「人を助けたい」と、私は若い頃はよく思っていました。
(溺れてる人を助けるとか、そういうんじゃないですよ)
誰かを助けたら、役に立てた自分が嬉しいし
自分が立派になれた気がするから
かもしれません。
もちろん、助けた相手がそれで喜んでくれるなら、素晴らしいことですし。
けどね、これって
「助けたい人」がいると「助けられたい人」が産み出されるんですよ。
寄ってくる場合もありますね。
だから、「助けたい」と思っている限り、そこにすがりついてくる人が
いつも自分のそばにいることになります。
それって、すごくしんどくないですか?
大体ね、手助けするとか、協力するくらいならできるけど
人を助けるなんて、他人にはできないんですよ。
その人の課題は、その人にしかクリアできないから。
人を変えることなどできませんから、一時的に救い出せたとしても
相手はまた、同じように沈んで、助けを求めるでしょう。
相手はどんどん依存します。
だからね、はじめから助けてあげるって、思わないことなんです。
これは夫とお母さんを見ていて、とても感じたことでした。
もちろん、自分の中にもそういう要素があるから、見えたんです。
お母さんは、「私がなんとかしてあげなくちゃ」
って子供に対して思っているんです。
そうすると、「助けられる子供」になってしまう。
助けたいお母さんと、助けてもらう子供
という依存しあう関係ができてしまい、ずーっとそれが続いていたように思います。
お母さんにとって、それは「いつも自分が必要とされる」
という状況を作り出すので、生きがいになるんですよ。
ある日、夫は「そういう関係はもうやめよう」と言いました。
それをお母さんがどれだけ理解したかはわかりませんが
過剰な心配をしたり、口出しをしてきたり
というのは、かなり減りました。
「助けてもらう自分」を夫自身が辞められたので
助けてあげる必要がなくなったということでしょう。
私も夫に対して、昔は「助けてあげなくちゃ」と思っていたので
余計に大変な自体を招いていたと思います。
今は、「手伝うけど、自分で何とかしてね」と思っていますので
自分で何とかするはず。
それが自律した関係と言えますよね。
適度な助け合いは、家族や一緒に過ごす人にとって
大切なことだと思います。
けど、自律していないとね。
そんな事を思い出した、とても暑い満月の日。
満月って、人に影響があるんだって。
ちょっと振り返って、これからを考えると良いですね。
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