可逆的フロー

2022-05-28 14:17:49 | 日記


先日、「美味しいそうめんの茹で方」の動画をご紹介してから→(タシット・ナレッジ

同じ方法で蕎麦を茹でると本当にとても美味しかったので、最近よく蕎麦をいただいております。

麺つゆは昆布出汁のこちらを使用↓ (ダイソーにも置いておりました)


本日のオークランドはとても良いお天気でしたので、散歩に出かけたついでにまたスーパーマーケットで蕎麦を買おうかなと思っていたのですが↓ (こんなやつ)


他のことをうだうだしているうちに散歩の優先順位が下がってしまい、結局スーパーにも行かずじまいの1日でした・・・


何だか今日は鯉の滝登りの映像が頭から離れず、

流れに逆らう鯉の滝登りがなぜ縁起が良いとされるのか?と考えていたのですが、
ググってみると、流れに立ち向かう忍耐強さに因んだ意味付けが色々とされているようでした。

う~ん、エントロピーのことなどを考えていたから出てきたのかな??

基本的に地球上では、物体でも気体でも、高いところから低いところに向かうじゃないですか。

逆に低いところから高いところに行くのは、鯉とか鮭とか航空機とかロケットとか、空気より軽い気体(水素とかヘリウム)とか。

物体がそのエネルギーの流れに逆らって上昇するにはかなりのエネルギーが必要なわけで、

鯉の滝登りは神様のプログラムだと思うのですが、愛を産むには美しい上流へ一瞬踏ん張ってジャンプしないといけないんだよ、と見せてくれているのかもしれない、なんて思ったり。 それを成し遂げることができるのは、やっぱり愛の力なのさ、みたいな。

人間も身体という実態を持っているので、安きに流れやすいのを食い止めるにはいつもある程度エネルギーが必要なわけですが、理性を発達させていくにつれてそれがだんだん制御できるようになっていきますよね。

政府の進化で例えると、トーマス・ホブスが人間の自然状態は、万人が万人の敵である戦争状態で、放っておくと最後の1人になるまで殺し合うので、革命が許されない絶対権力を持つ政府が必要だとしたのから、

ジョン・ロックの、人間の自然状態はそんなに残虐なものではないけど、人間の生まれながらにして持つ権利「命・自由・財産」を守るために政府が必要で、それを守りきれない政府は革命によって入れ替え可能、となり、

でも人間は自分に有利な判断をしてしまいがちなので、三権分立などでお互いに監視し合わないといけない状態だった(と理解しております)。

そう、意識は自分を守ろうとする働きがあるようなので、放っておくと悪い事態に備えようとネガティブな方向に行きやすく、そして自分に有利な判断を下してしまいがちであると。

要するに理性では欲求に太刀打ちできない部分のある己が見えてきた今、
身体を持ちつつその流れに逆らって進んでいけるのは、「良心」さらに「愛」しかないし、と、そういう「覚醒」のステージに人類は来ているのかも、と思うのですが如何でしょう New World ですね。

しかもそれらがあれば、楽に逆向きのフローができますし



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決定しているのか?

2022-05-23 17:14:55 | 日記


一昨日はやはり風が強かったせいか、蝶たちは枝に留まっておりましたが、
昨日無事に飛び立っていきました。

そして先日1匹の幼虫が蛹になったのですが、今まで見た蛹の中でこれが一番大きいかも。
いっぱいエネルギーが詰まっているんでしょうね


でも、観察すればするほど不思議な生き物です。 一旦崩して、新しく編成する。
幼虫がこんな筒状の蛹に変身して、ストローや足のような細かいパーツをしっかりと持った蝶が出てくるんですもんね。
神様の作ったプログラムは、本当にすごいなぁ。

先日の「無意識と意識」の話の流れのような感じになりますが
一旦築き上げてきた概念や分類のバイアスをdeform, reform することで、物凄いことができますよ、という神様のメッセージかも? Twice bornですね。

ピエール・シモン・ラプラスは以下のように言いました。
========
ある瞬間における
全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、
かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、
この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、
その眼には未来も(過去同様に)全て見えることであろう。
========

ニュートン力学を発展させた方とのことで、物理現象の決定論(原因があって結果がある。結果を見れば原因が分かる)を唱えられていたようです。(お勧め動画→「ラプラスの悪魔」

ただこれは、絶対時間をベースにしたオブジェクティブな観点でという条件付きなので、
当てはめることができる部分もあるけれど、そうでない世界(量子力学の世界)などもあるということですよね

では、「決定論」は人間に当てはまるのだろうか?と考えるわけです。

「原因と結果の法則」とか、「カルマの法則」とか言われるものについてなのですが(「宿命」はまた何を信じているかにもよるのでしょうし)、これはソーシャルコンストラクショニズムの世界観がベースにあって、自分の言動が周囲の反応を引き起こしてそれを体験するというものですよね。

何気なく日々過ごしていると、過去に築き上げてきた概念、分類に基づいて無意識に(自動的に)アクション・リアクションを繰り返すことが多いので、そのバイアスが変わらなければ同じようなアクションとリアクションを繰り返して、大体の未来の予測ができるということになるのかもしれません・・・。でも人間は周囲と関わって、人の意見などを理解して受け入れると、概念、分類に変化が起こるわけです。

さらにコンシエンスに目覚めると、ルールに沿った判断ではなく、良心(道徳)に沿った行動が取れるようになる。そうするとアクション・リアクションのパターンが今までとはガラリと変わってきます。さらに、レリジョンが目指している(真の)愛と感謝に基づいた行動が取れると、もはやリアクションは受けないといえる状態になるでしょうから、そうなると過去の「原因と結果の法則」「カルマの法則」からの影響は消え失せるので、未来は予測するのは不可能、となりますよね

・・・と、思うのですが、如何でしょうか

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フォームの影響

2022-05-20 19:31:41 | 日記


なんだか今日はストーミーな一日でしたね、オークランド。

2AM 現在、外の気温は12℃。

ちょっと気温が下がると、ユメさんが甘えん坊大魔王になります

夏は密着度が低くて物足りなさを感じるのですが、
冬は頻繁に枕にされ、身動きの取れない時間が発生してしまいます。

その辺に関しては、アリストテレスさんのアドバイスを聞いて君も中間を目指しなさい、中間を。




どうやらモナークバタフライの蛹の一つからもうすぐ蝶がでてくるようなので、明日は少し風が収まるとよいのだけど。



モナークバタフライの餌となるスワンプラントは、食べられすぎると枯れてしまうので頻繁に入れ替えるよう気を付けているのですが、残念ながら1本枯れてしまい、蛹がくっついていた葉が落ちてしまったので糸で応急処置をしています


過去2年は、夏の早い時期にモナークの幼虫が庭に出現したので心配事も余りありませんでしたが、今年は夏も終わりに近づいてから次々に現れたので、何かと心配でサイトをチェックをしたりしております。


つい「こんなに気温が下がって雨も降っているけど、先日飛んでいった蝶は大丈夫かしら?」など、自分と同じ感覚で考えて心配するのですが、そもそも人間とはセンサーとその働きが全く違うので、心配は無用のようです。
(オークランドでは1年中、幼虫が孵ったりするようですし)

しかし今回の幼虫たちは、冬を越すエネルギーをため込んでいるのか、巨大になります


見えないくらい小さな幼虫からスタートするのですが、どの幼虫もある程度大きくなると逆さになって葉っぱを食べはじめます。

葉が茎と接続している根本の部分を少し削るように食べて、スワンプラントから出てくる白い汁を吸い、葉を下に垂らしてから、その葉っぱの裏側に逆さ向きに張り付いて、できるだけ先端に近い部分から食べるんですね。

逆さ向きになって食べないと、効率よく葉を消費できないし、誤って切り離した葉と一緒に落下してしまう危険が高くなるからでしょうね。

誰にも教えられたわけでもないのに、どの幼虫も同じ行動をとるのがとても面白いですし、
自身のフォーム(体形)に一番ピッタリの効率の良い方法が、ちゃんとプログラムされているのが凄いなと。

モナークはモナークのフォームとセンサーで体験できる世界を体験していて、
人間は人間のフォームとセンサーで体験できる世界を体験している。

人間は重力などの数値が違えば、全く違った体形になっていたようですが、
一説では神に似せて造られたというこのフォームで、出来得る限り最高の世界を体験できるといいですよね

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ニコマコスな朝

2022-05-16 19:29:35 | 日記


オークランドは天気がちょっとぐずついていますが、お陰で気温がそんなに下がらなくて良いですね。

お天気が良かった数日前には、天気予報で最低気温が3°とあって驚きました。
でもそこまでは寒くなかったような。(暖炉に火を入れましたけどね)

(5月12日 15:00頃↓ 近所の図書館にて)


毎朝、目が覚めてからしばらくベッドの中でうだうだする時間をとても大切にしているのですが
この時期は特に至極の時間を過ごせます。

ただ、目が覚めたのを察知するとYumeさんがすぐにご挨拶に来てくれるので
ゴロゴロと少しにぎやかですが。

(ちょっ! ちかっ


この時間にふとテーマが思い浮かんで、それについてうだうだと考えることが多いのですが、

5日前は、飛行機の「キャブレターヒート」(エンジンに空気と燃料を送り込む部分の凍結を防ぐシステム)のことで頭がいっぱいになり

4日前は、「パイプオルガン」について考えていたら、だんだんと「言語学」に移行していき

3日前のテーマは「徳とは何か?」で、2日前は主に「笑い」や「面白い」という感情について考えていました。
多分先日「ニコマコス倫理学」に関する動画を閲覧した影響かなと。
(因みに今朝は「人参の剥き方」をぼんやりと考えていました。すぐに思考が切り替わってしまいましたけど。)

で、「徳」についてアリストテレスさんが仰るには、

「徳が高いから良い行いをするのではなく、
常に良い行いをしているから徳が高いと言える」

とのこと。

なるほど、そうなんですね。「徳」というのは、一旦身に付けたらずっと良い行いができる、というようなものではないと。

しかし、徳の高いパーソナリティーというか、キャラクターを獲得してしまえば、
その言動の選択は自動的に徳の高いものにならないのでしょうか?

つまり、客体である「私」が徳の高いパーソナリティー自体に成り得ることはないので
謙虚に良い行いを続けている状態を徳が高いと表現するのかも。

そういえば良く経典や聖書でも、客体である「私」をServant (しもべ)とかDevorty (献身者)とか言いますもんね。

他にも、

「徳の実践には、倫理的卓越性を発揮する必要があり、
倫理的卓越性を発揮するには、知性的卓越性が必要である」

とのこと。

う~ん、倫理的卓越性は分かりやすいですけど、知性的卓越性はどのように捉えたらいいのでしょうね・・・。

倫理的卓越性は「こうするべき」というような社会的モラルに沿って行動ができることではないかと思うのですが

知性的卓越性はもっと根本的な「善」「良心」に関する知識があり、それに沿って行動ができる、とかでしょうか?

と、ぐるぐる考えるのですが、
アリストテレスさんがどう言っているのか気になるので、取り合えず「ニコマコス倫理学」を読んでみることにしよう。


アマゾンの回し者ではありませんが、光文社古典新訳文庫の上巻と下巻に分かれている「ニコマス倫理学」のKindle版で
下巻の方がLimited time deal でかなりお得な価格で紹介されているようです。

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オブジェクティブ・リアリティ

2022-05-04 05:09:52 | 日記


昨日ご紹介した「美味しいそうめんの茹で方」の動画にある要領で、

ランチに「そば」を茹でて食べたところ、

すっごく美味しかったです 
感動したのでその勢いで夕食もそばにしてしまいました

「美味しい」という感覚は主観的なものであるとは思いますが、
「美味しいそうめん」という感覚をどうして共有できるのか??

ここでいっているそうめんの「美味しい」は、食べる際の味付けの話ではなく、
麺にぬめりがないことによる「快」の感覚のことですよね。
(女将も「そうめんの美味しい湯がき方とは、粘らせないこと」だとビデオの中で仰っています)

麺類はパスタでもぬめらないように大きな鍋で茹でたり、
「ぬめらず、コシがある」というのが万国共通の(例外はあるでしょうが)「美味しい」になるようです。

味付けの段階になるとまた意見が分かれるところだと思いますが、
同じ食文化圏だと味付けの好みも似てくる傾向があるように見受けられます。

どうして同じような主観が持てるのか?

カントさんの説からすると、「人間は共通規格のインターフェイスをもっているから」ということになるようです。
(興味のあるかたは「純粋理性批判」を読んでみて下さい)

客観的な物そのものの世界は存在するけれども、
人間は「感性」の働きによって空間と時間のなかに多様な感覚を位置付け、
多様な感覚を概念で整理することによって明確な判断をつくりだす働き持っている、と。

3つのポイントは:
* 客観的な現実は存在する。
* 人間は主観の中に、空間と時間に位置付けた感覚、概念というメガネを通して現れた現象しか認識できない。
* 人間のそのメガネは共通規格なので、自然認識の基本的な部分については共通認識が成り立つ。
(100分de 名著 カント 純粋理性批判 で 西 研氏が分かりやすく説明してくれています)

食文化は空間と時間が限定された中に存在しますから、そこで集合ができますし
「ぬめりはなくてコシのある麺」はより抽象的なので集合が大きくなるし、
作り方は形式知であって時間と空間の影響を受けないので共通認識が成り立つという感じでしょうか。
(ざっくりですが)

カントさんの理論(セオリー)を読むと、なるほどぉと思うわけですが、

この現実の捉え方は何を信じているかに影響されるので、
アカデミックの論文なんかでも最近は研究者がどのような視点で検証を行ったのかを明示しているようです。
「理論(セオリー)が、研究エビデンスと実践の橋渡し的な役割を担っている」ということで、
今福氏の研究デザインのジャーナルに分かりやすく書いてあったので、興味のあるかたはご覧ください
理論的貢献ができる研究をデザインする : 研究パラダイムの理解の重要性


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