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アートベース・リサーチ(ABR)を用いた慶應義塾式研究方法

「3年間何してたんですか?」五輪敗退で号泣した阿部詩に心無い声、SNSで選手が負うリスク

2024-07-30 | 日記

学校という巨大な社会における優生思想とは、成績の良し悪しや障害の有無などによって人間を「優れた人間」と「劣った人間」に区別し、「劣った人間」は学校から排除してもよい、という考え方です。

そして、学校における社会福祉とは、学校生活を送る上でハンディキャップを負った人々が健やかで文化的な生活を保障された社会。 また、その充実・増進を積極的に追求する考え方です。

この真逆な考え方のどちらでも、自由自在に、一つの組織が、一人の人間が、適応しようとしてもできるはずがない。学校という巨大な社会に、優生思想が存在すれば、社会福祉を積極的に追求することはできない。社会福祉は優生思想の配下に置かれる。

優生思想を学んで理解した人は、優生思想に基づく行動を無意識に選択する。

社会福祉を追求する考え方の人は、優生思想に基づく行動を取る人を理解できない。

私は、4歳から12歳まで小児期の薬物治療の副作用で、中学生で成長が止まってしまいました。見た目だけでも、劣勢なのです。優生思想に基づく行動を取る人から追い掛け回されました。

狩りをする人は、失敗すると、気が狂ったように思い詰めるのです。

まさか、優生思想に基づく行動を取る人が、劣勢な人間を追いかけて、しくじるなんて、ありえないことが起きたとき、この腹立ち、悔しさ、憤りを何が何でも理解してほしいと欲求し、よくわかるよと許容する暗黙の思考法が発生していても、劣勢な人間には、何が起きているのか、まったく理解できないのです。

狩りに失敗すると、この、憎しみの気持ちや、怨みの感情が、劣勢の人間は嫌われ者だから、優勢な人間が何をしても許されると、思考の逸脱や奔逸の現象を発生させてしまうのです。

優勢な人間は悪くない、悪いのは劣勢の人間である。

優勢な人間が劣勢の人間を非難することは正しい。

優勢な人間に、劣勢の人間が逆らうことを決して許さない。

このような心情や悪感情が内面の世界に発生しています。

劣勢の人間が、優勢な人間を不当に抑圧していると感知されるために、固着し、ここに、憎悪、怨みという有意味性を中心にした心的な世界が、明確に形成されたのです。

無料奉仕のボランティアのように強制を強いてくる形式性が、がぜん優位を帯びて、無条件に抑圧しているかのように、圧倒して、のしかかってくるような不快感に襲われているのです。

カウンセリングでは、逸脱した優生思想に基づく行動は、すべて鬱病の心的な現象を、魔性の鬼火のように引き寄せるものであるということが、本質的な次元での問題です。

優生思想と社会福祉を追求する考え方は真逆でありながら、対の共同性としてあるものです。これを脅かすものの中で唯一無比の最大の原因は、生命の切断であることは疑いありません。優勢な人間の欲求が、劣勢の人間の欲求を強圧的に封殺し続けたいと喚起されるとき、この欲求の矛盾が、不可視の枠の中で、対の関係性を崩壊させているのです。

優生思想と社会福祉を追求する考え方という真逆の対の共同性では、このように、いじめや自殺は起こるべくして起きています。発生の初めに、必ず、見た目では解からない内面の世界に恨み、憎しみ、反抗といった感情の衝動を中心にした思惟が形成されています。

すなわち、劣勢の人間が、社会福祉を追求する考え方を持ちこたえるためには、書き言葉によって、現実崩壊を防ぎ、心身の危険を回避するために、言葉を書き続ける必要があります。言葉を書く習慣が、自分の身の回りで起きていることを、社会に報告する手段になるのです。

 

 

 

 

 

 


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/jprime/entertainment/jprime-32984


障害者への偏見や差別のない共生社会実現のための閣僚会議29日に初会合開催

2024-07-25 | 日記

追放と王国

 女性のグループつくりは、パラノイアに準拠する。

妄想性パーソナリティ障害を基軸として、悪感情が錯綜する。

これまで平穏無事に過ごしてきた日常が180度変換する。

それは、王国からの追放に喩えられる。

パラノイアの世界を破壊する者は

より強固なパラノイアによって、排斥し、消滅させなければならない。

これが、女性のグループつくりの本質である。

王国を追放された女は、新たに、自己流のパラノイアの世界を再構築しなければ生きられない。

自分にしかイメージできないパラノイアの世界が、自分の王国。

生きるも自由、死ぬも自由、転落するのも自由、隣の王国から自由を奪われない自分の王国。

頭の中に浮かぶ妄想を書き言葉に変換することが、王国をつくることである。

頭の中にあるイメージを小説に置き換えることが、王国をつくることである。

カフカの「変身」を読み、文章を書き替えてみる。

ある朝、自分の周りで優し気に微笑み、心通う温かみのある言葉を話していた女たちが、一人残らず、団子のようにくっついた、一匹の巨大な毒虫に変わってしまっているのに気が付いた。ゾクゾクと戦慄して、鳥肌が立ち、その毒虫に関わらないために駆除する方法は無くて、自分のほうが逃げ出さずにいられない。

毒虫は、情けないくらい貧相でしょんぼりした発語を、恐ろしく元気に、勢いよくまき散らしている。書き言葉にすれば意味を持たない馬鹿馬鹿しい発語なのである。

「どうしたのだろう?」奇異な現象に見えるが、これが白昼に浮き彫りにされた、女のグループのパラノイアを言語活動にすれば、巨大な毒虫になるという真相なのだ。

しかし、この真相を話し言葉で言ってしまえば、なんて無礼なことを云う奴だ。あんなに優しい女の人を傷つけて、マナーがなっていない、許さないぞ、と、パラノイアという女のグループつくりに参加したがる人々の数が膨大に膨らんで、収拾がつかない。

「ああ、なんという骨の折れる人生を自分は選んでしまったのだろう」

 なぜ、あんなに大勢の女たちがイメージしているパラノイアの世界では生きられないのだろう。出来てしまったものを、共有していたほうが、自分で創造するより楽だったのに。

そうは言っても、あんなパラノイアをいくら繰り返しても、単調で退屈で、無為で、けっして心から打ち解けあうことのない人付き合いになることは明らかだった。そのための膨大な時間をドブに捨てるなんて、まったくいまいましいことだ。

 自分だけの王国にバリケードを築いて閉じこもり、王国の外の人には、ただ、イエスかノーとだけしか返事をしない。王国から追放された女は冷静な分別ある人間であることを話し言葉で伝えることはできない。奇妙な気まぐれを見せつけている。周囲には理解しがたい頑固さを見せつけられては、誰も味方をする気にはなれない。

それに王国を追われた者の地位や身分や職業は安定したものじゃない。

王国を追われるということは、職業を失うことなのだ。

つまり、職業を失わないために、単調で退屈で、無為でありながら、数の勢いが凄まじい女たちがイメージしているパラノイアの世界で生きなければならないのである。

現実の世界では、職業を失わないために、ひとつの偏見が生まれると、より強固にしていく。

職業を失わないために、陰口や偶然やいわれのない苦情の犠牲を防ぐことはできない。

「助けて!どうか助けて!」いくら頼んでもだめだし、聞き入れてもらえない。

ただいよいよ強く足を踏み鳴らして、容赦なく追い立て、野蛮人のようにしっしっと言う。

数の勢いが凄まじい女たちがイメージしているパラノイアの世界で作り出された、あの耐え難い、しっしっという追立ての声さえなかったら、どんなによかったろう!それを聞くと、誰でも、まったく度を失ってしまう。いつでも、この、しっしっという声に気を取られて、おろおろしてしまい、逃げ出してしまう。というのは、恥辱と悲しみのあまり身体がかっと熱くなるのだった。

この恥辱と悲しみのせいで、直接の人間的な話しかけが王国を追われた女には欠けている。

直接の人間的な話しかけを試みれば、必ずや、単調で退屈で、無為な、数の勢いが凄まじい女たちがイメージしているパラノイアの世界で通用する言葉だけを快諾し、発語に専念し、オウムのように繰り返すことを求められるのだ。

 

 


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/tbs/politics/tbs-1314770


「勇気と良識で国を一つに」トランプ氏銃撃でメラニア夫人が声明

2024-07-15 | 日記

墓地の横に、堀っ立て小屋があった。

物置のようにも見えるが、6畳ほどの家で、女の人が棲んでいた。

お墓参りする人に、蝋燭や線香を1本10円で売っていた。

外壁には、大きなやかんが引掛けてあり、やかん一杯分の水を売る。

小屋の中には、調味料や鍋や生活するための道具が置かれていた。

女の人なら、誰でも、ふかふかのお布団で手足を伸ばして眠りたいだろう。

綺麗なお湯を沸かして、お風呂に入りたいだろう。

しかし、小屋の板張りには、薄い布が敷かれて、女の人はそこで寝ていた。

お風呂は無いので、お墓の横を流れる水を汲んで洗う。

そこでは、役場が仲を取り持ち、結婚願望のある男性と女性を引き合わせる相談会が行われる。男性は65歳まで、女性は50歳未満が参加の条件だから、50歳を過ぎた女性は結婚を諦めなければならない。

学校の周りは、田んぼや畑で囲まれていた。

牛を飼う家、チャボやニワトリを飼う家は珍しくない。

ビニールハウス、トラクター、見渡せばどこにでもあった。

夕方の6時のニュースが始まると、トラクターのマスコットが歌うCMが流れた。365日、一日も途切れることなく。

そのマスコットの呼び名を知らない人はいない。

学校の男の先生は、素直な女の子を溺愛した。請われれば農家の嫁になって、汗水たらして労働力を提供できる、身体が頑丈で気立ての良い娘を溺愛した。

学校の男の先生は、学校や教室を私物化して「俺に逆らえば出ていけ」と平気で言葉にする。自分の家で、気に入らない嫁に三下り半をつきつけるように。

だから、女の子たちは、男の人の言動に敏感だった。

女の子たちは、男の人の顔色を窺い、嫌われないように身構えていた。

彼女たちが、私に対して理不尽な言いがかりをぶつけてくる理由とか動機には、彼女たちの業(カルマ)と宿命があったからかもしれない。しかし、どんなに私に対するイメージを膨らませて、吹聴し尽くしても、本来、彼女だけのものである業(カルマ)と宿命から逃れることはできない。

今思えば、たしかに、そこで生まれて、死ぬまでそこに居つく為には、そうせざるを得なかったのだろう。彼女たちから見れば、私のように現実に適応できていない女は、馬鹿か知恵遅れにしか見えない。彼女たちは、ずっと、私に向かって、こう言い続けた。

「男の先生に言い付けて、男の子たちに虐めてもらうからね、アンタなんか。この馬鹿」

どうやら、男の先生は、女の子たちの主観や妄想を真に受けて、私の悪口を聞くと、全部、私のせいなのだと決めつけた。お昼の給食の時間に、朗読の放送を流した時、私の声が聞こえなくなった。それは、ミキサーで音の調整していた女の子が、わざと、嫌がらせで消音にしたからである。しかし、男の先生は、彼女を叱りもせず、彼女を疑いもせず、彼女の言い分だけを信じた。

「おまえが怠けて、わざと読まなかったのだろう。俺に恥をかかせやがって」男の先生の目つきは、凄まじく険悪で不気味なほど狂暴だった。転入した来たばかりの男の子が、教室の誰かに虐められて、すぐに転校していったときも、私が犯人だと、彼女たちは、でっちあげたし、男の先生も、さもありなん。私以外にそんな悪い子はいないと決めつけていた。

あそこでは、女たちは、生涯、言葉を持たない。それゆえに、彼女自身の業と宿命を直視することが出来ない。嘘やデタラメの言葉を、苛立ちや悪感情のはけ口にして、かろうじて持ちこたえていた。身なりを整え、清潔感を強調し、他者に好まれる見た目があれば、彼女の業(カルマ)と宿命に、毒蛇や毒蜘蛛が巣くっていても、人の目に触れるはずがないと、思い込んでいた。それは、言葉の本質を取り違えていたからである。

だから、男の先生に言い付けられて、私を虐めなければならない男の子たちは、自分の家で飼う動物の虐待を思い浮かべた。直接、暴力を振るえば犯罪になるから、恐ろしくてどんな男の子もそんなことはできない。自分の家で飼っている動物に対するように言葉で虐待するしか術を知らないのだ。それは、言葉の本質を取り違えていたからである。

私は、そんなところに居たのだ。

そこは、どんなに小さな間違いも責め立てられる場所。

やり直しの聞かない場所であった。

 

 

 


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手当不正受給、パワハラ…統制不全が露呈防衛力強化に冷水

2024-07-13 | 日記

日本語を書けないことが病理の原因です。

日本語の解釈がつくる支障と障害

脳内に分泌する猛毒は、弛緩(ゆるみ、たるみ)を欲しがって求め続ける病理をつくります。

知的に見ること、聞くこと、読むこと、書くことのための目、耳、口の知覚系統が固まり、硬直して、麻痺状態になって機能しなくなる病理です。

仕事や学校に適応していても、日本語が曖昧ならば、きわめて主観的な妄想が浮かびます。その主観のイメージの内容は太古の原始社会の共同幻想をあらわしています。

衣食住さえ保護されれば、その他のことは自分の責任ではないと、日本語の病理そのものに無関心になります。思考領域では、支離滅裂をあらわし、感情面では不都合な現実を受け容れることの拒絶と衝動的な常同症があらわれます。

死のイメージへのあがきもがきから、しつこく恐怖や不安を訴えるが、万人が理解できる日本語では言い表すことも書き表すこともできない。ここでは、不気味な反復音や怒声、もしくは無責任で癇癪を起したような笑い声などの病的な症状が観察されます。

心身の発達と心身機能はその人の貴重な資産である真実に否定的、かつ懐疑的です。

万人が理解できる日本語を書けない、話せない原因は、社会と時代の最も高い知性の言葉との不適合です。

日本人が誰でも抱えている古代原始社会の共同幻想が、社会規範との不適合をつくっています。古代原始社会の共同幻想とは、違法であり、法の秩序を無化する怖ろしい妄想です。

ここで誰にでも発生する強迫観念と神経症を克服するためには、社会性の知性の言葉を改めて習得する必要があります。

日本人が曖昧にしている、甘えたい、依存したい、憑依したいという気持ちや気分や情緒という甘美思考が、現実や社会を滅ぼしています。人格や性格の麻痺を進行させている思考法を、正当な知的対象に向上するには、悪感情や強烈な不安を書き言葉に書き換えるための練習が、幼児から高齢者、男女の区別なく、必要になるのです。

 

 

 

 


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「九州府」構想で勉強会発足3政令市長が発起人、5日初会合

2024-07-02 | 日記

学校施設に配置したい「命のポスト」

 人間の心・ことば・行動は、すべて「脳の働き方」に由来しています。

 暴力の問題は、脳のしくみのなかに障害が発生して起こります。

 ごく普通の日常の中で、暴力を振るい、暴言を吐き、他者に害を及ぼすという問題が発生する要因は、なんでしょうか。正当に充分に機能する前頭葉を持ちながら、衝動的な暴力・現実破壊を犯すことを自らの意思で選択しているからです。

 日本人の対人意識は、すべての日本人の右脳の記憶の中枢神経に憶えられているので、この無意識の中の不安や緊張、恐怖のイメージ(せん妄)を正しく理解することが、「なぜ、あのような異常な対人関係の行動をとるのか」正しい理解にいきつきます。

 日本人は、人から悪く言われたくない、人から嫌われたくないと考えています。しかし、誰からも好かれることはあり得ないのです。したがって、人から好かれることや、人から嫌われることには、どういう社会的な価値も、社会的な利益もないのです。ただ、神経や精神の病理である「対人緊張」がつくられています。

 この「対人緊張」は、学校教育の現場で強く現れています。

学校教育の現場では、教室で教科書の概念を教えるということだけが、左脳の言語脳の教育であり、のこりはすべて右脳の働きによる対人関係を構築しています。相手を支配したい、優位に立ちたいという感情だけが急浮上します。ここでは、人間の言葉を聞く左脳の働き方が機能していません。左脳から伝わってくる話し言葉は壊され続けて、拒否されて無化されます。すると、人権の尊重がないがしろにされて、嫌われ者と評価された者たちは、人権を強奪され、価値のない者と選別され、学校や教室から追放されてしまうのです。

 学校施設に「命のポスト」を配置することで、話し言葉では解決できない「人権の問題」を、書き言葉で解消する経験を通して得られる学びや気づきには貴重な価値があります。人権の問題を、書き言葉に変換すれば、個人的な問題ではなくなります。万人に共通する問題提起に変わります。「命のポスト」とは、 利用者からの質問・意見・要望を紙に書いてもらい、投げ入れてもらう投書箱のことです。 投書箱は利用者が話し言葉では言いにくいような虐めの問題に関する大切な情報の収集口となるでしょう。 

 

 

 
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