先日(土)の稽古で久しぶりに手付け(振付)をしました。
昔は結構頻繁に手付けをしていたのですが、自分の思いに囚われて突っ走ってしまい、思いばかりで緻密さが無いというなかなかの欠点があり、そこをハッキリ自覚してから手付け恐怖症のような状態になっておりました。
自分一人で完結するものではなく、当然人を巻き込みますからね
昨日は和太刀主宰が他現場の仕事で稽古大幅遅刻という緊急事態
のため躊躇しているヒマ無しというところだったのですが…
こうなると体裁もクソも無いので、自分の中にあるもので勝負するしかありません…
結果出てきたのが、『京都に来たばかりの頃の沖田総司』でした。
もちろん最初からそう決めて作っていたわけではなく、手付けをしている内に
『これって、そう持っていけば良いんだ…』と気付いていったのですが。
和太刀の公演の中で、自分が芯の作品・他の方の作品含め、元気に活躍していた頃、死の間際、死後のイメージ作品等々10回近く沖田総司をやらせて頂いております。初めての時は、あまりに有名な存在で敬遠していた事もあり、恥ずかしながら学校のお勉強程度の知識しかありませんでした。
そこから色々な資料や小説を読み漁り、回数を重ねるごとに、自分なりの沖田総司を作っていきました。
昨日は自分が芯をとるのではなく、人に付けた作品でしたが、何となく沖田が似合いそうだなぁという方だったので自然にそうなっていったようにも思います。
遅れて稽古場に到着した主宰の演出も入り、芯・絡みのみんなの頑張りもあり、稽古作品でしたが中身の入ったものになりました。
稽古後言われた、『手付けが出来る人間はたくさんいるが、自分が付けた手(作品)の正体に気づかないまま押しきってしまう人が多い』という言葉は身に染みましたね。
まさに私だよ(T-T)という感じで…
同じ事をずぅーっと指摘されていたのですが、やはり手付けを完遂した昨日(珍しく手の修正は無かった)は重い一言でした。
2年ほど前の和太刀の公演で『死後の沖田総司』をイメージした作品をやったとき、これが沖田をやらせて頂く最後の作品だな…と何となく思ったのですが、
昨日の稽古を通して、またやりたいと思いました。
人生も後半戦のおばさんの図々しい欲ではありますが…(笑)
こればかりはご縁かな?とあまり焦らず
稽古をするのみですね✊
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