高星秀明
<タイトル> 痩せ衰える虚像
<素材> 鉛、木材、その他
<コメント>
鉛は特定の放射性物質から人体を保護するが、鉛それ自体も人体にとって有害である。
福島の原発事故から7年がたつが、いまだ放射能汚染は止まらないにも関わらず、社会はそこに蓋をするかのように復興を謳う。
この問題に接するとき、私はどのような立場にあるのか。国家と電力会社のずさんな対応に翻弄された被害者か?福島の原発で作られた電気を使い、原発を否定しなかった消極的な加害者か?底上げされた放射線量の基準値のおかげで、汚染された海産物を食べる哀れな市民か?いまだ汚染水を垂れ流す、海洋汚染国家の恥知らずなか?正直、福島のそして関東の農水産物は口にしたくないが、この姿勢は福島の復興を遅らせる加害者のものか?原発被害に悩む被害者のものなのか?
おそらくは日本に生きる全ての人が加害者のような被害者で、被害者のような加害者である。
おそらくは日本に生きる全ての人が加害者のような被害者で、被害者のような加害者である。
そういった日常の中で自分の意識は多様化した価値観、視座にがんじがらめにされ、しだいに硬直し、答えなど見つけられぬまま立ち尽くすしてしまう。それでも時間だけは過ぎ去っていき、時間は自分の決断などを待ってはくれない。
結論など出ず、答えも見つからず、時間だけが過ぎ去る。その中で被害者として行う悪行も加害者として行う善行も、
またその逆をも合わせ呑み、日々を生きる。そうするしか道はなく、どうにもならない問題を飲み込んで日々を過ごすしかない。
その中で日々考え続け、おう悩し、時には行動もするが、また新たな問題に出くわして加害者になり、被害者になる。多くの問いを抱え込み、終わらない堂々巡りを繰り返す。
またその逆をも合わせ呑み、日々を生きる。そうするしか道はなく、どうにもならない問題を飲み込んで日々を過ごすしかない。
その中で日々考え続け、おう悩し、時には行動もするが、また新たな問題に出くわして加害者になり、被害者になる。多くの問いを抱え込み、終わらない堂々巡りを繰り返す。
その懊悩に作品というカタチを貼り付けた。