11月2日に出発し、4日に千葉に帰る日程で能登半島地震・豪雨災害ボランティアに行ってきました。今回は青年・学生と一緒に羽咋市にある日本共産党や民主団体でつくる被災者共同支援センターのサテライトである穴水センターに直接向かいました。志賀原発の前を通り、のと里山海道を通りましたが、まだ崩落した道路にあった乗用車はそのままでした。センターへ向かい、夕食と翌朝の朝食を地元のスーパーで確保して、その日はそのまま就寝しました。
翌朝(3日)は少し早めに起きて、穴水港まで散歩して、地域の被災状況も見ながらセンターへ戻ってきました。護岸が陥没していたり、まだ、ブルーシートで屋根が覆われた住宅、解体中の店舗などまだまだ復興と言えるような状況にありません。
前回お世話になったSさんの案内で、輪島市門前町道下の仮設住宅で、仮設住宅の問題点や課題について説明をしていただいた後、4メートル隆起した鹿磯漁港の状況を見ながら昼食。昼食は、おにぎりとお惣菜を少々です。
その後は、漁港から北上した場所の深見地区で、水害によりお墓の周辺に堆積した土砂を取り除く作業を行いました。根気のいる作業です。この地区は全戸が土砂が入る被害を受けています。お墓の持ち主である高齢の女性から「キレイなお墓が見れた。ありがとう」と10回も感謝の言葉がありました。作業時間は約3時間、隣りでは大学生のボランティアで同じ作業をしていましたが、さらに土砂や流木が堆積した墓地でした。倒れた墓石もあり、家の復旧だけでなく、生活全体に関わる支援を行わなければならない状況です。地震に続き、豪雨による被害、二重被災(災害)の現状を目の当たりにしました。
一定の作業を終えて、輪島市門前町総合支所へ行きました。高速道路無料措置の押印をしてもらいましたが、窓口は休日なので閉まっているものの、支援から帰ってきた職員さんと思われる方々と「お疲れ様です」と挨拶を交わしました。さらに北上し輪島市の朝市周辺へ。報道などで紹介されている倒れたビルの解体は始まっていますが、これからという感じです。本来なら観光地として賑わっていたはずですが、人通りは少なく、復興までは相当かかるように感じます。
さらに塚田川の氾濫で、亡くなった中学生が住んでいた地区にも行きました。残った家屋の中は土砂がまだ残ったまま、被害の凄まじさを実感しました。
最終日(4日)は七尾市の和倉温泉の被災状況を調査しました。車窓からはホテルや旅館の外壁が崩落したり、ヒビが入っていたり、傾いていたり…。和倉温泉も本来なら多くの観光客で賑わっているはずですが、温泉街を歩いている人はほとんどいません。開店しているお店の方に聞くと、現在は2つのホテル・旅館のみ宿泊できるとのことですが、老舗旅館が復旧するまでは相当な時間がかかるようです。お土産を買って地域にお金を落とすことしかできませんが、少しでも力になれればと思います。
帰りは関越自動車道の渋滞もあり、千葉には11時間かかりました。
また日程を見ながら、支援を計画したいと思います。