明けましておめでとうございます。
拾ったブナの実
12月24日 発芽したブナ1号
同時期に発芽したが上手く根を伸ばせなかったブナ
12月29日 徐々に成長するブナ1号
1月7日 子葉から茎が伸び本葉を出すブナ1号
1月14日 子葉を大きく上回る大きさの本葉を付けたブナ1号
続々と発芽する他のポットのブナ達
去年の9月末を以って渓流釣りが禁漁となり早4ヶ月が経とうとしていますが、気がつけば残り1ヶ月ちょっとで2022年の渓流釣り解禁となります。
今年も実りのある釣行が出来ればなと思います。
渓流釣りが禁漁となり、なんとなく寂しい気持ちが募りますが、私は毎年晩夏〜中秋の季節にはドングリやブナの実といった堅果類を拾いに山々へ赴きます。堅果拾いと拾った堅果を自宅で育てることが釣り以外の趣味として毎年楽しみにしています。
拾ったブナの実
今回は昨年の10月頃に拾い集めたブナの実の成長過程をお見せしたいと思います。
12月24日 発芽したブナ1号
同時期に発芽したが上手く根を伸ばせなかったブナ
12月29日 徐々に成長するブナ1号
1月7日 子葉から茎が伸び本葉を出すブナ1号
1月14日 子葉を大きく上回る大きさの本葉を付けたブナ1号
続々と発芽する他のポットのブナ達
と、ここまでが現在までのブナの成長経過です。この堅果類を種子から育てるという趣味を始めてまだ数年ですが、毎年この発芽の瞬間がとても待ち遠しく、楽しませてもらっています。なぜ私がこの木々の成長に魅せられるのかというと、山岳渓流における壮大な原生林に思いを馳せることが出来るからです。今はまだ小さく弱々しい苗ですがこれが50年、100年と経てば40メートル近い大樹に成長するのです。ロマンを感じずにはいられません。
これらの苗は成長し幹がしっかりしてきたら(2〜5年程度)近所の山に植えたいと思います。私の生きているうちに拝めることは出来ないでしょうが、日本の原風景である落葉広葉樹林を身近に根付かせることが私の生涯の目標です。
私は渓流釣りでは振り出し竿に目印と掛け針、餌を使った“ミャク釣り”を専ら行っています。基本的に釣具屋でぶどう虫を買って行くのですが、餌釣りの醍醐味は何より現地で捕まえたカゲロウやバッタなんかを使って渓魚を釣ることが至高の楽しみでもあります。その理由はミャク釣りという釣法の根源が“餌を自然に流し自然の渓魚を誘う”という正に自然と調和した原点的たる釣法であることだからだと思います。
渓流釣りに初めて触れてから約20年程経ちますが、経験を積んでいくうちに今まで見えなかったものが見えてくるようになります。初心者の頃は「流心ってなんだ?川の流れのどこが流心なんだ?」と何も分からず、ただ漠然と仕掛けを打ち込んでいたものですが、長年の経験と共に岩魚の好む場所、山女魚の好む場所、そこに仕掛けを打ち込めばこの様に仕掛けは流れてくれる、などを一目で分かるようになりました。
渓流の流れは単純に下流へ一方向に流れているわけではなく、流れと流れがぶつかり合って渦を巻いていたり、流心の傍に緩慢な流れがあったりと複雑であり川の流れの中に更に無数の流れがあります。私はその一つ一つの流れを“流れの線(すじ)”と呼んでいます。
ミャク釣りではこの流れの線に上手く仕掛けを流すことが重要となりますが、流れの線に上手く乗らないと仕掛けが吹き上がってしまったりして魚は見向きをしてくれず、餌釣りといえど意外とシビアな釣りです。流れの線から外れた場所に散々仕掛けを打ち込んでしまえば魚は警戒してしまい、その後流れの線に上手く打ち込むことが出来ても後の祭りで魚は釣れてくれないのです。
とにかく流れの線を見極め、点をつくことが渓流ミャク釣りの極意であると私は考えています。
偉そうに語っていますが私は一つのポイントで流れの線を三分の一程度しか見極めることが出来ませんし正確に点をつく(ピンポイントに魚の着いている線に仕掛けを打ち込む)ことも中々出来ません(笑)。おそらく老練の釣り師であれば一瞬で全ての線を見極めることが出来るのだと思います。
タイトルの“線と点の釣り”とは、魚の付いている流れの線にピンポイントで正確に打ち込むことを点、打ち込んだ仕掛けを流れに任せて漂わせることを線と、これも私が勝手に言っているわけですが、今回私が語ったことは渓流釣りにおいては一部分でしかなく、たかだか20年程度の経験など渓流釣りの奥深さのほんの一端に触れた程度なのだとしみじみと思っております。