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夕張JAZZ喫茶店FIVEPENNIESのジャズコレクション

Earl\'s Tune Garner Errol 1972

2010-01-11 19:53:05 | 夕張ジャズ喫茶店お気に入り音楽集
Earl\'s Tune Garner Errol 1972


エロル・ガーナーが楽譜を読めないのは父親の影響だと言われている。父親のアーネストの育った音楽的環境もエロル同様に恵まれたものであったが、兄弟のなかで唯一独学で自己流のピアノの演奏法を身につけたのがそのアーネストであった。エロルの天才的音感に気づいた母親は、正式なピアノ教師を招いたが、父親のことを知ってか知らずか彼は楽譜には目もくれず、基礎的な知識についても耳を貸さず、好き勝手にコードを打ち、メロディの創作にしか興味を持たない彼に教師は閉口して逃げ出したそうである。

ガーナーは楽譜が読めないかわりに驚異の音感記憶の持ち主であり、主な例としてはソ連のピアニストであるエミール・ギレリスのコンサートに赴いた彼は、ギレリスの演奏している曲を自分も演奏してみたくなり、終わった後で自分の部屋に戻り記憶だけを頼りにその曲の大部分をこなしてしまった。他にも、「ミスティ」の旋律が頭に浮かんだとき彼は飛行機の中にいた。しかし記譜ができない彼はシカゴのホテルまでそれを覚えて、着いたとたんにすぐ演奏して急きょ借りたテープに録音することで難を逃れたなど、彼の音感に対するエピソードは枚挙に暇がない。

彼は小柄で5フィート2インチ(約158cm)しかなく、よく電話帳の束の上に座ってピアノを弾いていた。

日本人ジャズピアニストの上原ひろみは小学生のころからオスカー・ピーターソンとともにガーナーに熱中していた。
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Gershwin 17 - Somebody Loves Me - Erroll...

2010-01-11 19:50:31 | 夕張ジャズ喫茶店お気に入り音楽集
Gershwin 17 - Somebody Loves Me - Erroll Garner


ガーナーは「ピアノの演奏を独学で習得」し、音楽的に恵まれた環境で育ったにもかかわらず「楽譜が読めず」、「左利き」であった。しかしこのことが独創性のある表現につながっていく。独学であったこと、そして楽譜が読めなかったことでどのピアニストとも似ていない彼固有のサウンドが生み出され、演奏は自由で表現力豊かなものになった。また、左利きであったことで演奏においては左手が強烈なビート(リズム)を刻むことができたが、右手のメロディが若干遅れて出ていた。しかし、これが逆に独自の雰囲気やスウィング感を醸し出して彼のトリッキーなサウンドを演出し、「ビハインド・ザ・ビート」と呼ばれるようになる。その上、その彼の強烈な左手は大抵の曲において4ビート(3/4拍子)を刻み、軽快なアドリブを奏でる右手との好対照も相まって演奏の魅力は高まった。

彼は大人数での演奏を頑なに嫌っており、ソロか少人数での演奏(コンボ、主にトリオ)に徹していた。 

演奏中はそれ自体を楽しむようにユーモラスな表情を見せ、時折ピアノを弾きながらも観客に笑顔を振りまいて喜ばせていた。

演奏中にぶつぶつと何か言っているが、これは楽譜の読めない彼が音階の記憶の一部を口に出してそれを自身で聞いて確認したり思い出していたためである。
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Erroll Garner plays Misty

2010-01-11 19:41:20 | 夕張ジャズ喫茶店お気に入り音楽集
Erroll Garner plays Misty


エロル・ルイ・ガーナー(Erroll Louis Garner , 1921年6月15日-1977年1月2日)はアメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグ出身のジャズピアニストで作曲家。エロール・ガーナーとも。兄のリントン・ガーナー(en:Linton Garner 、1915年-2003年)もまたジャズピアニストであった。彼の独創的で、美しい旋律を生み出す演奏技法は多くの観衆や同僚のジャズミュージシャンから称賛を浴びた。生涯楽譜が全く読めなかったことでも有名。左利きであった。ベーシストのレイ・ブラウンがピーターソンより、エロル・ガーナーとのセッションを至福の時と答えたそうな!!!
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