テレビとうさん

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「生物学的合理性」 と 「科学的合理性」

2021年12月03日 | 科学
 「高レベル放射性廃棄物(通称、核のゴミ)」を地中深く埋設処理しても、数万年間の地殻変動により漏出するとして、反対運動が行われています。それ程の地殻変動が起これば、地上にある原発施設は一たまりも無いのですが、反対派は心配していないようです。

 万が一埋設処理した廃棄物が危険になった時には取り出す事も考えているようですが、今のところその技術は確立されていないとされ、反対派は埋設は危険だとしています。当然、それよりも現存する地上の核施設の方が危険なのですが、その地域に原発が無くなるのは、何故か嬉しくないようです。

 環境活動家は、少し前までは森林伐採はダメと言っていましたが、ソーラーパネル設置の為の森林破壊には何も言いません。これを含めて、環境活動家の言い分を整理すると、

・原発はダメ、最終処分もダメ。⇒既存の原発は発電しないで保存。

・化石燃料による発電はダメ、二酸化炭素の排出もダメ。⇒水素発電での、CO₂よりも温暖化係数が高いH₂Oの排出は良い。

・間伐材による割り箸の生産はダメ。⇒森林全体を伐採して、ソーラーパネルの設置は良い。

・石油廃棄物を利用したレジ袋はダメ。⇒石油化学繊維で出来たヒートテックは良い。

と云う事になります。日本が得をする政策はダメで、損をする場合は良いと云う事なので、「環境活動家」のお里が知れます。

 これらを主張する人には何を言っても無駄なのですが、それで飯を食っているプロは金で解決できます。厄介なのがウソを信じ込んでいる人民で、信条・信教の自由が保障されている「民主主義国家」では、納得させる事は不可能です。

 更に、「民主主義」で解決しようとすると過激化し、手の施しようが無くなります。現在では、「正しさ」は自分の思う正しさを言い、多数決で決める事が出来ない「新自由主義」が主流のようです。

 「新自由主義」とは言っても、政府の介入具合によって「ソーシャルリベラリズム」から「ネオリベラリズム」まであって、何れも「自分の自由によって、他人の自由が犠牲になる」と云う、弱者が不自由を強いられる思想です。

 ここで言う「弱者」とは、「声の小さい人」や「資産の無い人」の事で、例えばフォロアーの少ないブログなどで好き勝手な事を言っている私も含まれますww。勿論、数千万人のフォロアーがいたトランプ正大統領のSNSですら無視をされているので、フォロアー数の多少は関係ないのかも知れません。

 これらの矛盾は、絶対に正しい「共産主義者」の信念の強さと、間違いを犯す可能性を容認する「民主主義の信奉者」の力関係から発生すると思われます。

 「民主主義」とは、最大多数の国民が代表を選出するのですが、これを少数の人民も利用できるシステムなので、人数では無く声の大きさが政策を決定します。「共産主義」は、人民が関与することなく正しい政策が実行され、共産党員は無制限の資産を保有することが出来ます。

 「共産主義」を含む「新自由主義」は、有能なヒトが無能なヒトを統治すると云う、極めて合理的な生物界の支配構造と言えます。但しこれは、原始的なヒトの「生物学的合理性」であり、社会的に成長した人間の「科学的合理性」とは違います。「人でなし」と言った方が分かり易いかもしれません。




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