深い森に迷い込んだ。私は、スケッチブックを持っていて絵描きになりたいと思っていた。風よ、裂け!恋をした。強い引力が少しずつ働いてやってくる。虹が最近になって現れないと思った。カミュの「シーシュポスの神話」を少しずつ読み始める。神を欺いたことで、シーシュポスは大きな岩を山頂に向かって運ぶ罰を受ける。しかし、何度運んでも元の場所に戻ってしまう。太宰治の「ダスゲマイネ」の最後の一文を思い浮かべる。
あの日の約束は選べず、不公平や不条理などの言葉を並べる。そういう絵が、初めてのカードが空中で舞うように白樺が揺れた。悪魔、正義、不徳などの文字の矢がその揺れ動く白紙のカードに突き刺さる。自発的対称性の破れ、漸化式、テンソル、多項式エルミートなどを適当に羅列している。聞こえたか!と放物線を描いて飛んでいく。私はここまで描写してスケッチブックを閉じた。
ベンチに座った。白い衛兵がちょっと見せてくれと空間の中に入っていった。それから進み行き、一対一で勝負した。まだ、完成されるはずのない勢いのあるキャンパス。燕返し。ミトコンドリア、夢、風、葉、その辺の描写がまだだった。狂気の野望とはなんぞや。明日を生きるのが苦しくて仕方なかったと衛兵は槍を構えて、絵を取り出そうとした。
金木犀の香りがした。眩さよ、明日を与えたまえ!写像を描き、私は白い衛兵に希望を少しだけ与えた。幼い頃に、書いた記憶がある。どこかで描いた記憶がある。主人公だ。私の主人公だ、私は主人公だと錯綜していく声が、反射して、地面を叩いた。その地面は何だか地獄のようにも優しさの丘にも見えた。ニーチェが発狂する時の、その思想。あの人は元気だろうかとこの世の憂いと鏡を返したように、もう一つの異性体ができた。
私は古い慣わしを信じています。けれども芸術というのは、そういうものを破壊していくものなのでしょうか?
真っ直ぐに光線が射し込んでくる。
〜最後にドレスが着たい
また、地面を叩いた。
〜舞踏会に行きたい
次は、シャポン玉の中に地球が見えた。
〜健気に咲くタンポポのように
私を連れ去ってと嘆く風が優しかった。岬の上に立っているような感じになった。願いと祈りが交錯するように、下から斜めにザッーと放物線を描いて夢鳥は浮遊していく。向こう側からこちらに向かって、スケッチされた絵の断片がわずかに雪崩れ込んでくる。夜になって風が曲がるように吹き出した。存在の意味すら考えずに、にわかに向かってくるスケッチに、対を成すように駆け出した。私は駆け出した。そんな時、ピアノの五線紙とギターが独り音楽を始めた。空間は、ふわりと羽衣で包まれた。