今年も12月に入ってすぐに大学の時に知り合ったセーラから
クリスマスレターが届いた
アメリカでは感謝祭(11月の第4木曜日)が終わるとクリスマスなのだ
アメリカから日本に帰ってきて、かれこれ20年にもなるのに
毎年変わらず自分と旦那様、そして自分の子供たちや孫たち、今年はそれに
ひ孫たち を含めた1年の報告なんかを楽しく書いて送ってくれた
今年彼女と旦那さまは80歳の誕生日と結婚60周年をお祝いし、
長年住み慣れた大きな湖の傍の素敵なお家から小さな家に引っ越ししたとの事
アメリカ人の半分以上の夫婦が離婚をする今日この頃、こんなカップルもいるんだわん
毎年来るクリスマスレターには楽しそうに笑う二人の写真が必ず載っている。
二人はお互いを慈しみ尊重しあう本当にとっても可愛い素敵なカップルなのだ。
アメリカの大学は(ついて行くのに必死やったけど)外国人の私も入学を許され、
勉強の機会を与えてくれた。もちろん自国民にも勉強したい人には性別も人種も
年齢も関係なく、一定の基準さえクリアーすれば勉強の機会は与えられた。
セーラは高校卒業と同時に働きだし、20歳で結婚して3人の子供が生まれて、
その子供が成人してからどうしても大学で勉強することを諦めきれず入学して来たのだ。
そんなセーラと初めて会ったのはスペイン語のクラスだった。
彼女はいつどんなテストも満点を取るようなめちゃ優秀な生徒で、
いつもクラスの一番前の席に座って熱心に授業を聞いていた。
アメリカでスペイン語のクラスを取った私もしかり、
意外とまじめにやっていた。(ついてくためにまじめにやらざるを得んかった)
そんな英語もスペイン語もたどたどしい私を彼女はいつも応援してくれた。
何より異国の地で一人、外国語で勉強をしている私を勇気があると褒めてくれた。
美味しい手作りのパンをくれたり、昼食をご馳走してくれることもあった。
”Lake Norman" (ノーマン湖)にある素敵なお家にも何度も招待してくれた。
セーラは大学の4年間を全て「A」を取って卒業した。
そっからがすぎょい。
彼女は実はかなり成功したビジネスウーマンでもあったのだけれど、多額の資金を集めて
いろんな理由で大学に行きたいけど行けない女性たちのために奨学金制度を私たちが
卒業した大学に創設したのだ。
かなりの数の貧しい移民女性たちもセーラの奨学金制度にお世話になったはず。
いや、今もなっているはず。
怒ったり不平や不満なんか聞いたことがない。どんな大変なことがあっても、
いつもニコニコ笑って、「大丈夫、絶対出来る!大丈夫よ。」って朗らかに言って
今までやって来たのよ、ってこれも笑いながら話してくれた。
クリスマスレターが彼女から届いて、そんな遠い大学時代のことを思い出した
私からのクリスマスカードには、
「駐日米国大使としてキャロライン・ケネディーが着任したんですよ...」って書くかな。
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