佐々木ゆうきの日記〜平和とともに歩んで〜

2回目となる能登半島地震の被災者支援




 昨日7日、羽咋市にある能登半島地震・被災者共同支援センターに行き、センターに常駐して支援活動している方、元議員さん、あぐい初美市議(稲毛区)と私の4人で車にお米や水、日用品などを車に積んで出発。




 車内で被災地域の状況や、支援活動の内容など打ち合わせしながら珠洲市へと向かいました。珠洲市内の沿岸部で特に地震と津波による被災状況が深刻な地域をまわりました。
 1階部分がつぶれて倒壊している住宅が多く、マンホールも道路から突き出て、私の背丈くらいまでていたり、この日は風が強かったので、倒壊した住宅などの隙間を抜けて「ヒューヒュー」と鳴っていました。
 元日の当日そのままなのかと思うと絶句しました。

 珠洲市でも震源のほうに近い小規模な仮設住宅に入りました。30軒弱なので声をかけてまわり、支援物資のお渡しと、要望の聴き取りをしました。




 お話しを伺うと、被災当時から現在の状況について話になり、1軒で20〜30分話し込むこともありました。被災当時では「学校の教室のカーテンで暖をとった」「体育館のマットの場所を知っている人はすぐに持っていった」「ダンボールベッドが来たのは避難してから1か月後くらい」とのことでした。

 現在の状況では、「住宅の解体を申請しているが、まだ業者が見つかっていない」「解体が始まったが業者のやり方は丁寧なやり方じゃない」「住宅まわりの草刈りをしている」「被災住宅の調査は最初は半壊だったが、2次調査で住宅内も調査し全壊判定になった」「住宅を建て直すかは費用のこともあるので考えている」などでした。またある方は「金沢市と他県に子どもの家族がいて見舞に来てもらっても泊まる場所がない」と言っていました。仮設住宅では3人家族で2部屋、もっと人数も多い家族がいる仮設住宅もあるようです。隣のお風呂の生活音が聞こえたりして、「避難所生活でもそうだったのに、さらに仮設住宅でも」と。
 お話しを聞く中で、「千葉の方には良くしてもらった」と千葉市職員に感謝の言葉がありました。






 この他、輪島市で土砂崩れによりいまだ行方不明になっている方がいる地区、門前の漁港では4メートル隆起した状況を見て、実際に降りてみました。

 常駐して活動している方から、「地方議員さんたちは実際に被災地を見て、自治体の地域防災に生かしてほしい」と話していました。この方は最初は3〜4日の支援活動と思っていたそうですが、活動をしていくうちに1か月、2か月となっていったとのこと。

 あまり被災地のことが報じられていない中で、被災者の声や要望を聴く活動は、続けなければと感じます。私自身は3回目の支援活動を検討したいと思います。

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