
1800年の長き年月を見守ってきた和布刈(めかり)神社は、
仲哀天皇により西暦200年に創建とされたと伝わります。
御祭神は、天照大神の息女の「瀬織津姫」といい、潮の満ち引きを司る神だそうです。
海峡の守護神として崇敬を集め、足利尊氏、大内義弘などによる諸社殿の
修築造営が伝えられており、現社殿は1767年小倉藩主小笠原忠総の再建だそうです。
和布刈の神事は、神功皇后が三韓征伐からの凱旋を祝って、
自ら神主となり、早鞆の瀬戸のワカメを神前にささげたという古事に由来し、
毎年旧暦元日の早朝に行われ、3人の神職が干潮の海に降りてワカメを刈りとり、
それを神前に供えて航海の安全、豊漁を祈願するものです。
和布刈神社
鳥居?が変わっていますね。
和布刈神社のそばを通る「門司東本町線」に沿って500mほど小倉側に行くと、
道路を跨ぐ和布刈神社の大鳥居があります。
境内
立派な石灯籠が迎えてくれました。
境内から見た関門橋
関門橋と石灯籠のコラボが素敵でした。
鳥居と拝殿
拝殿と関門橋
海中灯籠と関門海峡と関門橋
海中灯篭は対馬国を支配した守護・戦国大名宗氏が参勤交代で江戸に出向く際に、
海路を利用します。その際に、和布刈神社に立ち寄り航海の安全を祈願し寄進したものだそうです。
和布刈神事のワカメ取りは毎年旧暦元日の早朝の引き潮になり
海中灯籠の周辺まで海水が引いた時に行うそうです。
境内から見た火の山
関門橋下に鎮座する和布刈神社
和布刈神社の参拝を終え、古城山に登りました。
めかり第一展望台から見た門司港レトロの街
めかり第一展望台から見た下関の街
めかり第二展望台からみた関門橋
めかり第二展望台からみた関門海峡
左手に門司、右手が下関です。
和布刈神社は、1185年源氏と平氏による最後の戦い・壇ノ浦の合戦で平家の滅亡を、
幕末の1863年には、長州藩とイギリス・フランス・オランダ・アメリカの列強四国との間に起きた
下関戦争で長州藩の大敗を、目にしました。
そうした関門海峡における日本の大きな歴史の大変化を見守ってきた和布刈神社です。
そして、現在では関門橋、関門トンネルにより和布刈神社の上と下にでき、
本州と九州が交通の面で一つになったことを目にしました。
北九州市と下関市は関門橋を挟んで様々な取り組みを共同でしていることが多く
海外都市との友好都市をはるかに超える仲の良さです。
一泊しただけでこのホテル周辺しか知らない街です。
ヒューマンも見に行きたいです
近くに住んでいるとホテルと縁がなく疎くなりますね。
この周りが一番見どころが多いところです。
今も回転レストラン、有るのかなぁ~その時ふぐを食べたかな(笑)
もう旅行には行けなくなって、この数年何処にも行ってないですよ(汗)
またコロナが流行って来てますし、軽症でも後遺症が長いらしいですね(ー。ー)
今は懐かしいですね。
幕府軍の小倉藩と長州藩の
関門海峡を越えて大里に上陸作戦が
行われたり
武蔵と小次郎の決闘も関門海峡ですよね
大里上陸は、明治維新の初め、高杉晋作が攻めたところですね。
戦国時代も中国地方の毛利、大内などからも攻められていますね。
巌流島の決闘は有名ですね、近くですがまだ行ったことがありません。
もう三十数年前になりますが、門司地区の営業の時は駐車場に車を停めて窓は全開にして1、2時間昼寝でした。
いわゆるサボリです(笑)
けど新幹線のみどりの窓口が営業していない時間があり
何時行っても切符が買えないです。
それに運行している時間の改正で1時間に1本になりました。
前は新幹線駅の職員の人が2~3人いたのに今は1人です。
私が住んでいる所の新幹線の駅が赤字と聞いているので
人件費の節約のためでしょうね。
でも結構、乗客の乗り降りは夕方には多いのですよ。
この場所は、一休みして英気を養うのに最適ですね。
関門海峡の素敵な景色と美味しい空気を吸ってまた一仕事をされたのでしょうね。