一見すると「政府」の対立相手は「野党」の様に思えますが、実際には「与党」です。現在の「野党」は「現政権」がひっくり返っても、決して「政権」を取る事も・執る事も出来ません。精々、政府批判をして報道機関に「顔出し」して、一部の「情弱」に活躍風景を印象付けるだけです。
一方与党は、現政権が倒れると首相を始め多くの大臣が入れ替わる為、新政権のメンバーに加わるチャンスが到来します。実は、野党の「政権批判の主張」は政権与党にいる「干された反主流派」を代弁しているだけで、時たま、野党の批判に対して与党のメンバーが同調したり補強する風景を見ますが、「やっぱりネ」と頷けます。
権力欲は兎も角、与党の中にも国民の為に政府の間違いを正そうとする勢力も見られますが、その意見が結果として「現政権を利する」と思える時は、多くの場合、野党は同調しません。
そこが「政府の思案のしどころ」で、政府が10欲しい時は20と言い、0と主張する野党との中間の10を得ます。この「やらせ」を情弱な人が見れば、野党も頑張っているように見えて一定の支持を得ます。これで野党は少数安定を保ち、政権を執って恥をかくことも無く、安穏としていられます。
この役割分担は、何かの間違いで3年間ほど空白が有りましたが、「55年体制」と言われた時から今でも続いています。
若し、憲法が民主的に正式に成立したのなら、本来は、革新的な野党が「憲法改正」を、保守的な与党が「憲法護持」を主張するのは当然で、当初は、共産党は「GHQの押し付け憲法」に反対し、吉田首相は憲法を盾に「GHQの命令」を拒否しました。これは「昭和憲法」の正当性を国民に知らしめることに役立ちましたが、時が過ぎるにつれて国民が「昭和憲法」には正当性が無い事に気が付き始めると、今度は政権側が「憲法改正」を言い始め、野党側が「憲法護持」を主張し始めました。
まさに猿芝居で、白人が日本人を見て「Yellow Monkey」と言うのにも頷けます。勿論、私は「戦前の白人」に生まれるくらいなら「日本猿」に生まれた方がましと思っているので、これは自虐ではありません。
それはさておき、現在の「政府」と「与・野党」ともに、このような「猿芝居」を続けて次の選挙で落選するのは良いとして、更に訳の分からない「外国推し議員」が誕生する可能性もあり、注意が必要です。
「60年安保」や「70年安保」の反対闘争・大規模デモが、無も知らない学生たちや組合の動員であったことが証明されている現在に於いても、「 #検察庁法改正案に抗議します 」のツイート500万件を超える状況です。この500万人が、芸能人も含めて「検察庁法改正案」の分厚い書類を読んだとは考えられません。当然「動員」である事は容易に想像出来ます。
「既存メディア」の影響力が小さくなったら、今度は「ネットメディア」を最大限利用する「反日勢力」です。これが、選挙の投票日直前に行われたら、どのような結果になるかは、想像に難く有りません。
