東洋占術の世界観

心が空っぽになってしまった誰かが、ここに心を置くことが出来たなら
それ以上に嬉しいことなどない。

【東洋占術の世界】まえがき

2023-05-21 00:23:05 | 日記

【東洋占術の世界】

まえがき

東洋占術を知るにあたり、心得がある。

それとは、現代人的な思考は一切なくしたほうがいいということだ。つまり古代人的な思考で物事を考えるということ。

そもそも、古代人のものの考え方とは何か?それは次で説明する「類化性能」的思考に隠されている。

①東洋占術の心得

折口信夫氏は、「別化性能」と「類化性能」という言葉を提唱した。

「別化性能」とは、とある事物XとYの違いを見出していく思考法で、例えるなら「動物」と「人間」は違うといったところか。

対して「類化性能」とは全く関係性のないAとBに共通点を見出していく思考法である。先程の「動物」と「人間」も一見異なって見えても同じ生き物であり同じ自然の一部であるといった考え方だ。

レオナルドダヴィンチは、川の流れと人間の血液の流れに類似性を見出し解剖学を発展させたようだ。まさに類化性能的思考である。

しかしその意識は近代化につれて薄れていく。

「粗い石」という中世の修道院造りについて詳しく書かれた本を読んだ事があるが、中世時代の建築は全て他でもない修道士が行っていたというのだ。組織の発足からデザイン、設計、建築まで一通り修道士が行ったというのだから、すごい。しかし近代化するにつれ分業化されていき、「企画」「設計」「デザイン」「建築」と分かれていくのである。

音楽史の面でもそれは通用する。昔、歌と踊りは一緒だったのだ。日本音楽も田楽や猿楽などを起源としており、神々に奉納するためのものであったはずだ。音楽=感情というのは科学的に証明されていて、感情の昂りを体や声を使って表現するものが音楽であった。

しかし時が経つにつれ、踊りは舞踏になり、歌は音楽となり、詩は文学となっていく。

こうして考えると、いかに古代は混沌としていたかが分かる。秩序と混沌、まさに秩序=近代 混沌=古代である。

そうして分かれたはずの全ては一つに集約し、回帰していくのだろう。

この「類化性能」こそ最も大事な思考法であり、古代人の知恵の結晶である占術を知るにあたりかなり重要なのだ。

折口信夫氏の本は日本の土俗的文化の源流をしれるのでお勧めです。

 



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