今ではゴロリと横になれないように
仕切りを付けたベンチが多いですね。
東京ブルース/西田佐知子 ♪旅彦
昨日行われた全日本大学女子駅伝ではずっと応援している
不破選手(拓殖大)の走りに注目していました。
故障や体調不良が続き、万全ではないと伝えられていたからです。
スタート直後はなんだかこわごわ走っている感じがありましたが、
後半は持ち前の大きなストライドでスピードに乗り、本来の走りに近い
ものだったと思います。
昨年不破自身が作った区間記録には及びませんでしたが、
区間賞を獲得したので、先ずはホッとした次第です。
早く体調万全でのレースを見たいものです。
昨日は快晴、無風。爽やかな一日でした。
ハゼ釣り大会が行われていました。
洞海湾を結ぶ交通手段は大橋と海底トンネルの他に渡船も残っています。
人と自転車用として。
所要時間は3分程度なので、歌1曲歌い終わらない内に着いてしまいます。
渡場近くの小さな船溜まり
若戸大橋を潜り抜けて、外海へと出てゆく船です
酒ごころ/キム・ヨンジャ ♪旅彦
少し話題を変えましてー。
今日朝刊別刷りの1頁全面のおせち広告(傍線筆者)。
百が抜けているのかな?
私の失敗談
職場、同窓会、地域等の広報誌や機関誌の編集を多く経験してきましたが、
或る時1面トップの大きな見出しに「無災害」とあるべきところが
「無炎害」となっているのを校正の段階で見落とし、印刷。
出来上がったのを見て、やっと気づきました。
正解の字を上に貼ることも考えましたが、題字横では格好悪すぎます。
刷り直しました。
部数はあんまり多くはなかったのですが、損害を出してしまいました。
本文等細かいところは綿密にチェックするのに、見出しのような
大きなところは意外と見落としがちですね。
教会の掲示板(傍線筆者)
「た」抜け?
北九州市の戸畑と若松を結ぶ若戸大橋です。
市内にはここと関門橋の二つの大吊橋がありますが、
こちらの方が程々(?)の大きさで絵になるように思います。
直ぐ近くに海底トンネルも通っていますし、渡船も
まだ残っています(次回紹介予定)。
完成当時は東洋一の大吊橋と言われたものですが、
今じゃ重要文化財に指定されていて、時代を感じます。
開通当時は片側1車線で歩道もありましたが、その後
車の増加により歩道を無くし、片側2車線となっています。
ひとり酒/伍代夏子 ♪旅彦
【昨日の記事の追記】
大先輩を一人忘れていました。
鶴田知也 プロレタリア文学の小説家、後に農業指導者。第3回芥川賞受賞者。
小倉の生まれですが、後に養子となり近郊の旧制豊津中学(現在の京都郡みやこ町)卒。
思いは文学や絵画以外にも広がり、当市出身のアナウンサーが多いことに気づきました。
元NHKの相撲放送で知られた杉山邦博、同じく元NHKで紅白の司会をした宮本隆治や
元テレビ朝日の佐々木正洋などです。
因みに3人とも高校は市内随一の進学校です。
東京出身者が絶対有利なアナウンサーの世界で、キー局での地方出身者は昔は
珍しかったのでは?
当市は昔、大企業の工場や本社、商社の支店などが多く、転勤や出張などで東京との人の交流が
多くて、土地の言葉が自然に淘汰されていったと何かで読んだ記憶があります。
同じ県でも博多弁のように独特な言葉はあまり残っていないように思います。
新川二郎さん、今も張りのある声で現役で活動しておられるのは素晴らしい!
東京の灯よいつまでも/新川二朗 ♪旅彦
杉田久女は鹿児島生まれ。近代女性俳人の鏑矢。
旧制小倉中学の美術教師で画家の杉田宇内と結婚を機に小倉に住むことになります。
堺町という所に住んでいた頃の作で、句碑は近くの堺町公園にあります。
文字が見にくいですが
花衣ぬぐや纏はるひもいろ〳〵
(花衣脱ぐやまつわる紐いろいろーの意) です。
その後住んだ「櫓山荘」跡。
文化人の社交場だったようです。
句碑は
谺して山時鳥ほしいまゝ です。
この句は何度も英彦山に足を運び、ようやく〝ほしいまま〟を得られたと言われています。
当時は櫓山荘の直ぐ近くが海だったようです。
現在は遠くまで埋め立てられ、物流の基地や工場となっています。
直木三十五賞や司馬遼太郎賞を受賞した葉室麟は小倉生まれです。
私より一回りも若いのに既に亡くなられました。
その他小倉以外で北九州市出身あるいはゆかりの作家、画家等を挙げてみます。
◇火野葦平(故人) 若松区生まれ。作家。「糞尿譚」で芥川賞。「麦と兵隊」や「花と龍」が有名。
◇林芙美子(故人) 作家。山口県生まれと言われていたが近年当市門司区生まれという説も浮上。
門司や若松に住んでいた時代もあったようです。
私は小学生だったと思いますが、彼女が朝日新聞に連載中の「めし」を毎日読んでいましたが、
その連載中に急逝されたことを今も鮮明に覚えています。
◇伊馬春部(故人) 八幡西区生まれ。作家、脚本家。NHKの連続ラジオドラマ「向う三軒両隣り」の脚本。
遠賀川近くの木屋瀬という宿場町に実家が残っており、公開されています。
◇高橋睦郎 八幡生まれ。門司区育ち。詩人、俳人、歌人。文化功労者。
中学生の頃「毎日中学生新聞」に作文、詩、短歌、俳句を投稿。
私より先輩ですが、私も投稿していて、彼のどの作品も出色の出来で、群を抜いていたことが
忘れられません。
◇吉田旺 若松区生まれ。作詞家。ちあきなおみの「雨に濡れた慕情」「喝采」等。
◇黒田征太郎 イラストレーター。大阪出身ですが門司港が気に入ったということで、
2009年に移住。
◇佐伯泰英 八幡西区生まれ。作家。歴史小説はどれもベストセラーのようですね。
◇村田喜代子 八幡東区生まれ。作家。「鍋の中」で芥川賞。現在は隣の市在住。
◇平野啓一郎 愛知県生まれですが1歳で父親を亡くし、2歳から高校卒業まで
母親の実家のある八幡西区で過ごす。作家。「日蝕」で芥川賞。
高校は高倉健の後輩。
等々。
他地域の人にはあんまり興味のないだろうことを長々と書きました。
これで終わりにします。
おつきあい、ありがとうございます。
雨降橋/香西かおり ♪旅彦
タイトルとは全く別の話ですが…
昨日行われた全日本実業団対抗女子駅伝の予選会で最終区の某選手が転倒、大腿部骨折で棄権という事故が
発生しました。
全国統一予選会という方式に変わり、福岡県宗像市の宗像ユリックスを発着とするコースに変わってから、
前半の最長区間で中継直前に夢遊病者のようにふらふらになった選手が出たり、ゴール直前に転倒し、膝から
血を流し、這いながらゴール(と記憶していますが)する等の事故が発生しています。
事故が多過ぎます。
コースに問題はなさそうですが、世界遺産宗像大社のお膝元での大会、神のご加護はないのかと
思ってしまいます。
神がいたから、この程度で済んだと言い逃れ?
多分、都合のいい神は存在しないのでしょう。
さて、本題です。
今回は少し趣向を変えて、漫画の話です。
「漫画の街」の話は後でするとして、先ずは松本零士です。
久留米生まれで小学校3年から小倉。
「銀河鉄道999」の発想の原点は子供の頃に見た関門海底トンネルから陸上に
上がって来る列車を見たことにあると言われています。
JR小倉駅のデッキ上にある漫画の登場人物の像です。
只今は周囲が工事中で、近くには行けません。
見るだけは差支えありません。
次は漫画家であり、イラストレーターでもあるわたせせいぞうでしょう。
高校卒業までを小倉で過ごしました。
その後は大学進学、就職で故郷を離れています。
今年4月から1年間の予定で「北九州市漫画ミュージアム」の名誉館長を勤めています。
写真はJR門司駅近くの「門司赤煉瓦プレイス」内にあるモニュメントです。
また、門司港には常設のギャラリーがあります。
多くの漫画家を輩出してきた北九州。
その歴史的背景には
⒈新聞の配送が鉄道主体だった時代、地理的要件から門司、小倉には大手新聞社の西部本社や
地方紙の本社が集中し、地図やカットを描く漫画家が多く在籍していた。
その代表的な漫画家は関谷ひさし、ムロタニ・ツネ象で後に中央で活躍することとなります。
私は毎日中学生新聞でムロタニ・ツネ象の漫画を良く見ていた記憶があります。
また旬刊の「まんが新九州」という新聞まで発行されていたとは驚きです。
2.製鉄業界の社員で社内報や組合の機関紙に発表する漫画家たちが多数いた。
⒊地域誌、タウン誌、同人誌等発表の場が多くあった。
等が挙げられます。
現在はJR小倉駅近くに「北九州市漫画ミュージアム」があり、作品の展示や企画展の開催等で
漫画のPRや漫画家の育成に努めています。
駅高架下の通路もこんな感じ。
次回は俳人杉田久女関連をと思っています。
うわさ雨/長保有紀 ♪旅彦
昨日紹介しました森鴎外と深い関わりのある小倉出身の作家がいます。
皆さん良くご存知の松本清張です。
松本瀬長は森鴎外が軍医として小倉に赴任していた時の日記「小倉日記」の
行方を捜すことに生涯をかけた人物を主人公として描いた短編小説
「或る〖小倉日記〗伝」で芥川賞を受賞しました。
当時は小倉の朝日新聞西部本社に勤めていたのですが、その後は上京します。
写真は松本清張記念館です。
近くには「市立文学館」があります。
現在、当市門司区出身の写真家藤原新也の展覧会が市立美術館と同時開催
されており、立体的に見ることが出来ます。
今日の午後8時からのNHKの「日曜美術館」ー「祈り 藤原新也」がEテレで
再放送されます。
「復讐するは我にあり」で直木賞を受賞した佐木隆三が、ここの館長を勤めていたことがあります。
佐木隆三の文学碑は当市内八幡東区の彼が若い頃勤めていた製鉄会社を見下ろせる公園の
一角に同じ会社にいた「無法松の一生(原題は富島松五郎伝)」の原作者岩下俊作の
文学碑と並んで建っています。
私が入社したころはまだお二人とも在籍されていました。
文学館の直ぐ近くに「鴎外の住居跡」の撰文を書いた地元の作家劉寒吉の文学碑があります。
前出の無法松の碑です。
架空の人物の碑は珍しいのでは?
見にくくてすみません。
長くなりますので、今日はここまで。
明日に続きます。
なかす雨/島津亜矢 ♪旅彦
昨日の朝日新聞夕刊1面に大きく、明治の文豪森鴎外の出身地島根県津和野町の
宿泊施設で「鴎外食」が再現されたと出ていました。
ドイツに留学し細菌学を学んだ鴎外の潔癖性が出ている「まんじゅう茶漬け」
「刺身の醤油煮」などのようです。
鴎外は果物も生では食べなかったと言われています。
今年は鴎外の生誕160年、没後100年の節目です。
細菌に対して神経質な程気を使った彼が60歳で亡くなったことは、良く生きたというべきか、
早すぎたと言うべきか?
たまたまですが一昨日、文学館や松本清張、無法松、松本零士など文学や漫画に関する施設や
碑を写して回っていました。
その中からまずは森鴎外に関する写真をご覧ください。
鴎外は旧陸軍第12師団の軍医部長として、明治32年6月から同35年3月までを小倉で過ごしました。
この鍛冶町の住居は前半の約1年半を過ごした所です。
この住宅の様子は小説「鶏」に書かれています。
大きな通りから旧宅へ行く通りの標識。
後半を過ごした京町の住居跡。jr小倉駅の直ぐ目の前です。
紫川に架かる人道橋には鴎外の名が付けられています。
鴎外はここを渡って直ぐの小倉城内の司令部に通っていたのでしょう。
橋を渡った所にある文学碑
龍飛崎/長保有紀 ♪旅彦
わしも歳とって、長時間立ち続けると疲れるッ*ちゃ。
よいしょっと!
*「ちゃ」は小倉を含む旧豊前の方言。
「そうっちゃ」「違うっちゃ」などと使います。
「チャチャタウン」という小さな複合商業施設があるほど。
◇街中にゴリラ出現!
◇まだブーゲンビリア咲いてます
◇早くもイルミの準備
◇街路樹剪定(ファイルから)
ひとり薩摩路/水森かおり ♪旅彦
皇帝ダリアが蕾を付けました。
開花が待たれます。
一時はあちこちで見かけましたが、最近は一般家庭ではあまり見かけなくなりました。
千葉在住の友人がこの花を知らないと言うので、根付きのものと
幹(茎?)をバトン状に伐ったものを宅配便で送りました。
冬の間に埋めておけば春には芽を出す、誠にたくましい花木なのです。
お裾分けしたという彼の友人宅のものも含めて順調に成長しているようです。
しかし、千葉は風が強いので、背が高くなるこの花は不向きかも?
花が咲いた状態
酒場川/ちあきなおみ ♪旅彦