負け犬さんのぼやき日記〜殺陣と日々の日常と〜

世間的には負け組かもですが、日々満喫して生きています!そんな日々のちょっとしたことを書いていこうと思っております!

ありがとうございました!そして新たな場所へ

2020-09-22 18:50:09 | 殺陣
昨日、4連休最終日。
カルチャースクールの授業に行ってまいりました
20年近くお世話になったカルチャースクールが今月末で閉校する事となり、最後の授業です

ありがたい事に別のカルチャースクールからお声をかけて頂き、10月からは同じ曜日、同じ時間で授業を継続する事が出来る事となりました
多くの方がそちらに継続して通って頂ける事もあり、いつもと同じように楽しく稽古をする事が出来ました

長い方ですと、もう20年近いお付き合い。殺陣という文化の奥深さを改めて感じます。やってもやっても次々と発見があって、良い意味でゴールが無いんですよね。
だからこそ楽しい





授業の終わりでは、もう新しい場所での更衣室の心配や、ちょっと遠くなるから寝坊が心配!(笑)という明るい話で、
『また10月に会いましょう!』とお別れ出来たことが嬉しかった…

スクール内は後片付けが進んでいて、飾ってあった絵画や手芸の講座の生徒さんの作品も無くなっていました。
空になった棚を見て、寂しい…というのか物事の終わりの何ともいえない虚無感というのか…を感じましたが、
新しい場所へ向かえるありがたさを噛み締めて、楽しみに10月を迎えようと思います












グルグル…グルグル

2020-09-19 16:23:37 | 日記
早速2週間程ブログをサボってしまいました
何となく全ての事がマイナスにしかとらえられず、前向きになれない毎日。
稽古をしている時は、稽古に夢中になっていますから良いのですが、それ以外の時間は全くプラスの思考になれず…
そういう時は体調も引きずられて、もともと弱い扁桃腺が腫れてきたり(ただこのウイルス禍で熱は出さない❗という意識が悲しいかな根付いてしまったようで、熱は出さないというちょっとした皮肉…)、謎の胃痛に襲われたり。

だいたいこういう時には良い意味での
『人は人、吾は吾』とは真逆で、やたらと周りが気になり己れを見て益々落ち込むというグルグルが止まらなくなります。良い歳をして恥ずかしい話なんですけど

子供の頃思っていた大人というものと、
今の自分は全く違いました。
ようは、人は『個人』の違いでしか無いということ。
『負け犬』人生を選んだ事に覚悟はしていたつもりでしたが、やっばり色々な事に気持ちが左右されます。

先日話題になった、映画『星の子』完成報告イベントでの芦田愛菜さんの言葉は
本当に…何て言うんでしょ、その通り!なんだけど、そう思えない弱い自分が現実にはいて。
ただただ、そんな事を自分の言葉で伝えられる事に驚かされました。

ダメダメでも積み重ねてきた時間があります。その時間をムダにする事だけはしたくないな…と漠然とですが思っています。その時間は良い悪い関係なく、私しか体験していない時間で……

そんな出口の無い事をグルグルと考えています。
暇だね…と呆れられれば『そうですけど、何か💢』と逆ギレするしかありませんけど(笑)
何かしら仕事をしている時でも片隅にその思考が留まっている気持ち悪い感じ。

それでも日常生活を普通に送っている図太さにある意味感謝しつつ、今日もマスクの下で笑っていこうと思います





稽古にて

2020-09-06 18:56:58 | 殺陣
先日(土)の稽古で久しぶりに手付け(振付)をしました。

昔は結構頻繁に手付けをしていたのですが、自分の思いに囚われて突っ走ってしまい、思いばかりで緻密さが無いというなかなかの欠点があり、そこをハッキリ自覚してから手付け恐怖症のような状態になっておりました。
自分一人で完結するものではなく、当然人を巻き込みますからね

昨日は和太刀主宰が他現場の仕事で稽古大幅遅刻という緊急事態
のため躊躇しているヒマ無しというところだったのですが…

こうなると体裁もクソも無いので、自分の中にあるもので勝負するしかありません…
結果出てきたのが、『京都に来たばかりの頃の沖田総司』でした。
もちろん最初からそう決めて作っていたわけではなく、手付けをしている内に
『これって、そう持っていけば良いんだ…』と気付いていったのですが。





和太刀の公演の中で、自分が芯の作品・他の方の作品含め、元気に活躍していた頃、死の間際、死後のイメージ作品等々10回近く沖田総司をやらせて頂いております。初めての時は、あまりに有名な存在で敬遠していた事もあり、恥ずかしながら学校のお勉強程度の知識しかありませんでした。
そこから色々な資料や小説を読み漁り、回数を重ねるごとに、自分なりの沖田総司を作っていきました。








昨日は自分が芯をとるのではなく、人に付けた作品でしたが、何となく沖田が似合いそうだなぁという方だったので自然にそうなっていったようにも思います。

遅れて稽古場に到着した主宰の演出も入り、芯・絡みのみんなの頑張りもあり、稽古作品でしたが中身の入ったものになりました。

稽古後言われた、『手付けが出来る人間はたくさんいるが、自分が付けた手(作品)の正体に気づかないまま押しきってしまう人が多い』という言葉は身に染みましたね。
まさに私だよ(T-T)という感じで…
同じ事をずぅーっと指摘されていたのですが、やはり手付けを完遂した昨日(珍しく手の修正は無かった)は重い一言でした。

2年ほど前の和太刀の公演で『死後の沖田総司』をイメージした作品をやったとき、これが沖田をやらせて頂く最後の作品だな…と何となく思ったのですが、
昨日の稽古を通して、またやりたいと思いました。





人生も後半戦のおばさんの図々しい欲ではありますが…(笑)
こればかりはご縁かな?とあまり焦らず
稽古をするのみですね✊













浅草

2020-09-05 19:04:01 | 日記
今日何気なくテレビを見ていたら、
バラエティー番組のロケ場所が浅草でした。
ちょっと前まで、外国人観光客の皆様の人気観光スポットで、平日に行っても多くの人で賑わっていた浅草。
テレビ画面上で見た浅草は、もちろん、かつてほどでは無いのでしょうが、少し活気が戻ってきているような気もしました。


殺陣をやる上で欠かせない刀・着物・足袋等々の購入で、長年浅草にはお世話になっております。
主には公演前に衣装や小道具を探しにいきます。
ネット通販もあるのですが、特に刀は自分の目で確認して買わないと、お客様の前で刃合わせをしたり、ふるものですから、間違えて飾り用のものを買ってしまうと大変です





そして、だいたい本番直前の時期に行くので気持ちも引き締まり、恒例のお店散策でその日気になったお店に入って栄養補給(笑)をするのが定番です


1月末の公演の前も、毎度お馴染みの浅草買い出しへ行きました。
いつも刀を購入しているお店に行くと、
『演劇用の刀を作っている大手の業者さんが撤退する事になっちゃってね。
今まで通り商品が入ってこなくなりそうなんだよね…』
そのお店の刀は丈夫で使い勝手も良く、私だけではなく、和太刀のほぼ全員がそのお店の刀を愛用していたので、これにはかなり驚きました。








そして、よく主に扇子を買っていたお店がかなり縮小されていました。そこは、日本舞踊の道具や和装の肌着等々も取り揃えられていて、便利なお店だったのですが…
お店の方に伺ったところ、ご主人が身体を壊されて、在庫を売り切ったら完全に店を閉めるとの事でした。





そういえば何年か前に、やはり舞台でよく使っていた和傘が数が少なくなってきたとお店のがおっしゃっていましたっけ…

少しずつ…少しずつ…
何かが変わり初めているのかもしれません。
もちろん、その変化を完全に否定は出来ません。その変化の恩恵を受けて生活しているのも事実です。

ただ、この数ヶ月。
このウイルス禍がその変化に拍車をかけてしまったようにも思います。
変化そのものを吟味し、選択していくのなら良いのです(そうやって現在に至るのですから)。
ただそこに、『ウイルス禍の恐怖』というフィルターがかかってしまっていることがむしろ怖い事だと思うのです。

生きている限り、変化はあるものです。
その変化を正確にとらえて選択していく
事、そして受け継がれているものの意味を考えて大切に(長年受け継がれているものにはその理由があります)していきたいと思うのです。

また久々に浅草に行きたくなりました。
近々公演は出来ないけれど、行けば何かしら大切な事を感じさせてくれる街なので。











ありがとうございました…そして思うこと等

2020-09-01 20:22:36 | 殺陣
昨日の夜。
一つの劇場が9月末に閉まる事を知りました。
そこは小さな劇場ですが、私にとって大切な場所でした。

殺陣集団『和太刀』は1998年より活動を開始。
『侍本来の動きや日本古来の伝統文化に込められた失われた動きの復活』を目指し、2010年までは日々の通常稽古や山中合宿等で稽古を重ね、2011年より舞台公演の活動をスタート。
2014年5回目の公演で一旦公演に区切りをつける形となりました。

そこから丸2年、稽古継続のかたわら、個々では外部の舞台での振付や出演等活躍の場を広げていきました。
が、『和太刀』としての活動でやるべき事を考える日々でもありました。

そんな時出会ったのがその劇場、『Prime theater』でした。
物を作るという原点に立ち返り、あえてスタッフワークも出演者でこなしていくという形にたどり付き、『和太刀ミニLive』として公演を再スタートさせたのが2016年4月。
何かのご縁だったのか『Prime theater』初の公演でもあったそうです。

客席数30〜40。普通に考えれば、殺陣の公演では選ばないであろう空間で刀をふる事そのものが修行になったような気もします。(劇場の方も殺陣の公演は絶対に無いと思っていた(笑)とおっしゃっていました。)





袖中にはけて、そのままブースに駆け上がり、音響・照明をやり、また出番になれば演者として舞台に戻る。
その間衣装の早替えもして…まさにフル可動でしたが、表現者として体験しておくべき事だとやってみて改めて確信しております。

当日の受付や衣装等、助けて頂ける皆様にも恵まれ、舞台と客席が近いせいか、観に来て頂いたお客様との交流もたくさん出来ました。






2020年、今年の1月末の公演後、予想もしなかったコロナ禍の状況となり、本来ならそろそろ次の公演の企画を動かしている時期なのにな…と思っていた矢先
『Prime theater』を閉めるとの知らせが届きました。

コロナ禍でたくさんの劇場、ライヴハウス等が打撃を受けています。
少し前に、どこかの国ではこのコロナ禍を『これは戦争だ』という表現をしていたそうですが、文化・芸術がやり玉にあげられ、置いてけぼりにされる状況はまさに戦時中のようだと思います。

でも…本当にそれでいいんでしょうか………
人間ってそんなに脆いものなのでしょうか……
文化・芸術は人間が長い歴史の中で、試行錯誤を繰り返し、積み重ねられて、今に至るものです。途中何度もの危機をくぐり抜けて、今尚続いているものです。

それが、対人ではない、対ウイルスで簡単に衰退してしまうものなのでしょうか。

様々なことが便利になり、配信という形も確かにあります。この状況下、当面はその手段を我々も考えなければとは思って模索してはいます。

ただ、生で見ること、聞くこと、感じることはその場でなければ得られないものだと思うのです。

そういう意味では、ある意味戦いなのかもしれません。
現に様々な文化・芸術に携わっている方々はあらゆる知恵を絞り戦っています。
戦わなければならないのなら、せめて正しい知恵と武器を持って戦いたいと願う
ばかりです。

そんな事を小さな稽古場の片隅で思っている今日この頃です。

そして改めて、約4年間。
7回もの公演をうたせて頂き、たくさんの作品が生まれる場をくれた『Prime theater』に感謝あるのみです。




ありがとうございました。