義父は私を嫌っていた。
ことあるごとに嫌味や小言「施設へ帰れ」と私に笑いながら言ってきた。
私は何年経ってもお父さんとは呼べずおじちゃんと呼んでいた。こんな人が父だって認めたくなかった。
義父は温泉が趣味で毎週母と山奥の温泉に行く。
だけど私はいつも着いてこなくていいと置いていかれた。
母もなにも言わなかった。
あたしはいつも暗くなるまでお腹をすかして待っていた。
当時まだ小学生二年の私を平気で一日中放置していったんだな、と大きくなってみて子どもを産んでみて思った。
今子どもたち上は三年だけど一日中お留守番なんてさせたことないし、心配でできない( ´~`)
話は戻ってこの義父は❌2の子どもは既に前妻に四人いた。
ヤクザが周りについていて、かなり暴力的で気に入らない事があると大きな音を立てたり怒鳴り散らす。
(その影響か私は男の人の声を荒げた声や大きな物音がいまだにすごく怖い)
土建の仕事をしていて、収入がかなり良かった。
だけどすごく単純で人に騙されやすく、戦後間もない生まれのせいか読み書き、計算があまりできない人だった。
そんな義父だけど学校は行くのが当たり前だと思っていたので(←当たり前だけどね🤣)母は私を学校へ行かせてない事を黙っていた。
だけど仕事柄雨が降ると突然帰ってきたりした。
そうするとあたしは毎回埃っぽい、かび臭い押し入れの中だ。トイレに行くことも我慢させられる。
義父が押し入れ付近にいるときは咳をするのも許されない。
そんな日が続いたけど、ある日ばれた。
午前中に帰ってきた義父と迎えに来た先生が鉢合わせ。出ていかざるおえない状況になった。
先生が帰り義父が「なんで○○を学校行かないだぁ!みっともない!」と怒鳴り散らした。
けど母はケロッと「○○が行きたくないって勝手に行かないんだよ、私は行きなさいっていったのに」
もちろん義父の矛先は私に代わりみっともない!と怒鳴り散らし蹴られた。
母はあとから私に言った「先生がタイミング悪く来るから悪いんだよ」と。
この人はいつも人のせいにして逃げる。私に全て押し付けて。
けど母は私を学校に行かせなかった。行かせても保健室登校で一時間ほど。
そしてまた義父に見つかった。今度は私が午前中帰ってきた義父と鉢合わせ。
もちろん怒鳴られ蹴られた🤣
そして母は「見つかったあんたが悪い!」
と蹴られた私の心配などせず更に罵った。
義父の話と題にしたけど変わってしまった。
結局あたしが一番憎んでるのは母だってことかな
義父はなんとなく母よりはまともな考えてを持った人間だったのかもしれない。(学校面では)
母は今思い出しても狂ってると思う。
あたしを奴隷かなんかとしかきっと思ってなかったんだと思う。
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