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肩に付いているのは、スペイン語を日本語に通訳してくれる通訳機(機械がやってくれるのではなく通訳さんが同時通訳してくれます。)
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オルベアの自転車にROTORのクランクがついた自転車です。(どちらもスペインのメーカー)
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ペドロ・デルガドさんはこんな方です!
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%89%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%89
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1988年のツール・ド・フランスの覇者であり、1989年も当然の如く、スタートからマイヨジョーヌを着て連覇を狙っていたのにプロローグの出走サインの時間に遅れて、2日間で8分も遅れた。
人生には、病気とか、予期せぬ出来事とかあるが、そこからどうやって気持ちを入れ替えたのか聞いてみました。
非常に聞きにくい質問でしたが、、、。
1989年は8秒差で優勝したグレッグレモンとローランフィ二ョンにフォーカスされがちですが私は何故?スタートに遅れて最終的に3位になったのかどうしても知りたかったのです。
本人曰く、1989年のツール・ド・フランスも当然勝つつもりでいたそうです。
現地では2時間も前に準備をしてアップをしていたそうです。
本命なので、マスコミ等に写真を撮られたり、インタビューされるのを嫌って少し離れた場所でアップをしていたら時間に遅れてしまったそうです。
悔しくて2日間眠れなかったそうです。
その2日間で、合わせてトップから8分遅れたそうです。
その時は「家に帰りたいと思った。」との事でした。
そこからどうやって立ち直ったのか聞いてみました。
デルガド曰く
「このまま走りたくはないが、、、
セゴビア(Segovia)⇒スペインの故郷にこのままでは帰れない。
自分を応援してくれる人の為に、最後まで戦おう。」と決意したそうです。
そして迎えた「第6ステージ」前に自分に言い聞かせたそうです。
「ペドロ、お前はまだフィジカルを高めることが出来る!」と、、、。
何度も何度も自分に言い聞かせたそうです。
そして、最終的には3位に入賞するまでになったとの事です。
タラレバですが、初めの8分のロスがなければ優勝していたはずでした。
気持ちの切り替えって大事ですね。
今回は何故、日本にやって来たかと言うとデント病
という難病を患っているナチョ君を助ける為、お母さんのエバさんとチャリティーの為に、富士山ヒルクライムに参加しに来たそうです。
ペドロ・デルガドさんは、とても優しい人です。
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「1986年のツールでは総合で表彰台を狙える位置につけていたが、レース途中に母親が亡くなったとの知らせを聞きその場でレースを棄権している。この2年後、NHKのツール特集番組においてリタイアのシーンが放映されており、デルガドが敬虔なクリスチャンであることや貧しい家庭ながら大切にしてくれた母親を思う気持ちが強かったことなどが紹介された。また、同年のサイクルスポーツ誌におけるデルガドの特集記事ではインタビューにおいて、「亡くなった母親の待つ故郷のセゴビアに一刻も早く帰ってあげたかった。」と当時の心境を語っている。」
ウイキペディアより
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お母さんのエバさんとはセルバンテス教会で知り合いになったそうです。
デント病と言うものがあるという事を世間に広く認知して貰う為&ナチョ君を治す為の治療費集めも兼ねての来日だそうです。
因みに、オルベアとROTORを購入する事も広義の意味合いでチャリティーに参加していることになるみたい。
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m(_ _)m
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