愛知県瀬戸市にある「瀬戸蔵ミュージアム」で1000年以上の歴史がある瀬戸焼について勉強してきました。・・・
「瀬戸市観光情報サイト 瀬戸蔵ミュージアム」←詳しくはこちらで
↑ 浜松市内から国道1号~蒲郡IC~東名高速~東海環状自動車道~せと赤津PAで降りて おおよそ2時間で到着しました。
↑ 瀬戸蔵ミュージアム内にある駐車場へと停めたので歩いて目の前に入り口
でも ここ瀬戸蔵という施設の中 2階にあるのがミュージアムですよ
↑ 一階にはエントランスと瀬戸物の売店や飲食店などありました。
画像は飲食店の入り口付近です。
さてトイレも ここ一階で済ませ いざ2階のミュージアムへ お勉強をしに行きますよ
画像の順番はバラバラに載せていきますね でないと流れがわからなくなっちゃうからなあ
↑ ここ瀬戸市は焼き物の町として有名ですね
↑ その焼き物を他の町へと売りに行く時 まだ移動手段が歩きとか馬車とかの時代
沢山の荷物を山ほど荷車に積み 名古屋とか大きな町まで売りに行ってたんですね
で・・・もっと効率よく荷を移動させれるようにと なんとか鉄道を施設できないかと色々とやったようですが
当時(明治20年代)中央線の誘致に失敗し ならば地元で施設すれば中央線と繋げて貰えるのではと
瀬戸の実業家「加藤杢左衛門」を中心に実業家たちが出資しあい
1905年(明治38年)4月2日 『瀬戸自動鉄道』として開業した 地元が作り上げた鉄道だったんです。
1906年(明治39年)に社名を瀬戸電気鉄道と変更
↑ その当時の瀬戸電車両 モ754号を展示してあるんです。
さて ここまでの話し 何故知ったかと言うと ここ瀬戸蔵ミュージアムには
観光ボランティアガイドさんがいて 今回 私たちが見ていたら
声を掛けてくださり 館内の説明 歴史の勉強 瀬戸焼について詳しく教えてもらいました。
そのボランティアさん すべて無料でやっていて とても親切で面白い人でした。
しかも午前中の担当だったのに 昼食の場所も教えていただき
午後も 窯垣の小径の案内までしてもらい 大変助かりました。
ありがとうございます。 ボランティアのH・Hさん
↑ 瀬戸駅の表には、郵便ポストまであり これ実際に郵便を出すことが出きるんですよ。
さて次に瀬戸焼について ちょい お勉強を・・・
↑ 古き時代から瀬戸市の近くの鉱山から掘り出していました。 (瀬戸の鉱山)←クリック
←クリックで拡大表示
↑ 瀬戸の代表的粘土
粘土と言うより 岩ですね これから製土と言う工程に入ります
↑ トロンミルと言う機械で 砕いて細かくします。
↑ フィルタープレス と言う機械
↑ クネットマシンで粘土を上に載せながら伸ばしていきます。
↑ これは昔ながらの機械でモーター一つにベルトで繋げ すべての回転する機械を回していますよ。
↑ ここまで先ほどのモーターよりベルトが来て回っています。
↑ こちら粘土を整形する ロクロですね。
↑ 奥側にあるのがロクロを電気モーターで回す 機械ロクロです。
ボランティアさんが見せている写真の形になるまで
そうとう年期と根気が掛かりますね
↑ こちらは回しながら作り物とは違い 型に粘土をいれて作るやり方のコーナーです。
↑ 焼き物の町には必ず この型を専門で作っている職人さんもいれば
型から品物を作る職人さん 先ほどのロクロを回しながら作る職人さんなど
色々と焼き物でも種類が多く 商売も色々多いんですね
上の写真の型からは急須が出きるみたいで これぐらいなら私でも出きるのだろうか?
さて次は 焼き窯の方へ
↑ これ 昔からある 窯ですね。
↑ その石炭窯の中 よーく見ると壷のような形の物が並んでいますね
この壷のようなもの エンゴロって言うもので
この中に整形した品物を入れて 積み重ねて製品を沢山窯に詰めて並べて
窯の炉内での製品を保護するために使うんです。
↑ ここから薪を投入して窯内の温度を上げていくんです
↑ 窯と煙突
煙突の色に注目してください 赤い色してますね
これ常滑(名古屋の南にあります)で作られる 常滑焼なんですよ。
常滑焼は赤茶色の粘土を使っているのが主流みたいで土管や瓦の製品が多いそうです。
それに比べ 瀬戸焼は陶磁器 つまり陶器と磁器の製品を主に作っています。
この説明はまた 次回にでも・・・
↑ こちらが出来上がった皿や茶碗など
どうして茶碗や皿 いっぱい重ねて当時 売られていたのか? わかりますか?
それは当時 冠婚葬祭で使う 茶碗や皿など 沢山同じものを必要とした時代でしたからねぇ
同じ柄 同じ皿 同じ茶碗など 数十枚と同じように作り売られていたようです。
現在では 冠婚葬祭 自宅でやるって家 少ないですからねぇ
すべて式場で準備してくれますから
↑ はい これ段々と上へ上へと窯が連なっている登り窯です。
これは何十分の一のモデルですが 実際はとても大きな窯だったんですよ。
そこで実際の窯 見に行って来ました。
←クリックで拡大表示
↑ 説明
↑ 当時のまま 保存されていました。
↑ この窯の横に山積みされた エンゴロや 薪 沢山ありますね
そういえば この薪って 何の木だと思いますか?
これ松の木の薪なんですよ 松の木を伐採して薪として使いすぎたため
この石炭釜 は 廃止する運命になったんです。
だって松の木 無くなってしまいますからねえ
現在がガス窯が主流で 窯元も外観が工場のような概観からは
中で何をやって入るのか わからない窯元も多いですね。
↑ 窯の内部です。 下の部分に穴が見えますね
ここより下からの熱が入ってきて窯内に入り エンゴロ内部の製品を製品化していくんですね
・・・っと 今回は これにて
ではまた
「瀬戸市観光情報サイト 瀬戸蔵ミュージアム」←詳しくはこちらで
↑ 浜松市内から国道1号~蒲郡IC~東名高速~東海環状自動車道~せと赤津PAで降りて おおよそ2時間で到着しました。
↑ 瀬戸蔵ミュージアム内にある駐車場へと停めたので歩いて目の前に入り口
でも ここ瀬戸蔵という施設の中 2階にあるのがミュージアムですよ
↑ 一階にはエントランスと瀬戸物の売店や飲食店などありました。
画像は飲食店の入り口付近です。
さてトイレも ここ一階で済ませ いざ2階のミュージアムへ お勉強をしに行きますよ
画像の順番はバラバラに載せていきますね でないと流れがわからなくなっちゃうからなあ
↑ ここ瀬戸市は焼き物の町として有名ですね
↑ その焼き物を他の町へと売りに行く時 まだ移動手段が歩きとか馬車とかの時代
沢山の荷物を山ほど荷車に積み 名古屋とか大きな町まで売りに行ってたんですね
で・・・もっと効率よく荷を移動させれるようにと なんとか鉄道を施設できないかと色々とやったようですが
当時(明治20年代)中央線の誘致に失敗し ならば地元で施設すれば中央線と繋げて貰えるのではと
瀬戸の実業家「加藤杢左衛門」を中心に実業家たちが出資しあい
1905年(明治38年)4月2日 『瀬戸自動鉄道』として開業した 地元が作り上げた鉄道だったんです。
1906年(明治39年)に社名を瀬戸電気鉄道と変更
↑ その当時の瀬戸電車両 モ754号を展示してあるんです。
さて ここまでの話し 何故知ったかと言うと ここ瀬戸蔵ミュージアムには
観光ボランティアガイドさんがいて 今回 私たちが見ていたら
声を掛けてくださり 館内の説明 歴史の勉強 瀬戸焼について詳しく教えてもらいました。
そのボランティアさん すべて無料でやっていて とても親切で面白い人でした。
しかも午前中の担当だったのに 昼食の場所も教えていただき
午後も 窯垣の小径の案内までしてもらい 大変助かりました。
ありがとうございます。 ボランティアのH・Hさん
↑ 瀬戸駅の表には、郵便ポストまであり これ実際に郵便を出すことが出きるんですよ。
さて次に瀬戸焼について ちょい お勉強を・・・
↑ 古き時代から瀬戸市の近くの鉱山から掘り出していました。 (瀬戸の鉱山)←クリック
←クリックで拡大表示
↑ 瀬戸の代表的粘土
粘土と言うより 岩ですね これから製土と言う工程に入ります
↑ トロンミルと言う機械で 砕いて細かくします。
↑ フィルタープレス と言う機械
↑ クネットマシンで粘土を上に載せながら伸ばしていきます。
↑ これは昔ながらの機械でモーター一つにベルトで繋げ すべての回転する機械を回していますよ。
↑ ここまで先ほどのモーターよりベルトが来て回っています。
↑ こちら粘土を整形する ロクロですね。
↑ 奥側にあるのがロクロを電気モーターで回す 機械ロクロです。
ボランティアさんが見せている写真の形になるまで
そうとう年期と根気が掛かりますね
↑ こちらは回しながら作り物とは違い 型に粘土をいれて作るやり方のコーナーです。
↑ 焼き物の町には必ず この型を専門で作っている職人さんもいれば
型から品物を作る職人さん 先ほどのロクロを回しながら作る職人さんなど
色々と焼き物でも種類が多く 商売も色々多いんですね
上の写真の型からは急須が出きるみたいで これぐらいなら私でも出きるのだろうか?
さて次は 焼き窯の方へ
↑ これ 昔からある 窯ですね。
↑ その石炭窯の中 よーく見ると壷のような形の物が並んでいますね
この壷のようなもの エンゴロって言うもので
この中に整形した品物を入れて 積み重ねて製品を沢山窯に詰めて並べて
窯の炉内での製品を保護するために使うんです。
↑ ここから薪を投入して窯内の温度を上げていくんです
↑ 窯と煙突
煙突の色に注目してください 赤い色してますね
これ常滑(名古屋の南にあります)で作られる 常滑焼なんですよ。
常滑焼は赤茶色の粘土を使っているのが主流みたいで土管や瓦の製品が多いそうです。
それに比べ 瀬戸焼は陶磁器 つまり陶器と磁器の製品を主に作っています。
この説明はまた 次回にでも・・・
↑ こちらが出来上がった皿や茶碗など
どうして茶碗や皿 いっぱい重ねて当時 売られていたのか? わかりますか?
それは当時 冠婚葬祭で使う 茶碗や皿など 沢山同じものを必要とした時代でしたからねぇ
同じ柄 同じ皿 同じ茶碗など 数十枚と同じように作り売られていたようです。
現在では 冠婚葬祭 自宅でやるって家 少ないですからねぇ
すべて式場で準備してくれますから
↑ はい これ段々と上へ上へと窯が連なっている登り窯です。
これは何十分の一のモデルですが 実際はとても大きな窯だったんですよ。
そこで実際の窯 見に行って来ました。
←クリックで拡大表示
↑ 説明
↑ 当時のまま 保存されていました。
↑ この窯の横に山積みされた エンゴロや 薪 沢山ありますね
そういえば この薪って 何の木だと思いますか?
これ松の木の薪なんですよ 松の木を伐採して薪として使いすぎたため
この石炭釜 は 廃止する運命になったんです。
だって松の木 無くなってしまいますからねえ
現在がガス窯が主流で 窯元も外観が工場のような概観からは
中で何をやって入るのか わからない窯元も多いですね。
↑ 窯の内部です。 下の部分に穴が見えますね
ここより下からの熱が入ってきて窯内に入り エンゴロ内部の製品を製品化していくんですね
・・・っと 今回は これにて
ではまた
大量の粘土を使うので、昔は庄内川が下流まで白く濁ってました。
今は殆ど白濁しなくなりましたが。
窯に使う木材も大量ですね、確か三日三晩燃やし続けるとか。
その為、山がハゲ山になって行きました。
瀬戸に限らず、木炭を使ってた頃はどこでもそうでした。
ベルト駆動も懐かしいですね。
一つの大きなモーターで、ベルトを掛けてすべての機械を動かしてました。
工場では良く見た光景ですが、今は見る事は有りません。
懐かしい光景です。
良くご存知ですね。 昔 庄内川が白濁して魚が住めない環境になったようですが現在は垂れ流しは禁止され 川の水も綺麗になり良かったです。 木材も、かなり使ったようで禁止令が出て 今ではガスを使った窯が主流となったようですね ・・ここで初めて知ったのが松の木を使っていたということで 木も伐採し続けた結果がはげ山になってしまったようで杉の木ではなく松の木の方が脂が出てよいみたいですね。
ベルトを駆使してモーター一つで稼動させていたのは 知っていましたが 見たのは初めてでした。 なかなか考えられた節約方法ですね