オメガねこ

知識は人をバカにする。
智識はバカを人にする。
信じるか信じないかは、自分次第です。

「邪馬台国」 と 「日本国」

2024年11月09日 | ものがたり
 「邪馬台国」は「ヤマタイコク」と読まれますが、「台与」は「トヨ」と読むそうです。台与は「臺與」と書き、「邪馬国」を都とした「倭の女王卑弥呼」の宗女で、卑弥呼の後継の男王の次に、13歳で「倭の女王」になったとされています(諸説有り)。

 これらの「日本語の読み」に対する「漢字の当て字」を、支那大陸の権力者が当てたとするのが一般的だと思いますが、可能性としては「日本列島の有力者の内の親支那派が、対抗勢力に対して卑字(悪字)を当てて、中原のご機嫌伺いをした」と考える方が、道理にかなっていると思います。

 現在でも、同様の勢力は健在で「日本を貶める言動をし、中原の顔色を見る人」は自公政権内にも見る事は出来ます。と、言うより、寧ろそれが大勢・主流かもしれませんww

 少し前の話ですが、「アイヌは、北海道及びその周辺の先住民族」であると推進していた輩がドコかの国の首相になりました。アイヌが先住民族で、北海道の土地が中原に買われると、次は「観光特区として大胆な外資の導入」を目指す特例法が成立し、「アイヌ自治区」の誕生が近いかも知れません。

 それは兎も角、縄文・弥生時代(とは言っても現代の人が名付けただけ)の人々が言葉を持っていた事は明らかで、その地域の有力者がその地に「言葉で地名を与えていた」だけとは思えません。縄文時代の縄文人とされる人々は、「日本列島及びその周辺地域」の先住民族であったことは明らかで、当然乍ら、少なくとも「漢字」が成立した時代には「大陸東岸縄文人は大陸他民族と文字を共有していた」と考えられます。

 「漢字」とは言っても、「漢の時代」に造られたのではなく、「日本で漢字が普及した時代」が「漢の時代」だっただけです。

 「魏志倭人伝」に書かれている「邪馬台国」や「倭人」が、日本で言う「大和国」や「和人」と同じであると云うのは、それが「同じであるべき」と思う人には同じに見え、「違うのではないのか」と思う人には違って見えます。

 当時、国の概念や「文字」が無かった(不要だった)地域である「日本海周辺の住人」が自分のことを「Wa」と表現していた場合、それを文字を持つ「中華思想」の人が「倭(小さい人、或いは未熟な人)」と当て字するのには合理性があります。

 中華思想や天命(マニフェスト・デスティニー)を信じる人は、勝者が正しく敗者を「奴隷」とし、また、戦いを好まない人は「小人」として否定的に扱います。「YaMaTo」に関しては、

邪馬台(倭の中原:首都?)
大倭
大養徳
大和
日本

など、「Wa」の国家意識の変遷とともに表現が変わり、現在では「日本人」になりました。

 「倭国」の時代は、その中原(邪馬台国)の支配者が倭国全域の支配者になるので、「邪馬台国」の正確な位置を外部勢力に知られることは致命傷になります。

 「大養徳」は、聖武天皇が天平9年に「天然痘大流行は朕の不徳によるもの」と反省して、国名の表記を大倭国から「大養徳国(大いに徳を養う)」に改めたようです。

 それは兎も角、「邪馬台国(倭国の首都:中原)」が何処に在ったかで、「九州(北部)説」と「畿内説」があるようですが、「YaMaTo」は畿内に在ったとするのが合理的です。

 対外的に(侵略を恐れて)、到達することの出来ない場所を「邪馬台国」とし、縄文期の「Wa(漢語で書く倭)」の居住地であった「日本海西岸(大陸東岸)の悲劇」を繰り返すことのないように謀ったのではないかと思います。

 ただし、その大陸倭人の出自は、縄文時代の阿蘇山噴火(天の石屋戸神話:私説)による民族大移動かも知れません。

 太陽(アマテラスオオミカミ)が阿蘇山の噴火(スサノヲノミコト)で見えなくなり、自然の力(ヤオヨロズノカミ)によって火山も収まり、大地に降ったアルカリ性火山灰のお陰で五穀豊穣が約束された、と云う時代です。

・五穀の起源:
スサノヲノミコトに殺されたオオゲツヒメ(大気津比売神)の死体の各部位から、

(頭⇒蚕)
目 ⇒稲種(イネ)
耳 ⇒粟(アワ)
鼻 ⇒小豆(アズキ)
陰 ⇒麦(ムギ)
尻 ⇒大豆(マメ)

が生じたとされています。


「桃太郎」 と 「鬼」

2024年02月05日 | ものがたり
 モモの間から生まれたモモ太郎が、お爺さんお婆さんからキビ団子をもらってイヌ・サル・キジを家来にし、オニヶ島でオニを退治して「オニの財宝」を持ち帰り凱旋したと云う「オトギ話」があります。

 「桃から生まれる話」は幕末の創作のようで、元々は「爺さん婆さんが桃を食べて若返り」、モモの間から生まれたのが「真実」のようですww。

 「桃」と言えば、古事記の「黄泉の国」の条で、

イザナギが、亡き妻を連れ戻したいと黄泉の国に行きましたが、イザナミは黄泉の国の食べ物を食べた事から「恐ろしく醜い姿」になっていました。
その姿を見たイザナギが逃げ出した事から裏切りを知り、イザナミは雷神と黄泉軍に追わせました。
イザナギは、地上と黄泉の境界まで辿り着き、そこに生っていた桃の実をもぎ取って投げつけると、雷神と黄泉軍は撤退しました。

と、書かれています。つまり、良し悪しは別にして「イザナギが自ら招いた災難を、桃のお陰で救われた。」と云う神話です。

 話を「モモ太郎」に戻して、「鬼の財宝」が鬼に所有権があるかどうかは判りませんが、福澤諭吉は、自分の子供に日々渡した家訓「ひゞのをしへ」で、

(現代語訳)桃太郎が鬼ヶ島に行ったのは宝をとりに行くためだ。けしからんことではないか。
宝は鬼が大事にして、しまっておいた物で、宝の持ち主は鬼である。持ち主のある宝を理由もなくとりに行くとは、桃太郎は盗人と言うべき悪者である。
また、もしその鬼が悪者であって世の中に害を成すことがあれば、桃太郎の勇気においてこれを懲らしめることはとても良いことだけれども、宝を獲って家に帰り、お爺さんとお婆さんにあげたとなれば、これはただ欲のための行為であり、大変に卑劣である。

と記したそうです。

 福澤が「桃太郎」の原典を知っていたかどうかは判りませんが、「その財宝は鬼に所有権がある」と決めつけていて、盗品かどうかも判断していないようです。つまり、人が価値が有ると判断したモノを「財宝」と言いますが、鬼にとっての価値観は不明にもかかわらず、「桃太郎が奪った」と断言しています。

 理系の私が考えるに、「桃」と同様に、人には価値が有っても、鬼にとっては「ゴミ」かも知れません。人が「核のゴミ」を地下深層に貯蔵するのは、ゴミが大切なのではなく危険だからであり、「その財宝」も鬼にとっては危険物かも知れませんww

 節分の豆まきは、一説では「鬼の本質は自分の邪心である」とされ、歳の数だけ溜まった邪気(邪鬼)を追い払うと解釈すると、モモ太郎は自らの邪心と戦い、勝利したことで「その清い心」が爺さん婆さんの宝になったとも言えます。

 大店法、アイヌ新法、政治資金規正法、やODA等々、政策には人の邪気が入り込んでいて鬼のように「裏金」が動いています。「裏金」には定義が無いと首相が言っているぐらいなので、私が「政策の裏金認定」をしても問題は有りません。

 但し、「邪心」があってこその人であり経済発展の源泉でもあるので、国家としては「鬼」が一概に悪者とは言えません。実際に会ってみると普通のオジサン・オバサンだと思いますww



「裸の王様」 と 「民族衣装を着たオバサン」

2023年10月23日 | ものがたり
 アンデルセンの『裸の王様(1837年の童話集)』は、「この布地はバカ者には見えません」と騙された王様が、その「衣装」を着たつもりになって裸のまま民衆の前に出たところ、子供に「だけど、なんにも着てないよ!」と言われて民衆は事実を知るのですが、王様のパレードは続いたと云う話です。

 ぞの原作とされるフアン・マヌエルの『ルカノール伯爵(1335年)』は、王室の富を増大させる事にしか興味のない王様(伯爵?)が、これは「王様の実子以外(姦通から生まれた子)には見えない衣装です」と騙され、その衣装を着たつもりになったのですが、王様の馬丁をしていた黒人が「王様は裸だ!」と言った話のようです。当然その黒人は「王様の実子」では無いので、見えなくて当然だと思いますが、原文を見た事が無いのでその趣旨は良く分かりませんww

 テレビとうさんの『民族衣装を着たオバサン(2023年)』は、「民族衣装を着れば、その民族に成れる」と信じたオバサンが、他民族の衣装を着て国連に出かけ当該民族の主権を主張したところ、真実を知っている女性が「だけどコスプレおばさんだよ!」と言った事から保守派(戦後ホシュは除く)は事実を知るのですが、サヨクは「コスプレ」の意味が分からずその女性を非難し続けたと云う話ですww

 「コスプレ」の意味は、ウィキを要約すると、

① 時代劇や歴史劇の事(Costume play)。
② 衣装だけは立派だが内容が伴わない芝居を揶揄すること。
③ 漫画やアニメなどの著名なキャラクターに仮装すること。
④ 性的ロールプレイ(sexual roleplaying←検索注意ww)。

です。当然ですが、ここでは②の「衣装だけは立派だが内容が伴わない芝居を揶揄すること」で、(立派な)民族および民族衣装を揶揄したのではなく、「オバサンの演技を揶揄」したと云う意味です。

 この原作である当時民間人であった杉田水脈(現衆院議員)のブログ『
民族衣装のコスプレおばさん(2016年)』は、現在削除されていて確認することが出来ないのですが、所謂「LGBTの生産性問題」と同様に、その意味を理解すれば何の問題も無い発言です。

生産性(経済学:せいさんせい) ;物を生み出す効率の大きさ。
生産性(生態学:せいさんせい) ;有機物(バイオマス)の生産能力。
生産性(生物学:しょうさんせい);(子孫を)出産する能力。

 「コスプレの意味②」では、衣装は立派である事を意味しているので、

チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさんまで登場。(囲まれてしまいました)。完全に品格に問題があります

は、韓国やアイヌの「民族衣装は立派」であると認識していて、民族差別とは言えません。但し、内容が伴わない「おばさん」を個人的に揶揄していると理解できる事から、例えそれが事実でも、個人に対する人権侵犯の可能性は残ります。

 例えば、高校に通った事が無い私が高校生のコスプレをした場合に「高校生のコスプレをしたおじさんまで登場。完全に品格に問題があります」とブログで公開するのは、人権侵犯に当りますww。その時に、常識で考えると「高校や高校生・制服」を揶揄していない事は明白です。

 但し、最終学歴が高校の人をバカにしている人ならば、高卒を揶揄していると理解するかも知れません。なにせ、大概の弁護士や法務局の人は学卒ですからww



「コオロギ」 と 「替え歌」

2023年03月10日 | ものがたり
 今回は格調高く、トゥーランドットより「Nessun dorma(誰も寝てはならぬ」ならぬ「誰も食べてはならぬ」ですww

       作曲:ジャコモ・プッチーニ
       曲者:コオロギ・ゴキ虫郎
(意訳)
<<名も知れぬブロガー(倒さん)>>
誰も食べてはならぬ
誰も食べてはならぬ
虫郎様、あなたは別です
冷たい目線で
眺めているのか、人々を
それは欲と希望に打ち震えている

しかし虫の秘密は胸の内に閉ざされたまま
誰も虫の名前を知らない

いいえ、しかしあなたには告げましょう
陽の光が輝くときに
そして、あなたの体調でわかるでしょう
その虫はコオロギではなくゴキブリであることを

<<虫がコオロギだと思っている女性>>
誰も虫の名前を知らない
ああ女はきっと不妊症になる

<<名も知れぬブロガー>>
おお、虫郎よ消え去れ!
星よ色あせろ
星よ色あせろ
夜明けに私は勝つ
私は勝つのだ
(無理かな?)ww



「ワクチン大臣」 と 「替え歌」

2023年02月01日 | ものがたり
 春にはコロナが2類指定から5類指定に格下げになりそうです。コロナ禍で、苦しんだ人や悲しんだ人を元気つけるために替え歌を作りました。

 替え歌第十弾「アタックナンバーワン」ならぬ、

--- ブロック・ナンバーワン ---
        作曲:渡辺岳夫
        曲者:効能デマ太郎

苦しくたって 悲しくたって
2類の内なら 平気なの
副反応でうなると 胸がはずむわ

ニードル プス スパイク
ワンツー スリーフォー アタック

「だって効いてる 証拠だもん」

涙も汗も 若いファイトで
次期の総理と 叫びたい

ブロック ブロック ナンバーワン
ブロック ブロック ナンバーワン


苦しくたって 悲しくたって
チームの仲間が いるんだもん
選挙の応援 心がはずむわ

血栓症 スパイク
自己免疫 アタック

「だけど責任ない、運び屋だもん」

涙の中に うれし涙が
次期の総理と 叫びたい

謝罪しろ!謝罪しろ!ナンバーワン!」
ブロック ブロック ナンバーワン