ちょい悪ジジイのリタイア日記

リタイア初心者が日々思う事、昔話、旅行記、etc

☆3丁目の夕日のごときの歯無し☆

2006-08-11 07:45:58 | Weblog
木炭バス知ってる人!あなた終戦前生まれだね!
昨日の続きだから上田生まれの我輩の存在は承知してますよね。
木炭バスに乗った事があります、山の方に今はラグビーの合宿地で有名になった菅平があります、其処へ遊びに行った時木炭バスで行ったのだ。
バスの後ろにはボイラーのような大きなタンクを背負っている。

平地は何とか普通に走れるが上り坂になると大変であった!
だんだん遅くなりやがて止まってしまう。大人の人は降ろされる、全員である、
でも動き出さない、とうとう子供も降ろされて全員でバスの後ろに回り押すのだ!

ようやくバスは動き出すと坂の頂上まで空であえぎながら登るのだ!
置いていかれた乗客は何故か万歳をする。
かなり急な坂を今度は乗客があえぎながらバスを追いかけて登る番だ。
バスで出かけるのは体力がかなり必要だったのだ。

楽をしようなんて気持ちの人は乗れない、一つ根性をだしてバスに乗るか!
体を鍛えて居ないと駄目!ようやくバスに追いついて乗り込むと運ちゃんが「いつも、すみませんねー!」と言う、客は「いつものことだ、気にするな」と気持ちの良い会話の後次又登れない坂の手前までがたがたとバスは走るのだ。

こんな事を2・3・回やるとようやく終点に着く、これでもしっかりとバス代は取られるのだ!

木炭車とは、後ろに積んだ大きなガス発生炉で木炭を空気の量を調節しながら不完全燃焼させ、出てきた1酸化炭素をシリンダーに送り点火し爆発エネルギーを回転エネルギーに変えて車は動くのだ。だから炉の中で完全燃焼させてしまうと2酸化炭素になってしまって燃料にならないので空気の量の微妙な調製は運転手の腕にかかっていた。

バスは1日でなんと4俵の炭を必要とした。車庫を出る時は大変である、3時間前位から火を入れエンジンが掛るまで空気の調節をしなければ動き出さないと言う代物であった、と、物の本に書いてあった。石油が又日本に入り始めた昭和24年頃までは走っていたようで、我輩はぎりぎり最後のバス運行に乗ったと言う事だ。
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2 コメント

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旅は良いもの (三鷹てっちゃん)
2006-08-12 09:55:52
ちょい悪ジジイさんは、毎日忙しそうに動き回って羨ましいよ。 俺はまだ木炭バスは乗ったことないね。

でも、体力が無い自分としては運賃を払ってまで重労働は御免こうむりたいところ。でも少し興味が有るので1回は行ってみたいかも。

もうすぐお彼岸。 俺は久しぶりに〔3年ぶり)妻の実家がある長野県伊那市の山奥(旧長谷村)に墓参りを兼ねて旅してこようと計画中。

山あり川ありの所なので、のんびりと出来れば最高なんだけれど。

それと大好きな日本そばを、たらふく食ってくるぞ!

それでは、早く孫がこの世にでてくることを祈って旅に出発します。
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三鷹てっちゃんへ (よう爺)
2006-08-12 11:06:28
あのさー昭和24年頃で終わったの!木炭バスは。今からは乗れません、いくら探しても。長野に行くなら是非上田の「刀屋」によって美味しい御蕎麦をどうぞ!60年来の知り合いですよ!では気をつけて行ってらっしゃい。
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