「21世紀の科学は良心に向かう」
こちらは東京理科大学125周年記念のコンセプトらしいです。
アンシンメトリー(非対称、不均衡)のことを調べていた際に、このような素晴らしい記事に出会いました
何かしらを「知りたい」という思いには、対象に関心を持ち、理解して受け入れたいという意識が働いているし、
何かを知ろうとすると自ずと自分も見えてきますし、
さらに誠実に応答する責任を果たすことによって、成熟したものが出来上がってくるっていう感じですかねぇ。
科学も良心へ向かっているし、その他諸々も良心へ向かっているし、
それが宇宙の意思というか、自然な流れなのかなと。
以前(部分的に)読んだ、アントニオ・ダマシオさんの
"The Feeling of What Happens. Body and Emotion in the Making of Consciousness" という本に
(日本語に翻訳されていて「意識と自己」というタイトルで紹介されています)
意識と良心について次のような記述がありました。
If there is no mind, there is no consciousness. Consciousness is a particular state of mind, enriched by a sense of the particular organism in which a mind is operating, and the state of mind includes the knowledge to the effect that the said existence is situated, that there are objects and events surrounding it. Consciousness is a state of mind with a self process added to it.
Conscience, a complex function that does require consciousness but goes well beyond it and pertains to moral responsibility.
=直訳に近い形で訳すとこんな感じでしょうか=
心(マインド)がなければ意識は存在しない。
意識とは特有な心の状態であり、心が働いている生命体の感覚によって豊かになる。
そして心の状態は、その存在が位置付けられているという効果、
心を取り巻く物体や出来事があるという効果に対する知識を含む。
意識とは、自己プロセスが追加された心の状態である。
良心とは、意識を必要とするがそれをはるかに超えて道徳的責任に関係する複雑な機能である。
ちょっと分かりにくいですが、意識は「自分」を主体とした感覚による感じ方に物事の捉え方が加わった心の状態で、
良心はさらに高度な、自分に有利な判断を置いておいて道徳に沿った行いができる機能ということでしょうか。
常にその状態でいられることが、理想ですよね・・・・・・
今日はAUTのシティーキャンパス内にある
図書館で半日過ごしました。
どっしり落ち着いた雰囲気に囲まれて
たまにはいいですよね、こういうのも
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