今日は、息子の小学校の学校公開日でした。
二時間分、公開されていたのですが、息子のおすすめにより国語の授業を見ることにしました。
なぜ、国語だったのかはわかりませんが、毎回、本人にどの授業を見たらいいかと意見を聞くことにしています。
まだ私が学校に見に来るのを喜ぶので、逃さず見るようにしたいと思います。
四年生、かわいいんですよ、まだ。
クラスの和やかな、楽しそうな雰囲気にほっこりします。
みんな割と素直に発言しているし、先生との距離感も近くて良いです。
かと言って、なれなれしいというわけでもなく。
今日の国語の授業は、詩を作る、という内容でした。
題から連想して、自分なりの一行詩を作ります。
詩だから、何を書いても良いですし、連想することは個人個人で自由。
みんな思いのままに書いていました。
みんながタブレットで書いた詩を、先生のパソコンを介してスクリーンに映し出していました。
今は、黒板も使うしノートも使うし、タブレットも使うのです。
先生も、使い方をマスターしなくちゃいけないので、放課後に勉強するのでしょうかね。
クラスのみんなの詩は、似たものもあるし、一体どこからどう連想したのかな?
と思うような内容のものもありました。
先生は、それについて良いも悪いも言いません。
ジャッジしないんですよ。上手だねとかも言いません。
連想するものは、人によって違うんだから、間違っているとかはありませんよ、って
先に言っていました。
表現の自由、
というか、個人を尊重している態度だなあと、私は思いました。
本来はこうあるべきだし、子供の自由な面白い発想は、ぜひとも大事にしてほしいです。
自分の考えが認められたら、自信にもつながりますね。
帰り道に、仲の良い同じクラスのお母さんと話していたのですが、
私たちの子供の時って、みんな同じが良いことで、みんなと同じにできないのは悪いっていう風潮だったよね~
今は全然そういうことなくていいよね
としみじみ話しました。
大っぴらには、「人と違うことが間違い」とは言われなくても、空気読んで合わせろよ
という無言の圧があったんですよね。
私は先生にとっての正解を探るようになりました。
うっかりすると、はみ出しちゃうからね。
子供なんだから、自由な発想があるし、みんなと同じじゃないことだっていっぱいあるのに。
そのお友達のお母さんとは、幼稚園も一緒だったので、息子同士、ちょっと似てるんですよね。
みんなで一緒に〇〇しよう、と言われても頑なにやらないタイプ。
通っていた幼稚園では、全く強制されることがなく、好きなようにさせてもらえたので
ストレスなく、楽しく過ごせていました。
それが息子たちにとてもあっていました。
その幼稚園は、私もかつて通っていたのですが、当時から自由だったんですよ。
それがとても良かったと思っています。
今の小学校は、このように個性を認めていて、それが正解か不正解か(数学とかは別として)
先生がジャッジすることはないし、一人ひとりの考えを尊重しているように思います。
娘の時に、既に小学校は昔とは変わったなーと感じていたので、これからもっともっと
そうなっていくでしょうね。
人の発言をからかったり、笑ったりすることもありませんし、これは先生のおかげでもあるなあと思いました。
安心して、毎日学校に送り出せて、本当に感謝感謝です。
たまに学校を見にいくのは楽しい。
コメントを投稿するにはgooブログのログインが必要です。