長崎に投下された原爆の当初の目標地は国内最大級の兵器工場「小倉造兵廠」がある
小倉でしたが、小倉は厚い雲に覆われていたため、急遽長崎に変更したと言われています。
造兵廠があった場所の一部は公園となり、その広場に「平和祈念像」が設置されています。
像の横には長崎市から贈られた「長崎の鐘」のレプリカが飾られています。
実物は市役所内にあります。
現在周囲の芝生工事で立ち入り禁止となっており、写真は遠くから
写さざるを得ませんでしたが、普段は千羽鶴や花の絶えることはありません。
明日はここで、式典が行われると思います。
祈念像の近くに新しく「平和のまちミュージアム」が出来ております。
戦争の悲惨さや平和の大切さ、命の尊さを考えるため、
戦時下の市民の暮らしや戦後復興を果たした〝まち〟の姿が展示されています。
私は終戦時小学一年生でしたので、戦争を実際に知っている
最後の世代になりつつあります。
戦中、戦後の物資不足を体験しており、良く育ち、長く生きたものだと
親に感謝している次第です。
戦後の小倉の街では若い日本女性を連れた進駐軍の兵隊を多く見かけました。
駅の待合室は二つに分けられ、進駐軍用の部屋には白いカバーが
かけられたソファー、日本人が使う部屋はただの木犀ベンチだったことを
鮮明に記憶しています。
施設内の撮影可能な展示品をランダムにいくつか紹介します。
この建物の奥には道一つ隔てて松本清張記念館があります。
ここで作られていた風船爆弾。
下に見える白い人物像と比較してみてください。
大きなものですね。
実際にアメリカまで届いたものもあるそうです。
焼夷弾の模型
鉄兜
八幡大空襲の際溶けたビール瓶
一升瓶に玄米を入れ棒でつついて精米します。
戦中、戦後こんなことをしていたとは驚きです。
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小倉みれん/作詞・日浦旅彦 作曲・寺本あきひさ 歌・星乃輝/🎤旅彦
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