>自分の間違いを見つめ、正せない人間に、この世界を正せるとも思えません。
てん茶さんの仰る通りです。自分の間違いも訂正出来ない人に、世界の間違いを訂正出来る筈がないです。
「頑固」と「信念を貫く」を勘違いしている人がいますが、自分では気が付かないんでしょうか?
職人なら、仕事に対して頑固を貫く必要はありますが、世直しするのに頑固さは必要ありません。世直しするには信念を貫く必要がありますが、頑固を貫く必要はありません。
間違い、勘違いがあっても、頑なに自論が正しいと叫ぶ人がいますが、同じ様な知識のある第三者が見ればただ単に、持論をゴリ押ししているだけにしか見えません。そんな人に限って、「私の誹謗中傷する輩が横行している。」「私の持論にケチ付ける奴は工作員だ!」と言って賛同者を探し、安心材料にして、精神安定を図っているようです。覚醒者は目が肥えているので、その人の言論が嘘か誠かは見抜けます。
文章は「人となり」を表します。
ネットだけのやり取りしかなくても、ある程度その人の意見を見聞きすれば、その人の「人となり」が分かります。なので、「人となり」を表す文章というのは大切です。
Unknown (てん茶)2016-01-15 15:45:22自分の間違いを見つめ、正せない人間に、この世界を正せるとも思えません。
以前も書きましたが、私はこの世界の現実は、人間の小さな意識の積み重ねでできていると思っています。
一人ひとりの正しい意識が積み重なってゆくことで、自然と正しい世界が構築されてゆく…。
小さな正しい意識の積み重ねが、大きな正しい世界を生み出してしてゆく…。
頑固な人は、よく自分の頑固さを正当化しますが、「頑固」と「信念を貫く」は全く別物だと思います。
信念を貫ける人間は、必要と直感したときに、自らの頑固さを打ち砕くことができます。
何が一番大切なのか、どうすることが最善なのか、自分が本当に求めているものは何なのか、もともとの願いは何だったのか…。そこに、比重を置くことができるからでしょう。
問われているのならば、答えればいい。
間違いがあるのならば、正せばいい。
伝えたいことがあるのならば、伝えればいい。
貫いていれば、現実はとてもシンプルなはずです。
情報有難う御座います。
信念を貫いている人の言論はブレません。言論がブレる人は信念が無いのか、途中で考えが変わった人です。
人を騙したり、出し抜いたり、脅したりして、それで幸福など手に入るわけがない。人の怨念を背負っては安眠などできない。新興宗教などに頼っては、至福の人生は手に入らない。絶対に。幸福は自分で作り上げるものだ。カルトの上司にそんな能力も権限もない。
痛いですね。RKもトイレ掃除してるのかな?
http://blog.livedoor.jp/net_detective2/archives/52676528.html
http://blog.livedoor.jp/net_detective2/archives/51762793.html
http://blog.livedoor.jp/net_detective2/archives/51784047.html
僕一人に出来る仕事というのは、限られている。ところが、同じ志を持っている人が集まれば、とても大きな力として行使できる。私は、常々、仲間を増やす為にどうしたら良いかということを考えています。
仲間を裏切らないことです。
世の中は、根底から浄化する必要がある。政治家も、裁判官も警察官もメディアも浄化しなくてはいけない。元栓を締めないと毒ガスは流れ続けます。
有名陰謀論者もです。
リチャード・コシミズは、難解でとっつきにくい政治経済問題を、誰もが、苦痛を感じずに理解を進められる情報媒体が必要であると考えています。新聞やテレビをいくら眺めても、時事問題の本質も裏事情もわかりません。
有名陰謀論者に頼っても分からないことが沢山あります。
http://blog.livedoor.jp/net_detective2/archives/52227056.html
裏社会は真実情報の伝播を恐れている。最大の武器は「真実」です。
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嘘は人を説得しない。
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