日本語を書けないことが病理の原因です。
日本語の解釈がつくる支障と障害
脳内に分泌する猛毒は、弛緩(ゆるみ、たるみ)を欲しがって求め続ける病理をつくります。
知的に見ること、聞くこと、読むこと、書くことのための目、耳、口の知覚系統が固まり、硬直して、麻痺状態になって機能しなくなる病理です。
仕事や学校に適応していても、日本語が曖昧ならば、きわめて主観的な妄想が浮かびます。その主観のイメージの内容は太古の原始社会の共同幻想をあらわしています。
衣食住さえ保護されれば、その他のことは自分の責任ではないと、日本語の病理そのものに無関心になります。思考領域では、支離滅裂をあらわし、感情面では不都合な現実を受け容れることの拒絶と衝動的な常同症があらわれます。
死のイメージへのあがきもがきから、しつこく恐怖や不安を訴えるが、万人が理解できる日本語では言い表すことも書き表すこともできない。ここでは、不気味な反復音や怒声、もしくは無責任で癇癪を起したような笑い声などの病的な症状が観察されます。
心身の発達と心身機能はその人の貴重な資産である真実に否定的、かつ懐疑的です。
万人が理解できる日本語を書けない、話せない原因は、社会と時代の最も高い知性の言葉との不適合です。
日本人が誰でも抱えている古代原始社会の共同幻想が、社会規範との不適合をつくっています。古代原始社会の共同幻想とは、違法であり、法の秩序を無化する怖ろしい妄想です。
ここで誰にでも発生する強迫観念と神経症を克服するためには、社会性の知性の言葉を改めて習得する必要があります。
日本人が曖昧にしている、甘えたい、依存したい、憑依したいという気持ちや気分や情緒という甘美思考が、現実や社会を滅ぼしています。人格や性格の麻痺を進行させている思考法を、正当な知的対象に向上するには、悪感情や強烈な不安を書き言葉に書き換えるための練習が、幼児から高齢者、男女の区別なく、必要になるのです。