のほほんroom

のほほんと気まぐれに。

土佐の「おきゃく」〜漫画家大会議inまんが王国♦土佐

2023-03-06 12:20:00 | 日記
先日の土曜日、3月4日。
中央公園でスタートした、【土佐の「おきゃく」】に行ってきた



この日行った1番の目的は、
大好きな声優さんである、松本梨香さん(以後梨香姉さんと称す)のトーク&ライブ



幼馴染家族との久しぶりの再会でもあったこの日、めちゃくちゃ楽しかった

【めざせポケモンマスター】の『ポケモンゲットだぜ!』の第一声で会場が既に最高潮に

その後、予定時間を大幅に越すトークTime
進行役のお二人とのトークが盛り上がってトークの予定時間を超えてしまったらしいけど、観ている側としては、嬉しい誤算だった

その後、リクエストに応えての
【タイプ:ワイルド】
他にもリクエストは上がってたけど、梨香姉さんご自身が聴い欲しいと用意していた曲の中でリクエストに上がったのが【タイプ:ワイルド】で、梨香姉さんとお母様との思い出話も聴けて、嬉しかった

そして、ラストは、
【生きてこそ】
サビの振り付け、会場みんなで(多分)やって、しっとり歌い上げる梨香姉さんの歌声と一体になった感じが凄く良かった
歌い終わった梨香姉さんが感極まって流された涙に、感動(⸝⸝o̴̶̷᷄ ·̭ o̴̶̷̥᷅⸝⸝)

夢のような楽しい時間は、あっという間に過ぎていったけど、本当に楽しい時間だった


土佐の「おきゃく」という事で
会場ど真ん中に陣取る【べろべろの神様】
一応、記念に撮影しておいた



帰宅後に、梨香姉さんのトーク&ライブの事をちょこっとTwitterにツイートしたら……
なんと、梨香姉さんにRTして貰えてたという幸せ
嬉しすぎて、即スクショした私
記念に保存だよ

翌日、地元新聞の記事になっていた事を再度Twitterにツイートしたら、なんとなんと……
梨香姉さんから引用RT


嬉しすぎて、これも即スクショした

この新聞に載ってた写真に、小さいけど梨香姉さんと一緒に写れてて嬉しかったのに、更にこの記事に対して、梨香姉さんから引用RT貰えて、もう幸せすぎて、一生分の幸運を使ったんじゃないかとも思ったりもするけど…

2023年3月4日は、最高の思い出になった


ちなみに、幼馴染とはかなり久しぶりに会ったけど、連絡を取りあっていたから、久しぶりに会った感じが全くなくて、いつも一緒にいた頃みたい過ごせたのも楽しかったのだ








28年。

2023-01-17 16:44:00 | 日記

今日、1月17日。

阪神・淡路大震災から、28年。

1995年1月17日、午前5時46分52秒。
兵庫県淡路島北部沖、明石海峡を震源とする、マグニチュード7.3の地震が発生。(気象庁データ参照)

あの日から、
変わった事、
変わらない事、 
変えてはいけない事、
沢山あると思う。

大震災によって失われた街並みは、
元通りになったとしても、
失われた大切な命は戻らない。


大切な家族。親戚。恋人。友達。
一瞬にして奪われてしまった人達にとっては、まだ28年かも知れない。


28年前の今日。
突然、大切な人達と、お別れされた方達が沢山いることを、忘れてはいけない。


現在のコロナ禍において、この間まで元気だったのにという方と、もう2度と会えないということもある。

コロナウイルス感染予防は、自身が気をつけて対策する事が大切。
自身が感染しない事を心がける事が、自分自身の大切な家族。親戚。恋人。友達。を守ることにも繋がる。


出来る対策をせずに、失ってから悔やむより、
対策をしっかりして、みんなで笑って暮らせる世界がいいに決まってる。

だからこそ、しっかりと、その時々の事を考えて行動するべきだと思う。

守れる物は、守る。
出来る事は、やる。

一気に全部は無理でも、
1人1人が、1つ1つやっていけば、
いざという時に、みんなが対応出来るようになると思う。


今日、1月17日。
この日をきっかけに、また、命の大切さ。防災への意識。しっかりと考えて、しっかりと対策していきたい思う。


1995年1月17日。
阪神・淡路大震災によって犠牲なった、
6,434名の尊き御霊に、改めてご冥福をお祈り致します。


2023年1月17日
由紀




2022年⇒2023年

2022-12-31 18:05:00 | 日記

あっという間に、2022年も、あと数時間で終わり。

毎年のように、更新率の少ないブログで申し訳ない😅


それでも、フォローしてくださってる方、ありがとうございます。


今年は、コロナ規制も、多少は緩みちょこちょこと、イベント等遊びに出かけたりはしたけど、会場毎に検温・消毒と入場規制があり、楽しいんだけど、思いっきり盛り上がれない...と消化不良な感じの年でした☹️


ついでに、年の瀬に風邪を引いて、喉を枯らすというおまけ付き……🤦‍♀️


1年の締めくくりが、これって...🤷‍♀️ヤレヤレ💦


あまり更新しないblogだったけど、今年も、blogを読んでくださった皆様、有難うございました‼️


2023年も、マイペースに気まぐれ更新だと思うけど、よろしくお願い致します‼️


由紀


終戦記念日【8月15日】

2022-08-15 12:00:00 | 日記
昭和天皇による終戦の詔書のラジオ放送(玉音放送)が行われ、第二次世界大戦が終戦した1945年8月15日から77年。


大勢の罪なき人達が犠牲になった、戦争。

人間と人間の命の奪い合い。

昼夜を問わずに鳴り響く、空襲警報の音。

『ポツダム宣言』により、戦争のある世界が当然にならなかったのは良かったとは思うけど…今もなお、人と人、国と国で争い合ってる。

私の両親は、父は昭和19年生まれで、戦争の記憶は全くなく。母は昭和20年生まれで、戦争を経験していない。

共に幼子を連れて空襲から逃げた経験を持つ両親の祖父母もすでに他界している為、当時の話を直接聞くという機会はない。

小学校の頃の修学旅行で、広島県の原爆記念館に行った記憶はある。でも、当時は子供で展示されてるものが怖くてちゃんと見れなかった様な気がする。(何が展示されていたのか全く覚えていないから)

中学校の頃の修学旅行では、長崎県に。
平和記念公園にある《平和記念像》
《神の愛と仏の慈悲を表し、
高く掲げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を。軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っている。》と、ガイドさんが説明してくれた。
この頃は、前もって平和学習として自主学習をしていた事もあり、小学生の頃の様な恐怖心はなかったけど、戦争体験者のお話を聞くのは辛かったと記憶している。

長崎県で見て1番印象に残っているのは、
『山王神社の片足鳥居』
爆心地に近い左側は爆風により飛ばされたけど、右側は綺麗に残されていた。
同級生は沢山写真を撮ったりしていたけど、私はとても思い出として残す気にはなれず撮らなかった。


終戦から、77年。
いろんな思いを抱えて、今日という日を迎えている方が沢山いると思う。

現在、新型コロナウイルス🦠と戦う私達と、戦時下を耐え抜かれてきた方達のストレスを考えた時、とても比べ物に成らないと思った。

"見えない恐怖"は同じでも、人によって脅かされる恐怖は対応が難しい。

「平和が一番大切❗️
平和の日々を大切にしたい😄」

Twitterでフォロワーさんがツイートしていた言葉。

本当に、その通りだと思う。



戦争のない、平和な世界🕊。
誰もが望みながらも、叶えられていない願い。

どうか、これから先の未来が
戦争のない、平和な世界🕊であって欲しいと思う。


長崎原爆の日【8月9日】

2022-08-09 12:00:00 | 日記
広島に原子爆弾が投下されたわずか3日後の、1945年8月9日、午前11時02分。人類史上において2回目かつ実戦で使用された最後の原子爆弾が長崎に投下された。


爆心地から1キロ以内の区域では、強力な爆発圧力と熱気によって、家屋やその他の建物などは紛砕し、爆心付近は同時に焼失。そして、同時に強力な火災が発生したとされている。
当時、人口は24万人だった長崎は、原爆の投下によって、そのうち7万人以上が1945年の年末までに死亡したと記されています。(長崎市原爆資料保存委員会の資料参照)
今回、このブログを書くにあたって資料を検索したけど広島よりも長崎の方の資料が少ない事に気付いた。(私が見付けられてないだけかもだけど)
そして、テレビ等で取り上げられるのも、広島・沖縄に比べると長崎は、少ない気がする……(あくまで、個人的感想)
1945年8月6日に広島に落とされたのは、ウラン原爆。
8月9日に長崎に落とされたものはプルトニウム原爆。
原爆の特徴の一つは、爆発の瞬間に膨大なエネルギーが放出されることで大きな破壊力があるということ。
そして、もう一つの特徴は、爆発時に大量の放射線を浴びることで、その後長期に渡る人体への影響で、いつまでも苦しめられるということ。
爆撃を免れた人でも、被爆地で親族を探したりした方達が、後に被爆の影響で健康を害したり、亡くなったりしている。
そして、原爆投下から77年経った今でも『被爆の後遺症』を患っている人もいる。
たった2発の原爆により、約50万人もの方が、尊き命を失った。
3日前の記事にも書いたけど、戦争を知らない世代である私達が出来ること(するべきこと)は、
現在、そして、これから先の未来でも【2度と戦争をしてはいけない】と伝えて続けていくこと。
8月6日の【平和記念の日】
8月9日の【長崎原爆の日】
もちろん、沢山の命が失われたのはこの2日間だけではないけど、唯一の被爆国である日本に生まれ、生きている私達は、この2日間のことは、決して忘れてはいけない。