『古事記』仁徳天皇 7
天皇、以其弟速總別王爲媒而、乞庶妹女鳥王。爾女鳥王、語速總別王曰「因大后之強、不治賜八田若郎女、故思不仕奉。吾爲汝命之妻。」卽相婚。是以、速總別王不復奏。爾天皇、直幸女鳥王之所坐而、坐其殿戸之閾上。於是女鳥王、坐機而織服。爾天皇歌曰、
賣杼理能 和賀意富岐美能 淤呂須波多 他賀多泥呂迦母
女鳥王、答歌曰、
多迦由久夜 波夜夫佐和氣能 美淤須比賀泥
故、天皇知其情、還入於宮。此時、其夫速總別王、到來之時、其妻女鳥王歌曰、
比婆理波 阿米邇迦氣流 多迦由玖夜 波夜夫佐和氣 佐邪岐登良佐泥
天皇聞此歌、卽興軍欲殺。爾速總別王、女鳥王、共逃退而、騰于倉椅山、於是速總別王歌曰、
波斯多弖能 久良波斯夜麻袁 佐賀志美登 伊波迦伎加泥弖 和賀弖登良須母
又歌曰、
波斯多弖能 久良波斯夜麻波 佐賀斯祁杼 伊毛登能煩禮波 佐賀斯玖母阿良受
故、自其地逃亡、到宇陀之蘇邇時、御軍追到而殺也。
≪英訳≫
The Emperor used his younger brother, Prince Hayabusawake, as a mediator and asked for the hand of Princess Metori. Princess Metori said to Prince Hayabusawake, "Because he is afraid of Empress, he will not even call on Yata no Wakairatsume. So I have no choice but to serve you. I will be your wife." They were immediately married, and Prince Hayabusawake did not bring up the matter again. The Emperor went directly to where Princess Metori was sitting and sat at the threshold of her palace door. Princess Metori was sitting at her loom, weaving clothes. The Emperor composed a song:
"To whom is the weaving for?
The weaving of the Princess of Metori"
Princess Metori replied with a song:
"This is the weaving of Prince Hayabusawake(the king of the falcon) soaring high in the sky"
The Emperor understood her feelings and returned to the palace. Later, when Prince Hayabusawake arrived, Princess Metori composed a song:
"Like a lark soaring in the sky,
The falcon-like Prince Hayabusawake
Catch the sazaki bird, my lord"
Upon hearing this song, the Emperor decided to send troops to kill him. So, Prince Hayabusawake and Princess Metori fled together and took refuge on Mount Kurahashi. There, Prince Hayabusawake composed a song:
"Like a ladder, steep is Mount Kurahashi,
I cannot cling to the rocks,
though I want to take your hand."
And another song:
"Like a ladder, steep is Mount Kurahashi,
Although it is steep,
I do not find it so when climbing with my wife."
They continued to flee, and when they reached Soni in Uda, soldiers pursued them and killed them.
≪この英文の和訳≫
仁徳天皇は、彼の弟である速総別(ハヤブサワケ)の王を仲人として、メトリの王女に求婚しました。メトリの王女はハヤブサワケの王に言いました。「皇后様を憚って、八田(やた)の若郎女(わかいらつめ)をも召されることができませんので、私もお仕えいたしません。私はあなたの妻となります」と。彼らはすぐに結婚し、ハヤブサワケの王は再びそのことを持ち出しませんでした。天皇は直接メトリの王女がいるところに行き、戸口の敷居の上にお出でになりました。メトリの王女は機(はた)に座って布を織っていました。天皇は歌をお詠みになりました:
「どなたへの料(織物)でしょうか、
メトリの王女の機織(はたおり)は」
*古事記に出てくる織物の「料」は、神話の中で神々の力や意志を示す象徴的なものでした。料は神々だけが織ることができる特別な布であり、人間には真似できないものでした。(Bing AI)
メトリの王女は詠いました:
「空高く翔ぶハヤブサワケの王の
袍(ほう)の料(織物)です」
天皇は彼女の気持ちを理解し、宮殿にお戻りになりました。後でハヤブサワケの王が来たとき、メトリの王女は詠みました:
「雲雀は空高く舞い、
大空高く翔ぶハヤブサワケの王は
サザキをお獲りなさいませ」
*仁徳天皇は「大サザキの命(みこと)」。大サザキを殺(や)ったら、ということ
ササキ、サザキ = ミソサザイ
この歌を聞いて天皇は兵を遣(や)って殺すことにしました。そこで、ハヤブサワケの王とメトリの王女は倉椅(くらはし)山に逃げこみました。そこでハヤブサワケの王は詠みました:
「梯子のように険しい倉椅山、
岩にしがみつけず、(あなたの)手を取ってやりたいのだが(できない)」
そして別の歌:
「梯子のように険しい倉椅山は、
妻と一緒に登るときは険しさを感じない」
二人は逃げ、宇陀の蘇邇(そね)に到達したとき、兵が追ってきて、二人を殺しました。
令和5年9月2日(土) 2023
仁徳天皇とハヤブサワケの関係については、古事記と日本書紀で異なる伝承があります。古事記では、仁徳天皇はハヤブサワケを仲人として、腹違いの妹のメドリに求婚しましたが、メドリはハヤブサワケと恋仲でした。メドリは仁徳天皇を殺してほしいと歌を詠み、それを聞いた仁徳天皇は怒って二人を追って殺しました。日本書紀では、仁徳天皇は腹違いの妹の八田皇女に求婚しましたが、皇后の磐之媛が激怒して別居しました。その後、八田皇女が死んだため、仁徳天皇はメドリに求婚しました。しかし、メドリはハヤブサワケと通じていて、仁徳天皇を殺そうとしたため、二人は討たれました。このように、古事記と日本書紀では、仁徳天皇の求婚相手や動機が異なりますが、共通しているのは、ハヤブサワケとメドリが不倫関係にあったことと、二人が仁徳天皇に反逆したことです。この神話は、天孫族と隼人族との闘争を象徴しているとも考えられます。(Bing AI)
古事記に出てくる織物の「料」とは、神話の中で重要な役割を果たすものです。料とは、神々が織る布のことで、その色や模様には特別な意味があります。例えば、天照大神が岩戸に隠れたとき、天手力男神が岩戸の前で踊りを披露しましたが、そのときに身につけていたのが料です。天手力男神は、五色の料を腰に巻き、白い料を頭にかぶりました。この五色の料は、五穀豊穣や五方の平和を象徴するものでした。また、白い料は清浄無垢な心を表すものでした¹。
また、天孫降臨の際にも料が登場します。天津日高日子番能邇々芸能命(あまつひたかひこほのににぎのみこと)は、高天原から地上へ降りるときに、八重雲の上に立ちました。そして、八重雲を織って八重垂(やえだれ)という布を作りました。この八重垂は、天と地を結ぶ橋として機能しました²。八重垂は八重雲から作られたため、白く美しい布でした。また、八重垂は八つの方角を表すものでもありました³。
このように、古事記に出てくる織物の「料」は、神話の中で神々の力や意志を示す象徴的なものでした。料は神々だけが織ることができる特別な布であり、人間には真似できないものでした。
(Bing AI)
大サザキ = 仁徳天皇
ササキ、サザキ = ミソサザイ
ミソサザイのいる風景 Bing AI 作成
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