実家に帰るついでに
加古川の中流域にある闘龍灘へ
この辺りだけ岩底になっており、それまで穏やかな流れから激流に変化!
そして、また穏やかな川に戻る。。。
「掘割水路は、加古川流域でも特に景勝地として名高く、また、舟運の最大の難所でもあった闘龍灘を明治6年(1873)に開削して造られた水路です。
文禄3年(1594)、生駒玄蕃が加古川舟運を思いたち、阿江与助たちに開削工事を命じたことから加古川の舟運は始まったといわれますが、闘龍灘が横たわるために舟運は上流(滝野以北=田高川)と下流(滝野以南=滝野川)に二分されました。つまり、高瀬舟に満載され丹波地域などから瀬戸内海へ向かう米は、闘龍灘の手前でいったん陸揚げされて下流へ運ばれ、再び舟に積み込まれていました。また木材の筏は闘龍灘の手前で解体し、一本ずつ滝壷に落とし下の座の浜で筏を組み直して高砂へ下したといいます。
加古川舟運開発から278年後の明治5年(1872)、多可郡石原村の村上清次郎らが、闘龍灘の岩盤掘削を新政府に願い出、翌6年1月から開始されましたた。その年末に完成しました。堀割は長さ180m、幅8m、深さ4mです。作業は上流の野村滝と津万滝の継続施工で、工事はフランスの技師ムーセが担当、ダイナマイトを使用した短期間工法でした。」 国土交通省説明文。
ダイナマイトで爆破したんや~!
ここ来るのは、今回初めてでした!
次に向かったのが
日岡山公園
まずは、市民の森・・・・
う~ん~
何も無かった(笑)
場所を変えて、日岡山公園のメインストリートへ
公園入り口の花壇には色とりどりの花♪
そして、日岡陵へ
この日岡陵も初めての来ました。
日岡山公園には、他にもいくつかの古墳があります。
加古川には他にも古墳が残っており、実家の近くにも石室が残ってる古墳があるようだが
まだ行ったことがない!
ほとんど藪の中にあるので、まむしが怖いのだ!(^^;
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