オメガねこ

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「旧日本軍」 と 「従軍慰安婦」

2021年07月16日 | 歴史
 どうやら、帝国陸軍に健康診断や移動時の安全を保障された追軍慰安婦を象徴しない「金粉少女像」に跪ずいて謝罪する「金粉男の像」が韓国に有るようです。

 この記事では「旧日本軍」とか「従軍慰安婦」とかが書かれていますが、先ずは「従軍慰安婦問題」を片付けます。

 「従軍慰安婦問題」を象徴するのは「少女像」ではなく、「朝日新聞と吉田清治」です。これは、2014年8月5日の朝日新聞紙面で『「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断』として、吉田証言に関する掲載記事を取り消したことからも明らかです。

 つまり、「従軍慰安婦問題」とは「吉田清治捏造問題」を意味しています。また、この捏造を「真実だ」として補強したのが
「元赤旗記者」の今田真人です。「朝日」と「赤旗」は記事を取り消したようですが、謝罪したかどうかは微妙です。

 「従軍慰安婦呼ばわりされた元少女」に対して謝罪した話は聞いた事が有りません。紙面での訂正・謝罪は「読者に対する訂正・謝罪」であり、関係被害者に対する謝罪では有りません。是非とも「朝日・赤旗」の現関係者は、この「平和の少女像」の前に土下座し、謝罪すべきです。何故なら、「慰安婦(売春婦の名で呼ぶには忍びないので、婉曲表現で付けた職業名)」は当時としては公式に認められた職業の一つであり、差別は許されないからです。

 今から百年後に「人(労働者)をカネで使役するのは人権侵害だ。」が標準的な思想になった場合、現在の会社経営者は、未来の人権派にとっては犯罪者になりますが、当然ながら今の経営者は何食わぬ顔をして雇用し続けています。同様に過去の人も、その時代の社会常識で生きていたに過ぎません。現在の基準で過去を裁くのは、傲慢と言えます。否、寧ろ名誉棄損に相当する犯罪者です。

 ここからが本題です。「元慰安婦」の接頭辞「元」とは以前のことで、直前の場合は「前」と書き、何れも現在とは違う事を意味します。「前慰安婦」の場合は、戦後のアメリカ統治時代の「韓国軍慰安婦」を指します。

 似た接頭辞に「旧」が有りますが、これは「新・旧」の区別や、過去に存在したが現在は無くなった場合に使います。

 「帝国日本陸海軍」が有った時代に、正式に「日本軍」と呼んでいたとは思えません。陸海軍・帝国陸海軍・国軍・皇軍ならば聞いた事がありますが、日本人が自国軍を「日本軍」と呼ぶのは不自然です。自衛隊も日本国内では「日本自衛隊」とは言いません。但し、対外的には「Japan Self-Defense Forces(日本国自衛軍)」と書きます。若しも、「旧国軍」を「日本軍」と書いてある戦前の公式文書が有ったら教えて下さい。その時は、この記事を削除します。

 現在は、日本には「軍隊」は存在してないとされているので、「旧日本軍」は「新・旧」の話では無い事は確かで、過去に「日本軍」と呼ばれる組織が有った事になります。ところが、

 「 Potsdam Declaration 」の(13)には、
・・proclaim now the unconditional surrender of all Japanese armed forces・・
ポツダム宣言(十三)
・・直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ・・

 「下関条約第七條」にも、
現ニ淸國版圖内ニ在ル日本國軍隊ノ撤囘ハ・・

と書いてあり、「日本軍(Japan army)」とは書かれていません。つまり、対外的な条約などで使われる「(旧)日本国軍(隊)」は有っても、自らの「国軍」に対して「(旧)日本軍」とは言わないと云う事です。細かいようですが、これが日本の歴史の教科書に”国史”と書かずに「日本史」と書いていても、疑問に思わなくなった理由です。

 その内「国語」の教科書も「日本語」と書かれるかも知れません。これは、国を無くし総てを人民の地域にする事を望む勢力の企みです。その勢力は、現在は「戸籍制度」の廃止に力を入れていますが、その内「国を廃止」して、ワンワールドを実現しようとします。

 ワンワールドが成立すると、積弊の「カネを遣り取りする旧労使関係」は禁止され、気高く「主人に無償で仕える労使関係」が標準になります。現在の感覚では「奴隷」の様に思えますが、百年後は「カネで働く人間は守銭奴」と言われます。但しこれは、99%の「旧労働者階級」の話で、1%の「現支配者層」は変わる事はなく、益々カネを儲けています。



「先住民族」 と 「縄文人」 ①

2021年07月06日 | 歴史
 「縄文人」の遺伝子は「チベット人」や「東南アジア人」と共通するところが有るそうです。その共通する特徴は「他民族を快く受け入れる」所だと思いますが、その所為もあり「東南アジア」は戦前に欧米の植民地になり、戦後は「チベット」が中共の植民地になっています。
 
 それぞれの地域で少しタイプは異なっており、アンダマン海諸島(ジャラワ族、オンゲ族)は「D1a3」、日本列島(大和民族、アイヌ民族、琉球民族)は「D1a2」、チベット民族は「D1a1」だそうです。
 
 「アイヌ民族」と言われる種族は、少なくとも大きく分けて5系統あって、総ての「アイヌ」に「縄文人」の遺伝子が特徴的に残されているかは判りません。また、戦前にドイツの学者が「アイヌは白人系のようだ」と主張した様ですが、その後の研究結果は聞きません。確かに、シベリア系の顔をしたアイヌもいるようなので「白人の血統」を引き継いだ種族もいると思います。
 
 紀元前のシベリアの「先住民」がコーカソイドがモンゴロイドかは判りませんが、混在していたと思われ「先住民族認定」は不可能だと思います。その後、様々な民族が押し寄せてきて「シベリア先住民」は押し出され、その一部の種族が北方日本に逃れてきたようです。
 
 その後シベリアにはロシアが進出し、17~19世紀にかけて、現在の領域が征服されたました。今でもシベリアに「アイヌ系」の顔をした種族がいるようで、ロシアは「北海道にもアイヌ民族が住んでいる」としてロシア領である事を示唆しています。これは、鈴木宗男議員が「北方領土の先住民はアイヌなので、日本に帰属するのは当然だ」と言った事に対する反論だと思われます。軽慮浅謀はロシア人には通用しません。

 日本列島の先住民族は「縄文人」で有るとされています。この事は「縄文人以前に先住民族はいなかった」事を証明してはいないのですが、現在の科学では「それで良し」としています。これを否定すると、人類が最初に誕生したのがアフリカなので、地上の土地は全てアフリカ人の土地になってしまいます。

 縄文人の遺伝子(男系ハプログループD系)はシベリアから支那大陸・東南アジアに広く分布していたのですが、現在では「D1a系」として3万5千年以上前に分岐した、日本列島(D1a2a)とチベット(D1a1)とアンダマン海周辺(D1a2b・D1a3)にしか特徴的には残っていないそうです。

 また、縄文人の特徴とされる「D1a2a(名称は変遷する)」は、現在では「北海道アイヌ:80%」「和人:30%」「沖縄・奄美:50%」に見られると言われています。ここで誤解されるのが、「アイヌは縄文人の遺伝子を最も多く引き継いでいるのだから、縄文遺跡が多くある北部東北・蝦夷(北海道)はアイヌ民族の土地だ。」です。

 アイヌと言われる少なくとも5種族(以降、アイヌ民族)の人口は、過去にも数万人を超える事が無く、アイヌ民族が歴史に出てくる鎌倉時代には日本列島の和人は600万人とされています。江戸時代には、蝦夷に住むアイヌ民族と領民(住民登録された和人)の人口はほゞ同じとされていますが、当然「登録外の和人」も住んでいた事は明らかです。それは、「北海道縄文人」の全てが「アイヌ民族」になったと考えるのは不自然だからです。

 これらの事象から推察できるのは、縄文人は「お人好し」で、他民族を安易に受け入れる性癖(セクシャルな意味ではない)があり、侵入(或いは侵略)してきた民族の習性によって「地域的な特徴」を残した、と云う事です。

* 北海道(アイヌ):12~13世紀ころにシベリアから南下して来た様々な民族が縄文系民族と習合し、その民族の排他的な特徴により、それ以降は他の民族を拒絶した為に縄文の遺伝子が保存され、集合しなかった縄文系民族の一部はアイヌによって
「コロポックル」と呼ばれた。

* 本州・九州・四国地域(和人):元々、縄文人は日本海を挟んで大陸側にも居住していて、大陸西方の民族の進出によって混血が進んだ大陸・半島縄文人が日本列島に逃れて来た為に、縄文系遺伝子が減少し、弥生人(和人)となった。

* 沖縄(ウチナンチュウ):島しょ地域の為に他民族の侵入があまりなく、前述の理由による本土の和人によって縄文系遺伝子が減少し沖縄人(ウチナンチュウ)になった。

 これが合理的な解釈ですが、後から来た民族の混血が正当な「先住民族」になるのなら、上記の解釈は間違いと言えます。但しその場合は、私の家系は少なくとも5世代続く北海道の土人ですが、現在の北海道住民は「知事も含めて」その多くはドサンコでは無く、後から来た民族が「先住民族」になるのなら、本州民族が「北海道の先住民族」になってしまい、訳が分からなくなります。

 後日、「男系遺伝子ハプログループ系」の特徴について書く予定です。



「五徳」 と 「中華」

2021年05月20日 | 歴史
 一般的な五徳は、鉄製で丸い輪に足が三本付いていて、炉などの熱源の上に置き、鍋やヤカンなどを載せて加熱に用いる器具ですが、七輪と同様にその数字と機能とは関係ないように思えます。しかし、構造上の三本足は合理的で、本体や置く場所に多少の凸凹が有ってもガタつく事無く安定して立つことが出来ます。

 恐らく、世界中で似たようなモノは有ると思いますが、他国から教えて貰わなくても、合理的な構造なので独自に作っても同様な構造になると思います。「必要は発明の”母”(ジェンダーフリー的に書くと”親”か、或いは”子を産む主体”)」と言うように、不要な場合は作られません。

 ところで、五徳と言えばよく言われる、中国から日本に伝わった儒教で、
「五徳(温・良・恭・倹・譲)」や「五常の徳(仁、義、礼、智、信)」により「父子、君臣、夫婦、長幼、朋友」の五倫の道を全うする教え、とされています。

 但し、
上の説明には矛盾があり、儒教が日本に伝わった時代には「中原」と云う概念は有りましたが「中国」と云う地域は存在せず、当時の支那大陸の統治・社会システムには「五徳」「五常」が無いからこそ、必要性から生まれた儒教と言えます。最初から「道徳」が有れば孔子も始祖にはならず、儒教が生まれる必然性も有りません。

 「儒教」が生まれたのは紀元前500年頃で、春秋・戦国・秦・漢・魏・呉・南朝宋・・等々次から次へと同時期にも複数の王朝が乱立し、世が乱れると共に広まり、日本に伝わったのは「学問」として5世紀(南宋の時代?)とされています。伝えたのは「支那大陸」に住む支那人だとは思いますが、同時期に幾つもの國(地域)があり、伝えた人が「宋人」だったのかは判りません。ましてやまだ存在しない「中国人」で有る筈も有りません。但し、古事記によると、論語は百済から3世紀に伝わった事になっています。

 「南朝宋」以降も支那大陸には、隋・唐・元・明・清・(中華民国:王朝ではない)・中華人民共和国・・・等々、次から次へと複数の王朝が乱立していて、「儒教」が役に立ったとは思えません。今では「中共」が「儒教」を利用し宣伝・工作機関として世界中に孔子廟や孔子学院を建てまくっていますが、元々は「儒教は革命に対する反動である」として禁止されていました。

 また、「中国」には地域名以外に、中華文化(文明)の及ぶ概念上の中心である「中原」「中州」「中土」等の意味もあり、文明の及ばない地を「化外の地」としています。ただし、「中原」にしてみれば「化外の地」は現在で言う「領土外の土地」ではなく、「天から天子に与えられた領有地だが、未だに文化が及ばない地域」に過ぎず、現在に至ります。

 この事から、当然「全世界は中原の領有地」と言え、「化外の地」は「中華皇帝」の能力不足により統治しきれてない地域と解釈され、近くは「台湾・日本・東南アジア」から遠くは「欧州・アメリカ」まであります。

 つまり、日本が「支那大陸」を「中国」と呼ぶことは、意味の取り方によっては、日本が中華圏に属する事を認める事になります。この「中国の二義性」には注意が必要で、「漢委奴国王」の金印もその意味の取りようでは「日本は古来から中国の領土である事を認めていた」証拠とされます。

 日本では「儒教」にも二義性が有り、「宗教」として非課税の対象になり、「学問」として公的補助の対象にもなります。沖縄の孔子廟(久米至聖廟)は、この二義性を利用したのですが、今年の3月に「憲法20条3項に反するとして公園使用料の全額免除は違法」との違憲判断が下されました。但しこれは、この施設の管理者が民間人で、実際に「宗教行為」を行ったからであり、他の孔子廟などの「(過去の)宗教関連施設」で国家管理の場合は問題は無いとされています。

 取り敢えず「儒教」の二義性の分離には成功したのですが、未だに「中国」の二義性は利用され続けています。一刻も早く「中共」の侵略・支配地域である「チベット・東トルキスタン・南モンゴル・満州」を分離して「中国:中くらいの国」を正式国家にすべきです。それなら、自ら「中国」を「中華」と言っても、放って置けば済む話です。



「皇統」 と 「皇統譜」

2021年05月03日 | 歴史
 伊邪那岐神(イザナギ:男性神)と伊邪那美命(イザナミ:女性神)が日本国土や神々を生み、イザナミが黄泉の国へ行き色々あって離縁が成立した後に、イザナギが「男手一つ」で後の多くの神を誕生させ、最後に「三貴神」が生まれました。その「原材料(成分)」は以前書きましたが、

左目の「めくそ」:天照大御神
右目の「めくそ」:月読命
「はなくそ」  :須佐之男命

です。

 その後、天皇が生まれ「皇統」が成立するのですが、今では「直系」「傍系」に対して様々な「人権の制限」が加えられています。勿論、天照大御神の直系子孫なので、「神権」は有り「人権」は不要なのかも知れません。

「戸籍法と選挙権・被選挙権の関係」では、天皇・皇族は「戸籍」ではなく「皇統譜」に記載されていて「公職選挙法附則第2項」「地方自治法附則抄第20条」に「戸籍法の適用を受けない者の選挙権及び被選挙権は、当分の間、停止する。」と定められている為、天皇・皇族の選挙権・被選挙権は無いとされています。(戦後、皇族に関しては一時期「選挙権」は復活しましたが、現在では無いようです。)

 また「戸籍法の適用を受けない者」には、戦前に日本人であった「台湾籍・朝鮮籍・樺太先住民(アイヌを除く)など」が、戦後に選挙権を失った人たちに含まれます。その内の「樺太先住民(アイヌを除く)」は「土人戸口規則(大正10年樺太庁35号)」で規定された人々を指し、当時の法律用語では「土人=先住民」である事が分かります。

 戸籍法上では、「天皇」と「樺太先住民(アイヌを除く)」は法律上、同じ扱いを受けることになります。

 政府は「万民平等」を願っていても、万民自身がこの「平等」の概念を理解出来なかったりで
「人類館事件」などの騒動が頻発しました。沖縄県出身の言論人「太田朝敷」が、

「特に台湾の生蕃、北海のアイヌ等と共に本県人を撰みたるは、是れ我を生蕃アイヌ視したるものなり。我に対するの侮辱、豈これより大なるものあらんや」

と、平気で「差別用語」を使用しても「ポリティカルコレクトネス」として叩かれる事も無く、寧ろその「主張」が通り博覧会が縮小されたようです。

 ところで、天照大御神の子供に天忍穗耳尊(あめのおしほみみのみこと)がいて、その玄孫(4代目)が初代天皇の神武天皇です。つまり、天照大神の来孫(5代目)になります。また、神武天皇の子供に神八井耳命(かんやいみみのみこと:次男)と神渟名川耳尊(かむぬなかわみみのすめらみこと:三男、二代 綏靖天皇)が、そして異母兄の手研耳命(たぎしみみのみこと:長男)がいます。

 つまり、神武天皇は神代「耳尊」の直系の子孫で、神武天皇の三男「耳尊」以降が「直系」の皇統になり、二人の「耳命」が最初の「傍系」になります。何方が左右なのかは判りませんが、

「耳尊」の神:直系
「耳命」の神:傍系

と、神代の神と違って「みみくそ」の権威は無いようです。

 また、噂によると、色々と大人の事情があって(異母)兄弟同士(戸籍上は継親子でもある)の争いで「手研耳」は殺されたとされています。


「地名」 と 「領土」

2021年03月02日 | 歴史
 モンゴロイド系先住民であるインディアンやインディオが住んでいた広大な土地には、白人が「新大陸発見」をし、そこを「アメリカ大陸」と名付ける迄は大陸としての名前は無かったとされています。恐らくは、先住民が自ら居住する「大地」を意味する先住民語での「地名」は有ったとは思いますが、現存の先住民も「アメリカ大陸」を容認しているようなので、白人に発見される前の「歴史」も、アメリカ大陸の歴史と言っても良いと思います。

 これは、13世紀の蝦夷(今の北海道)に突如現れた、「日本政府が先住民族と呼ぶアイヌ」にも同じ事が言えて、自分たちが新たに住み始めた土地には「特定する名称」は無かったようで、自分たちの縄張の特徴を自分たちの言語で表現していたようです。ただし、アイヌには文字は無く、少なくとも5部族以上あってお互いに言葉は通じなかったようなので、現在の「アイヌ語由来」の地名には「幾つもの説」が存在します。

 「記紀」によると現在の北海道は、8世紀以前から「和人が付けた地名」である「蝦夷(エゾ)」や、その一地域である「後方羊蹄(シリベシ)」などの地名が有ったのですが、他国からの侵略の可能性が少なかったために、本格的な開拓は為され無かったようです。

 しかし、現在の尖閣と同様に「意識的に開発」しない場合でも、自国領土としての権利を放棄した事を意味しません。但し、違法・適法を問わず後から移住してきた人を「管理」出来なければ「施政権の放棄」と見做され、国際社会は領土とは認めません。

 
1609年に琉球が薩摩藩に統治され、正確な位置は確認できませんが現在の「魚釣島」は「釣魚島」と名付けられていたとされ、支那大陸側は今でも「釣魚島」と言っているそうです。尖閣諸島は1895年1月14日に「国際法」に則り日本領に編入され、1919年には遭難して「魚釣島」に漂着した中華民国の漁船の乗員を島民が救助したことから、中華民国駐長崎領事から石垣村長らに感謝状が贈られました。そこには「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島」と記されています。つまり、日本が「尖閣列島(現在は尖閣諸島)」と名付けた「地名」を「中華民国」が認めていた事で、「尖閣諸島は日本領」である事が証明されています。

 日本政府が正式文書で「尖閣諸島(中国名、釣魚島)」と書くと、中国は「日本は釣魚島が中国領である事を認めていた」と主張できる余地を残すことになります。例えば、「日本(米国名、Japan)」とか「日本海(韓国名、동해:トンヘ)」とは書かないし、「英国(英国名、 United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland:UK)」は不自然です。元々「魚釣島」も「釣魚島」日本が名付けた名称です。

 南千島(北方四島)を除く千島列島はロシアとの条約で帰属が決まったので日本列島の一部と言えるかどうかは微妙ですが、戦後の条約による約7年間のGHQ統治を除いて、日本人以外が統治した事が無い日本列島は、文字が無かった時代から「日本の歴史」と言えます。

 台湾や朝鮮半島は「日本の歴史」には含まれず、「日本が統治した時代」が有るだけです。若しも「日韓併合によって韓国は日本になった」とすると、現在の韓国から見ると「韓日併合によって、日本は一時期、韓国の領土だった」とも言える事になってしまいます。

 現在の支那大陸は中国共産党によって70年間ほど支配され続けていて、大きく分けると「中華人民共和国」「満州」「チベット」「東トルキスタン」「南モンゴル」があり、「地名」は時代によってそれぞれ違っていても、その地域に住んでいた「民族」が其々の方法で統治していた「国」です。そしてその「地名」に相応しい「歴史」が有るので、「中国4~5千年の歴史」はウソです。

 歴史を柔軟に解釈し、「秦」が中国の歴史」の始まりとしても3千年ほどで、しかも途中で何度も外国勢力に統治された時代が含まれているので、その分を差し引くと「中国としての歴史」は2千年にも満たないと思われます。支那大陸の歴史は数万年以上確認できますが「中華人民共和国」の歴史は70年程です。