ヨーコが体調不良です
どうしたらいいと思いますか?
ヨーコの病をなおす方法は あんまりないと思うんですが
あっても ひとつふたつ
それがわかればいいのですけど
姉の方は、いたって健康なのですが
正しい道を歩いてるふりして
実際は いまどこにいるか わからないそうです
案内人 ミザリィ
どうしたらいいと思いますか?
ヨーコの病をなおす方法は あんまりないと思うんですが
あっても ひとつふたつ
それがわかればいいのですけど
姉の方は、いたって健康なのですが
正しい道を歩いてるふりして
実際は いまどこにいるか わからないそうです
案内人 ミザリィ
http://blog.goo.ne.jp/whereitsat/
…さて、この先はどうとでもなるし何が面白いんだ?とお思いの諸兄は、明日仕事の帰り道、とある曲がり角を曲がった所でいきなりタッパが2メートルぐらいあって横幅も1メートル以上ある巨大なウサギに担がれ、道にポッカリ空いた穴にポイッと投げ落とされます。そこはたまプラーザからバスで7分、そのバス停から歩いて7分のどこかに通じていますから、どうやってそこから帰るのか。(おわり)
『水の女』
『十九歳の地図』
中上健次
『花ざかりの森・憂国』
『真夏の死』
三島由紀夫
上記中、中上であれば「赤髪」、三島であれば「女方」。女性へのアプローチ方法a la carte
どっちも凄い域に達していてただ驚愕するしかないのだが、真面目にこの二人は女性を考えようとしているように俺にはみえてならない。
あんまし男が女性を真面目に考えたものはないよね。実際のところ。
イミフメイ。
ノー。
『1Q84』の3巻がデタデタと世間じゃ大騒ぎらしいがわたしはおうちで三島と中上の短編をザクザク読んでいる割と居そうなタイプの紋切り型ダメさを発揮していたり。ダメ過ぎてダメじゃないんじゃないかとか思っちゃうぐらいの自閉。会津藩のこととか考えて天皇?外国人向け原宿のゴスロリ軍団を産んだのは誰? あの、あすこの写真の大量掲示と並べかたは俺にしか意味わからないでしょう?…てかアタマイイネ。
…閑話休題。
ダメだよね?
ダメじゃない?
生きてる?
ねぇ生きてる?
「いや、死んでた」
むずかしくて、読むのにすごく時間がかかった。つーか疲れた。疲れる内容なのです。疲れる内容って、まあ要するにホントのことばかり云うって事だけども。
炎天下の砂漠をさまよう→自宅でくつろぐ→戦場の最前線で砲弾をくぐり抜ける→うまいモノを食いながら一杯やる→冬山で遭難→温泉旅館でのんびり→崖っぷちで強風にあおられる→休日の朝寝→北朝鮮に拉致される…(以下エンドレス)
を、好き好んでやるやつなんていない、だなんて思いもしないような人も実はマイルドにそうしてんですよ、っつうはなし。
『なぜわたしが見ず知らずの中学二年生の女の子にお酌されることになったか、の、全体の話の前半・三分の一ぐらい』
深夜2時。
中学二年生の女の子の母親は赤茶けた、つやのない髪で、四十代で、奥歯がなかった。その母娘はソーショクケー男子の悪口をいっていた。五十がらみの汚い男がその母娘におまんこ、を連呼しながら母娘の味の違いを確かめさせろ、と絡んでいた。娘に処女かどうかをしつこくきいていた。母娘はシモネタには慣れている、と云い、笑いながら男の相手をしていた。全く娘は動じてなかった。そういうことを普通に見てきた顔をしていた。娘は母親のいままでの無軌道な男関係をすべて把握しており、あんときどうだったあーだったをペラペラ喋り出した。その母は突然、娘の初潮前の破瓜(!)をその場の皆に明かした。男は自分の長男の前で妻とは別の女と姦通した話をし、その長男には孫が出来たと言う。
そのへんまで話が深くなってきた頃、話に加わらず独りで店主相手に騒いでいた痩せぎすの女が急に椅子を蹴飛ばし、わたしの足に激しく当たった。女はわたしの背中に全力で頭突きしてきた。女はわたしすら見ていなかった。わたしの向こう側にいる何かをみていた。女は謝るでもなく怒るでもなくわたしの向こう側をぼんやりと見ていた。わたしは腹が立つより驚きでリアクションもしなかった。すると女は、カウンターに自分の頭を激しく打ちつけ動かなくなった。パーマのかかった長い髪を倒れたウーロンハイが濡らす。
…小沢健二の『うさぎ!』を読み返して、今の私と同年齢ぐらいの時の作品として、なんか隔たりというか、違和感を感じた。私はそっちじゃなかった。私はこっちだった。確実にこっちの住人…広告的言説が身に染みない方だった。寓話、の捉え方が違かった。整合性、みたいなものが違かった。グローバリゼーションの捉え方が違った。シンボライズされたものを楽しめなかった。『うさぎ!』でシンボライズされた悪は私にとってどってことなかった。私にとっての光明はユーホーと白蛇のヒロコと同じ側のなんかだった。小沢健二の側だったら楽だった。私はインテリの内輪言語が嫌だ。私は霊とタテのつながりを感じている(小沢健二はヨコを感じている)。私は小沢健二のファンみたいな女が多分嫌いだ。でも小沢健二のファンみたいな女はマイノリティだと思ってるマジョリティだからそこかしこに居る。わたしはケンジはケンジでも小沢健二じゃなくて中上健次の方だった。けしてポップカルチャーに対するメインカルチャー礼賛でないことはご理解頂きたい。なんなら小沢健二のやってんのはメインカルチャーのサブ的再解釈である。小沢健二自体は好きである。ただ資質の問題をフィルター抜きで考えなしにだだ漏れ話してるだけである。 私は古びた喫茶店の隅で方眼紙にミッチリと機を織るように誰が読むとを知らず細かすぎる物語を組み立てている、過敏なくせに図体のデカい男、の存在理由を思うと真剣に泣けてくる。なぜだろう、と。
私の行く末は多難である(爆笑)
『セクシュアリティの心理学』小倉千加子(有斐閣選書)
「不妊」の問題にフェミニズム思想(というか運動?)の弱点が集約されている、という小倉氏の指摘はすごく面白かった。構造主義的知性に基づいたフェミニズムは強者の理論であり、旧来的な女性の役割の中にセクシュアルアイデンティティなりセクシュアリティなりを持つ女性を救わない。それは問題では?という指摘は重要だと思う。あらゆるセックス、ジェンダー、は社会装置の中で「設定」されていく種類のモノかもしれないが、セクシュアリティ、は流動的でモヤモヤしたものなのだ。セクシュアリティ自体は啓蒙したりされたりする種類の事柄ではないだろう。旧来的ヘテロセクシュアル男性、という設定を必要とする旧来的女性。またその逆である、旧来的ヘテロセクシュアル女性、の設定を必要とする、旧来的男性。そのへんを包括し、排除しないで取り込んで考えていく思考ベクトルがフェミニズムには必要だろう。「違います!そこ考えてるから批判してるんです!」という人ばかりな気がするけど不妊とかレイプ被害とかに心情的シンパサイズ出来ない思想だったらフェミニズムいらなくない?
…とまあ、フェミニズム限定だとそんなふうに言えるけど、俺は男のバカとか男の自己保身的日和見主義が大嫌いだから、旧来的な男の弱者も大嫌いなんだけどさ。でもまあ、ちょっと、そのへんも考えてみようと思う。革ジャン着てアメリカン乗ってる感じの男も許してみよう。…いや、まだ無理!(笑)
フェミニズム目線で中上分析したものがあれば是非それは読んでみたいのだが、ないのかねそういうの。ある気がするけどみつかんない。あくまで男の構造主義的観点を捨てずに、同時に女になれた作家は中上以外にいるんですか?誰か教えてください。
『軽蔑』中上健次。
再々読、ぐらいか。
…才能っつーかさ、ほんとうにどうなっていたんだろうかね?1991年の作品なんだよね。しかも割と話題に上がらないんだよねこれ。
でもさ。
ここまで精緻な構成力って、何?それに女が憑依しているとしか思えない臨場感、何?どのパーツも一切無駄ないよね。普通、あるじゃん、長編だとさ。
…ほんっと、怖い。
…霊、じゃない(よね?)。
あと、ひらのくんはよく飲み屋の女将に「おかーさん、美人ですね」と言っているが、あれはいったいどういうことなんでしょうか。…美人って何なんでしょう?
あと、ひらのくんはよく飲み屋で怒られてますけど何で怒られるんでしょうか?基本的には礼儀正しい人なのでそれも不思議です。
こないだも(っても結構前か)ピンクのTシャツで焼き鳥を焼き横浜市歌を歌う女(問題アリ)に怒られてましたが、ぼくはとなりで、なんで怒られてんのかしら?と、その時は思いました。
でも後々考えるとそれらは怒られているのではなく「そっから入らないで!」とゆー相手方のかるい悲鳴みたいなもののような気がします。
なんつーんですか、抱く気もないのに私に優しくしないで!もう、バカっ!みたいな事じゃないですかね。抱く気がない感、が有りすぎるんじゃないでしょうか。抱く気がない感っつーか宇宙の話をする感っつーか。宇宙船地球号の乗組員感っつーか。メーテルの髪の毛が邪魔で星が見えないって云いそうだし。ピースボートをジャックしたら浜金谷に向かえ!って云いそうだし。マザー牧場のマザーって誰?とか云いそうだし。南房総市、とか認めなそうだし。
そんなひらの監督に撮られたい女優志望の方いらっしゃいましたら出身県とおばあちゃんとの思い出をメールしてください。たぶん出れます。
ジム・キャリー主演の『トゥルーマンショー』という映画をご覧になったことがあるだろうか。
前述『近代の奈落』の中程、紀州新宮編で宮崎氏は中上批判(あくまで中立的なものではあるのだが)を展開しており、読みようによってはなかなか辛辣なのだが。
『トゥルーマンショー』の世界の外を見てみたくなる衝動、舞台のほころび、とか舞台のおわり、みたいなところに目がいっちゃうのって、ある種の作家には宿命な気がする。
その舞台の「外」から路地が完結したものであってほしい、との中上発言を進歩的文化人の範疇を超えていない、と宮崎氏は批判する。路地の問題に特化すれば一面的にそれって確かにその通りなのだが、中上の作品群が俺に語りかけてくる印象は「舞台の内側も外側も所詮かわらないから、隔てられているように見える、そのほころび部分からその垣根を壊したい、穴を広げたい」という衝動なんだよね。 「世界はいつまでもギリシア悲劇を上演している」と最初に言ってから始めてるわけだから舞台とか舞台のおわり舞台のほころびを意識してないわけないと思うんだけど。
…朝っぱらからこんなふうに時代的なアクチュアリティーのないことばかり考えてる自分はただのヒマ人なんじゃないだろうか。そーゆーのやめないけど(笑)
…アウトロー文庫って(笑)
この本は何回目だろうか。氏の著書はどれも生きること・生き延びることへの具体的な希求が書かれているように私には思えるし、ノンフィクション/ルポルタージュでありながらフィクションとして私に語りかけてくる。語りかけてくる、というものは何だろうか?私は誰かに語りかけ、ているのだろうか?
近代の奈落、とは近代によって周辺化された人々による市井の思想・闘争の場に外ならず、氏はその奈落にこそ豊饒な物語の泉源を確信している。確信している者は強い。私にその強度はない。その強度はないが、そういった強さへの希求があり、若干の反発がある。反発というか、ノンキさというか差し迫って無さっつうか。
依って起つべき場所、氏が言う草の根、という反近代的生きることの泉源、みたいなことは私だとて無い頭ですごく考えるのだが、私はまだそれを探し切れてないのだ。それが不幸であることぐらいは私にもわかってきた。
『サラエボの花』
『やわらかい手』(再見)
や。破綻ない佳作たちですよ。素晴らしい。何ひとつ文句は言うつもりないんですけども。
…で、思うのは、やっぱり女しか話にならないんでしょうか?…という。それは私が凡庸な男だからなんでしょうか。
これらをみて何故か頭に浮かんだ宮沢賢治は「家族」なり「その一家を構成する多感な男の子」を世界中あまたある女の物語からでなく、フロイト的エディプス構造の中で紡いでるんだよね。なんかそういう感度のいい男の子がフロイト的エディプス外から「家族」を紡ぐ場所は、もしかしたら賢治的エディプスの後に広がる景色なのかもしれないな、とか思った。その、賢治的エディプス後とはなにかと言うと…
いやはや、そんな簡単には。
平明に書かれた心理療法ガイド。なんかわからないが、真ん中らへんの著者自身のセミナー参加遍歴がめちゃくちゃ笑える(至ってまじめな本です)。なんかわからないけど笑えるものってやっぱ何かしら重要な提言がなされているものだと思う。そして、なんかわからないけど著者にシンパシーと敬意を感じた。なんかわかんないけど。
気持ち悪くなったので(絵は実物じゃないとわからないし)
『出雲の阿国』上・下巻:有吉佐和子(中公文庫)
…おもしろいなあ、これ。…とかってところがダメなんだよね俺は。凡人なんだよねぇ(笑)
フェミニズムにせよラカン派にせよ、先鋭化された思考が具体的に象徴界(笑)においてわたしたちに指し示す行動規範はマイノリティたれ、という事ではなかろうか。マイノリティとはニーチェが言うなら強者、と言い替えられると思う。生き延びる、とは、そのまんまでいてデビッドリンチの世界とリンクしている事であり、それを殺すことであり、門を曲がったところにある何かに怯える事であり、それを笑うことであり、それがそのまま物語や物語的イメージに脳内で変換しないことであり、ある時はバラバラに物語る事であり、暴力を拒否する事であり、固体化する欲望であり、固体化する欲望は存在しない欲望に過ぎないと知る事であり、フィクションが現実でノンフィクションは現実風味だという事であり、
…まあ、この辺でやめるがマトリックスみたいな話をわたしたちが実は生きているのが現実らしい、からマイノリティは正しい。みたいな訳わからん事言ってどないすんねん。どうしようもないがおれは元気でた。フェミニズムとラカンは偉大だ(ナニイマサラ)。
ラカンの名言
「女は存在しない」
『生き延びるためのラカン』斎藤環(バジリコ)
生き延びる、とは何事?生き延びるためって何?と思い両方読んだ。
両者を読書中、終始ミンデルの『炎の融合ワーク』がチラチラ頭のスミに浮かんでいた。あと宮崎学の『近代の奈落』もチラチラ浮かんだ。
生き延びる、
と、
生きる、
の違い。
とか、
同じ部分。
とか。
女性は「ばかじゃないの!」と云うのだろうが、多分大方の男性はそんな情景を心の中に持っていると思う。強く、原風景のようにそんな情景を男はもっているのだが、そんな店に俺は未だかつて出会ったことが無い。つーか、そんな店あんのか?ねえよ!ってなコンセンサスが男には成り立ってっから「舟唄」は時代にすたれない日本のブルーズ足り得ているのではないでしょうか。
ちょっと補足説明が大量に必要な気はするが割愛!
この討論における三島の網羅・軽妙。そして何より率直さとサービス精神。オープンマインド風味(あくまで風味)。完全に芸人である。誤解を恐れず云えばこの三島由紀夫は過剰に親切なアニキ。ここで討論に参加した、大人になった全共闘はいまこれを読んでどう思うだろうか。
…えーと、だいたいなんとも思わない人がやってたのが全共闘な気がします。
近所がなんかおかしい
どうしよう…
ゴーストバスターズ!
なんかがねじれてて
よくない感じ
どうしよう…
ゴーストバスターズ!
頭の中をなんか通り過ぎてく感じ
誰に相談する?
ゴーストバスターズ!
知らない男がベッドで寝てるっぽいんだけど…
あー、誰に相談する?
ゴーストバスターズ!
君がひとりぼっちなら電話をかけな
呼びなよ!
ゴーストバスターズ!って
曲もいいけど詩がイイ。
いやね、常連客がね、チキンライスと一緒にオムレツも食べたいって言うの、だからあたしもいいよって、上に乗っけたとこから出来たわけ。
「おもいで」と
「幼少期」は
ミザリー・イワザリー・キカザリーの3姉妹みたいなもんである。
例・小沢一郎。
中国詣でも大新年会も「亡霊」の仕業である。多分、というか私は確信しているのだが、あれらは亡霊がやってる事だ。 いろいろあるが、自民党幹事長時代から小沢一郎は亡霊のなんかとしか思えない。彼は「おもいで」と「幼少期」の入るスキがない程亡霊そのものだ。生きているのか死んでいるのか。
じゃあ田中角栄は亡霊だったのか?私はほとんど同時代的に彼のメディア露出をみていないから伝記を読んだ後追いでしかないが、「おもいで」と「幼少期」が大半、「亡霊」少々。みたいな感じではなかったか。田中真紀子をみていると親父さんより若干亡霊度が高い気がする。
亡霊の扱いを誰もわからない訳だからどうしようもないのだが、専門機関としてゴーストバスターズ省というのを国がつくったらいいんじゃないでしょうか。てゆーかどうして亡霊退治の必要性について誰もテレビで言わないのでしょうか? まあ退治の仕方がわからない訳ですけど。
…てゆーか、なんかもはや俺の言ってること通じてんだかどうだかわからないんですけど。誇大妄想?(笑)
ゆで卵は剥かれ落花生は剥かれトーストは焼かれ煮物は煮付けられ
口紅は塗られ気持ちは唄にのりペタペタスキンシップ
際限なく繰り返しまた繰り返し
あなたの前に私はいます。そしてキスをします。
見えますか
徳永英明も玉置浩二も南こうせつもトムヨークもソッポを向いて
何が「大切なモノは見えない」だ!バカヤロー!気づけない奴が格好をつけるな!
早朝、その町の商店街に一軒しかない黒人用品店の黒人がどの店よりも早く店を開け店前を清掃していた。ブルックリンスタイル
♪ただあなたのやさしさがこわかった~
ってどういうこと?
…洗い髪が芯まで冷えるほど待たせる長風呂の男って?やさしいのそれ?そんで風呂あがって「ごめん、待った?」とか聞くんでしょ?
待ったっつーの!
芯まで冷えたっつーの!
でも「ううん、待ってないよ」とか言うんでしょ女は。
♪若かったあの頃すべてが怖かった亡霊がわたしを動かしているようで怖かったあなたも怖かったあなたはやさしいふりをして私をなにも理解していないから怖かったでも一番怖かったのは私自身がどうしたらいいのかわからないのが怖かった~
って歌えば?コーセツは。
次回から。
雪解け水
ゴォーっと
ガマン汁
・・っすよ
きんぴら
会津
すんごい地震がきたらみんな死ぬのに
隕石落ちてきたら絶対死ぬのに
希望を持って生きてるのってすごいなぁ
いや、ただ生きてるだけなんだろうなぁ
希望や夢なんて、あとづけ こじつけ 麹漬け
納豆と麹を混ぜたものを おばあさんが送ってくれた。
作り方も教えてくれた。
昔の農家は冬になると、樽いっぱいに作って冬を越したんだ
おれもむかしは兄嫁に泣かされたんだ
昔は、今みたいに布団も温かくないし、今みたいな暮らしだったらおれの親も長生きしただろうに
6日
ト
ョ
タ
きんぴら
ぬかずけ
カボチャの煮付け
なます
さしみ
ぱすた
さけとば
きむち
が出てきたからうまいと言って飲んでただけだよ。
もちろん喋るよ、お生まれは?って聞きますよ。
年金貰ってるって言ってたけど。
まあひとりだね。
え、一緒に行きたい?フランスから?
文京区生まれだが長野に疎開したからお嬢じゃない新島生まれだから犬の言ってることがわかるような勝田ならまだまし青森です小湊は行ったことある勝浦の朝市では都立大に家族ですんでいる旦那は働き者で上はテレビの前で下は食事中に歌を歌っている署名して下さい息子の名前は書くけど旦那の名前は書けないゴミは他人のまで開けて分別します関係のないことなんて無いから学校の地下にある形だけの防空壕
おでん
きんぴら
ぬかずけ
カボチャの煮付け
なます
さしみ
ぱすた
さけとば
きむち
煮物は作るのに時間がかかるがそのわりに栄養がない。
いいですか、わたしは二階にいます。ご挨拶が長くなりました。メリークリスマス。
深夜0時。31歳の彼女の誕生日にこのbarに集まったのはココで知り合ったという皆同い年くらいの男三人とマスター、と居合わせた俺。テーブルにはサーティーワンアイスクリーム。ホワイトルシアンがシャンパンに変わった。ココのマスターは四国出身で、十代の終わり友達が東京で殺された知らせを受け、セブンイレブンのバイトを抜け出して東京に来た。それ以来東京にいる。エアーマックスとモッズが俺の四国だったと言った。
が、今は彼女の時間。彼女の話を聞こうと皆を促した。彼女に今までの研究発表をさせた。彼女は目黒出身で学生の頃フランス文学を専攻していた。なんとなく、や、たぶんを多用した。彼女が今ココにいること以外は彼女の話に謎は無いし良くわかった、引っかかるところは無かった。話の終わり今の職業はと聞くと日本橋の高島屋でバッグを売っている、つづけて、『あたしのバックはいつも空っぽだ』と言った。
これで帰れなくなった。スタウトと冷酒とジョンジェムソンとホワイトルシアンとモエの頭を起こして屏風の虎っていうかヘモスタティックストレージっていうかに集中した。なんか考えたら、5つも出てきて困った。
昨晩の核心に踏み込もうとすると不思議度が加速する、私が決めました、を多用する女性のこと、安部公房の『鞄」のこと、甲府駅前の武田信玄像、台湾の山地人、最後にシャルロットゲンズブールのことで、何となくシャルロットゲンズブールに決めました。
明け方、UFOが西の空に現れるのを二度みた、という話と、子供の頃祖父が亡くなって空ばかり見ていたら座敷に白い大蛇がトグロを巻いていた、という話がひとつになっている。…ってのはなんだか分かる気がする。長い人生における光明であり、救済とか恩寵みたいなことだと勝手におれは思うのだけれども(あくまで勝手におれがそう思うのだ)。
なんか重要な気がしたので載っけとく。
亡霊は非科学的な妄信や個人に帰す問題ではなく、わたしたちの構成する社会の在り方にあらかじめプログラムされたなんかである。文学的にいえば何?とか精神分析的にどういうこと?とか、そういう問いを無効にする「なんか」なのであって亡霊自体は善悪の彼岸にある。亡霊がなんなのか?は、重要な問いだが果てしない問いで、亡霊をプログラムした者が何者か?を問うに等しいデカすぎる問いだと思う。亡霊は誰かの体調を弱めたり、誰かに誰かを殺めさせたり、誰かを狂わせたり、誰かを自刃させたりする絶対的な力を持っている。亡霊はふとしたきっかけで現れ面白半分に力を行使する。力、そのものの形を取るのが亡霊現れかたなのでなかなか亡霊の現出に気付けない。がしかし目を凝らすとうっすら亡霊が誰かの一挙手一投足を後ろから指図しているのが見える時もある。
亡霊と話をしてある程度止めてほしいことを止めてもらう必要があるんじゃないか。一応、こちら側には「善悪」という、相対的だがある程度わたしたちをうまく回している仕組みがあるのだと。だからわたしたちはまず亡霊を見えるようにならなくてはならない。どうすれば亡霊を見えるようになるかを鳩山幸にもわかりそうなやり方でyokooftheyear(またの名をmy name is woman)は研究発表していくので、発表が延びている『ヘモスタティック・ストレージ』に世界中のまだ見ぬyokooftheyearメンバー皆さんもご期待ください。
…いや、言い過ぎました。鳩山幸にわからせる自信はあんまりないです。