私が二人と共に働いたのはほんの1年余り。語り合う事柄は44年も前のことである。だから、3人の記憶の断片が右往左往にとびかい、笑いにくるまれた。彼らとの交流が復活したのは毎年、ホームパーティがわりに開く手作り市場のおかげだと思う。それでも、千歳船橋まで来てもらうには長い時間がかかる。そう考えると、なんて心優しい友だちと巡り合い、生きてきたのだろう。これじゃ、まるで死に際のセリフみたいだけどネ。
夫との別れは突然だったので、いまだに、死が意味することを理解できないでいる。雑務に追われて、忘れているなんて嘘だ。夫と妻との交流って、良いことも悪いことも全部ひっくるめて、深いものだと思う。今週末の納骨を終えたら、あとは、1回忌や3回忌の法要はランチパーティに親族が集う・・・そんな交流の場にしたいと考えている。できるかしらん。昨日のお昼は昔の同僚にご馳走になり、悩みのあれこれまできいてもらったけどネ、私。
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昔の同僚が届けてくれたアレンジ