プラハの街のいたるところから、民主化を求めて闘った学生たちが路上へと溢れ出し、喜びのシュプレヒコールをあげる。ところが、それはソ連の巧妙な作戦だった。いったん引き上げたかに見せた戦車は再び、プラハの街へと侵入する。それからのシナリオは最悪だ。ちりぢりになって逃げる学生活動家たち・・・ソ連の屈強な軍隊を相手にしたら、勝ち目はない。ロシアのチェチェン紛争だって、同じことだ。
チェコ旅行中、プラハで地下室のレストランへと案内された。階段をいくつ降りただろうか・・・地下3階だか、4階だか、よくわからない。途中の階段も暗いし、迷路のような構造だった。地下深いレストランはライブハウスといった雰囲気だった。料理はビーフストロガノフだったかな、美味しかった。ジョッキ一杯のビールがサービスだった。一般的に考えれば、地中深いレストランは、ビールをサービスして、日本の観光業界への進出を企てているのだと思う。
だが、歴史を振り返れば、別の見方もできる。ここはかつて、学生活動家たちの極秘のアジトだったんじゃないだろうか・・・ソ連の戦車が退却したぞとの報を受けて、階段をあがり、地上へとくりだした若者たちは目の前に、ソ連の戦車を見たはずだ。なんて空想が馴染まないほど、プラハの街は洗練され、人々の笑顔も印象に残った。旅するたびに、さまざまな思いはつのる。次はどんな街を歩いているのだろう。
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プラハ・なにげない街かど