のほほんroom

のほほんと気まぐれに。

13年。

2024-03-11 14:46:00 | 日記

東日本大震災から、13年。


もう13年。まだ13年。

感じ方は、人それぞれ。


変わった事、変わらない事。

変えられない事、変えちゃいけない事。

色々ある。

だから、2011年3月13日を忘れないという気持ちを忘れちゃいけない。


遠く離れた高知で、被災地のために出来ること。

職場で、支援金や支援物資を募っていた、13年前。

今は、小さな募金箱が置かれているだけ

こうして、風化して行くのかなって思った。(11日に発生した【能登半島地震】で再び皆の目に留まるようにはなったけど)


13年前の3月11日14時46分。地震発生。その後の大津波による被害。

あの日、テレビで見た光景は、ドラマや映画なんじゃないかって思うほど、衝撃的だった。

ドラマや映画で、大津波の場面を見る度に、自分達の住む日本では、こんな事はおきないって、心のどこかで思っていたかもしれない。


家や車を、大きな船を、軽々と押し寄せていく、大津波の映像。

これ日本でおきてるのって思いながら、ただただ見入っていた事、今でも覚えてる。


テレビのCMACCMだけになって、うんざり(って言っちゃうと語弊があるかもだけど)した事もあったけど、あのCM、人の心を動かす言葉が集められてたすっごく素敵なCMだなって、今は思う。


東日本大震災から、13年たった今もなお、自宅に帰れない人達がいる。

13年たって元通りになった事も沢山あると思うけど、まだまだ完全復興したとは言えない。


もちろん、ご本人の意思で生まれ育った場所から離れた人達もいるとは思うけど、帰りたいと思っている人達が、13年前の被災前と同じ所まで戻れたら、そこからが完全復興へのスタート。


遠く離れた高知から、これからも、出来ることを、ひとつひとつやっていきたいって思う。


1人で何が出来る1人じゃ、何も変えられない。

そうじゃない。


とても、とても、小さな力だとしても、今、出来る事をする‼️

それが、真の復興への力になると、信じて。


最後になったけど、

被災された皆様に、改めてお見舞い申し上げますと共に、お亡くなりになられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。


そして、これからの未来が、明るい未来でありますように。



               2024311

                    由紀


29年。

2024-01-17 15:00:00 | 日記

今日、117日。

阪神・淡路大震災から、29年。


あの日から変わった事、変わらない事、変えてはいけない事、沢山あると思う。


「もう、29年。」って思うのは、私自身が被災地で体験していないから。

確かに、高知でも地震はあった。寝てる時に地震が発生した(震度4くらいだったと思う)。でも、大した事ないって思って、まだ早いって寝た。

阪神・淡路の、大惨事を知ったのは、二度寝から目覚めた後に見たTVのニュース。

今でも鮮明に覚えてるのは《高速道路が崩れ落ちて、ギリギリで止まってる高速バス》


学校では「朝のニュース見た?」「凄かったね」「あそこに住んでなくて良かった」自分達が被災した訳じゃない。だから、被災者の気持ちは分からない。

子供だった私達にとっては、他所で起きた事。被災者の思いを考えるなんて出来ず、【ただ自分たちの住んでる所じゃなくて良かった】って他人事に思えてた。



子供だった私は、被災者の気持ち考えることは出来てなかったと思う。

「他の学校がやってるから、私達もやらなきゃね」って会議の時に生徒会長が言った一言から、学校で募金を募った。(当時、私は生徒会の書記を担当してた)

「集まった募金をどこに届けたら、他の学校より目立てるろうね?」

被災地で辛く・苦しい思いをしてる被災者の事、何も考えず、そんな事を会議で話してた。

きっと、【他所で起こった出来事】っていう気持ちが強かったんだ思う。


学生である私達が、簡単に被災地に行けるわけでもなく、今みたいに、スマホやインターネットが普及してたわけでもない。

情報源は、テレビのニュースと新聞記事のみ。

そこから伝えられてた情報も、今思えば最小限の情報だったように思う。


29年という歳月が流れて、当時の記憶は確かに薄れてきてる。



大震災によって失われた街並みは、元通りになったとしても、失われた大切な命は戻らない。大切な家族。親戚。恋人。友達。一瞬にして奪われてしまった人達にとっては、まだ29年かも知れない。


被災地である、阪神・淡路地域でも、大震災当時の事を知らない人が増えていると、昨年ニュースで言っていた。

震災後に生まれた子供達もそうだけど、大震災を知らない人が増える事で、大震災の記録・記憶が薄れていってはいけない。(私自身も、細かな事は覚えてないけど


でも、117日が近付くにつれて、ニュースで取り上げられて必ず思い出す。

でもね、そのニュースを見た時に思うのは、最初の方で書いたように「もう、29年」経ったんだと。


経験しなきゃわからない思い。そういうのあると思う。

1995年の阪神・淡路大震災】【2004年の新潟県中越地震】【2011年の東日本大地震】

2016年の熊本地震】【2018年北海道胆振(いぶり)東部地震】

そして、今年に入って11日に発生した【能登半島地震】

近年、大地震が起き過ぎて、忘れがちではあるけど、どれも絶対に忘れてはいけない記録であり、記憶。


近年高い確率で起こると言われている【南海トラフ地震】

津波被害が出ると言われている高知市に住んでいる私にとっては、他人事ではない。

自身が窮地に立たないと、真剣に考える事をしない人もいると思う。

29年前の私は、そうだった。


あの日から、29年。

今日、117日。この日をきっかけにまた、防災への意識を高めしっかりと対策していかないといけないと思う。


1995117日。

大震災によって失われた沢山の尊き命に、改めてご冥福をお祈り致します。



2024117    由紀


『平和記念の日』

2023-08-06 16:31:00 | 日記

人類史上最初の原子爆弾が広島に投下された、

1945年8月6日から、今日で78年。



原子爆弾は、投下から43秒後、地上約600メートルの上空で目もくらむ閃光を放って炸裂し、小型の太陽ともいえる灼熱の火球をつくり、爆発の瞬間、強烈な熱線と放射線が四方へ放射されるとともに、周囲の空気が膨張して超高圧の爆風となり、これら3つが複雑に作用して大きな被害をもたらしたと言われている。



その時、広島で起きたことを実感として考えることは出来ない。

しかし、想像を絶する地獄絵図が展開されたということは間違いない。


原子爆弾が投下されたその日も、快晴でとても暑い日だったそうです。

たった一発の爆弾で命を失った約14万人もの方々。

その方達が、灼熱に苦しみながら見上げた青空は、今現在、私達が見ている青空と変わりなかったはず。

ただ1つ違うのは、原子爆弾が投下されて放射線が降り注いでいたこと。


原子爆弾による被害の特質は、大量破壊、大量殺りくが瞬時に、かつ無差別に引き起こされたこと。

被爆した方は、その後何十年にも渡り、後遺症やいわれのない差別に苦しめられて来た史実。


平和であったはずの日常が、戦争という争いにより失われ、沢山の方々が犠牲になったことを、たとえ78年という年月が経っても、決して忘れてはいけない。


戦争を経験していない、今を生きる私達に出来ることは、

今も、これから先の未来でも【2度と戦争をしてはいけない】と伝え続けていくこと。



⬇️広島記念式典で、こども代表による

【誓いの言葉】









『生き残ってくれてありがとう。

命をつないでくれたからこそ、今、私たちは生きています。』


繋いでくれた命への感謝の言葉。


そして、

過去〜現在〜未来。

子供でも思いを馳せる事が出来るのに、大人が出来ない訳が無い。



今日、8月6日は、

広島に原子爆弾が投下された日。

そして、過去の過ちを繰り返さないための、平和を祈念する大切な日

【広島平和記念日】


「また、明日」と言って別れても、その明日が必ず来るとは限らない。



沢山の方々の大切な命が失われてしまった、昭和20年『86日』

色々な思いが溢れた1日。


『8月6日』の出来事を、決して忘れてはいけない。


熊本地震から7年。

2023-04-14 21:26:00 | 日記
4月14日。
275人(災害関連死も含む)の方が犠牲になった、熊本地震から今日で7年。(本震が発生したのは前震から約28時間後の4月16日午前1時25分5.4秒(気象庁のHPの記録参照))

もう7年。
まだ7年。

これは、どんな災害に対しもそうだけど、
感じ方は人それぞれ。

でも、決して忘れてはいけない日。

今はまだ、復興途中。

大きな被害を受けた熊本城。
地震直後にTwitterで見た崩れてしまった石垣や、柱一本だけを残して倒壊してしまった櫓。
崩れ落ちた大天守閣の瓦や鯱。

2021年に天守閣の復旧は終わったけど、被災した全ての建物の復旧が完了するのは、2052年度の予定らしい。


熊本県のゆるキャラ、"くまモン"も、地震直後は活動自粛を余儀なくされたけど、被災者の方々を元気付けるためにと、被災から数週間後には活動を再開。
∩(●′(エ)′●)∩

くまモンは、今も熊本県のシンボルキャラクターとして国内外で熊本県の現状や復興への道を伝えてくれている。

くまモンの元気さと可愛さで、被災者の方々も沈んだ気持ちを癒してもらえていたんだろうなって思う。


この7年の間に、世界で猛威を振るった『新型コロナウイルス』
ロシアのウクライナ侵攻等、人の命を脅かす出来事が沢山あった。
どちらも、また現在進行形ではあるけど


ニュースで、毎日のように『新型コロナウイルス』の感染者数・死者数が発表されたり、テロや事件等で、命を奪われるという暗いニュースばかりでイヤになるけど。

熊本県のように、大きな被害を受けながら完全復興に向けて頑張ってる人達が沢山居るってことを忘れちゃいけない。


今朝のくまモンのツイート。

1年前は、
『これからも復興に向けてみなさんと共に歩いていくモン!』
だったツイート。
今年は、
『これからも復興に向けて、少しずつ前に進んでいくモン!』

共に少しずつ、前へ。
これからも、ずっと応援し続ける。
くまモンとくまモンが大好きな熊本県を。

そしていつの日か、完全復興した熊本県に遊びに行きたい🧸


震度7という大地震が短期間で2度も発生した熊本地震。
あの日喪われた尊き命に、改めてご冥福をお祈り致します。

そして、これからの未来が、明るい未来でありますように。


Pray for Kumamoto❗️

Pray for Japan❗️

All for ONE ONE for All‼️


由紀





12年。

2023-03-11 16:38:00 | 日記

今日3月11日で、東日本大震災から、12年。

もう12年。まだ12年。
感じ方は、人それぞれだと思う。

変わった事、変わらない事。
変えられない事、変えちゃいけない事。
全部あって、全部ホントだと思う。

だから、2011年3月11日を忘れないという気持ちを忘れちゃいけない。


12年前の‪3月11日‬、‪14時46分‬。地震発生。その後の津波による被害。
あの日、テレビで見た光景は、ドラマや映画なんじゃないかって思うほど、衝撃的だった。
ドラマや映画で、大津波の場面を見る度に、自分達の住む日本では、こんな事はおきないって、心のどこかで思っていたかもしれない。

家や車を、大きな船を、軽々と押し寄せていく、大津波の映像に、
ただただ、見入っていた事と、これ日本でおきてるの❓って思った事を、今でも覚えてる。

テレビのCMがACのCMだけになって、うんざり(って言っちゃうと語弊があるかもだけど)した事もあったけど、あのCM、人の心を動かす言葉が集められた、すっごく素敵なCMだなって、今は思う。


東日本大震災から、12年たった今もなお、自宅に帰れない人達がいる。

12年たって元通りになった事も沢山あると思うけど、まだまだ完全復興したとは言えない。

もちろん、ご本人の意思で生まれ育った場所から離れた人達もいるとは思うけど、帰りたいと思っている人達が、12年前の被災前と同じ所まで戻れたら、そこからが完全復興へのスタート。


1人で何が出来る❓
1人じゃ、何も変えられない。
そうじゃないよね❓

とても、とても、小さな力だとしても、
今、出来る事をする‼️
それが、真の復興への力になると、信じて。


最後になったけど、
被災された皆様に、改めてお見舞い申し上げますと共に、お亡くなりになられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。


そして、これからの未来が、明るい未来でありますように。

2023年3月11日
由紀