冷たい朝

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時間が存在する錯覚

2018-12-14 11:34:02 | 物理学

我々は、時間が存在するという事を当たり前のように感じている。実際に、「時間」が存在しないと困るのだ。スケジュールを立てる時も、カレンダーを当たり前のように使って、未来に起こるべきであろう計画を立てていく。しかし、仮にビックバンがあったとして、その時の状態がHe(ヘリウム)で占められていたとする。しかも、単純な振り子のように質点が「区別できないもの」であったとしよう。その時、皆さんは、振り子が宇宙空間の中でただ左右に揺れている事を想像できるであろうか。そうして、それをのんびりとビデオで撮って、巻き戻しをした時に「区別ができるものである」だろうか。

 

まず、①左の図を見てみよう。2次元である。左右に何回も単振動しても、巻き戻しをする時に区別がつかないのである。しかしながら、②右の図のように、青い矢を手前から向こうに放つ。そうすると、仮にビデオカメラでこれを巻き戻ししたら、紫の矢のように向こうから手前に戻ってきて、「時間の区別」が出来るではないか。こういう考え方をしていくと、時間が存在しているのは、一個の質点(粒子)ではなく、多数の粒子が宇宙にランダムにあり過ぎるから、時間が存在しているようにすら思われる。アインシュタインの「相対性理論」に触れる上で基本的な考え方なので、発想を覚えておくと良い。

 

一方、最近の物理学者の中には、時間自体が存在しないと考える人もいる。「現在のこの瞬間が最新の宇宙である」という考え方だ。それでも、腕時計や鳩時計をみていると、やはり時間というものは目の前で動いているのだから、過去・現在・未来が存在して当たり前だと普通は考える。しかし、これにも反芻があって、生きている事とそもそも実在しない人間がいる事(生と死)を考えてみて欲しい。近代芸術では、生まれ変わりなど「大乗仏教」を中心とした輪廻転生の概念がある。そして、「時間とは過去に向かっても、未来に向かっても無限に広がっている」という常識がある。この辺を考えて仏教が支持される理由を、まるでコペルニクス的転回のように考えてみても面白いのではないか。



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