳内を整理するためにも綴っていきたい。
私が主に勉強している占術は算命学というもの。
元々占い嫌いであった私が、なぜここまで信仰心の厚い人間になったのだろう。
それはきっと、占いを特別な能力、未来を当てる何か霊力的なものとしか捉えていなかった私が、ある答えに辿り着いたからだ。
ある答えとは、、
東洋占術の世界に一度沈潜してしまうと、深過ぎてそこが見えないことに気付く。自己の内側のずっと奥まで問い続けてしまうのだ。
“自分とは、何者なんだ。“
“なぜここにいる?“ “なぜあの人は死んだの?“
そのまるで解決のできない究極の問いに、答えが見えてくるのだ。
古代の東洋人のものの見方は文字に置き換えることがとても難しい感覚の世界だと思う。
自然も私たちも、全てが繋がっていて、いづれ一つに集約するという考え方といったところか。
東洋占術とは、そのような思想に基づいて発展してきた一種の学問なのだと思う。
しかしこういった占術には根拠があるにも関わらず、迷信、宗教とカテゴライズされやすい。確かに根拠があまりにも現実離れしていたり、理解しづらい表現であったりすることが多い。抽象的すぎるというのか。
独学3年目であるのにも関わらず、まだ根拠に数ミリしか辿り付けていないのだから、ましてや凡人が根拠がないと言い張ったところで説得力に欠けるのだ。この悠久の時を経て受け継がれた奥義の根拠に辿り着ける者など到底いないに等しい。
何十年と学んでいるお方でさえ、全てを知った気ではおらず、謙虚な気持ちを忘れずにいる。相当な訓練を積んだ者のみぞ知る“根拠“とは
もはや“言語“や“図“などで表現などできる訳がなく、悟りのような一種の極地にいる“感覚“なのだろう。
たかが人間が、全てを知れる訳がない。
東洋占術とは、人含め万物を深掘りしていく為のいわば自己分析なのだ。
教育では教わることのない、己の道、宿命。
自身の本当の気持ち、行くべき道。
解決できる保証はないが、解決できない問題に直面し絶望している人々の心の在処になること出来るはず。
このブログは現実の厳しさに何度も心折れながらも
精神の世界に心の在処を求め、もがき苦しみそれでも追求し続けた私の想念の結晶になるはずだ。
生きている中ではきっと全てを理解し得ない根拠をブログを使って解剖、紐解いていきたいと思うのだ。
大事なことは、考え続ける事だ。
答えのない問いに、クタクタになるまで誤魔化す事なく考え続けること。
山蔭灯
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