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BOSS エフェクター

2020-07-14 23:41:47 | 時計、ギター、野球
80年代後半にギターを始めた時、エフェクターといえば、BOSS、マクソン、ヤマハ、etc

中でもBOSSはどの楽器店でも売ってたし、しかも種類が豊富。
エフェクターの効果がはっきりしているし、ペダルが踏みやすい。

80年代、国内外の多数のプロギタリストが使用していた事もあり、プロ御用達のエフェクターってイメージでした。

ここ10数年、多数の新鋭エフェクタービルダーが高品質を謳ったエフェクターを販売し、しかも価格が3万~5万、いや、それ以上のエフェクターを販売。

そうなるとBOSSが安価に思え、イメージとして、低品質、初心者向け(ちょっと言い過ぎか)と思われていないだろうか。

決してそんな事はなく、例えば形(ケースというべきか)。
ライブで踏みやすいペダル型。
多分BOSSと同じレベルの形状を新鋭エフェクターで導入しようとしたら、元々高い金額設定が更に高額に、もしかしたら倍以上の価格になるのではないか。(あるいは、もしかして特許とってるとか?)

BOSSがあの形状を比較的安価で提供できるのは、大メーカーであり、大量工業製品として製造できるからであり、価格以上のクオリティがあるはずなのです。
しかも耐久性があり、塗装が剥げる位使い込んでもびくともしない信頼性は、新鋭エフェクターの比ではないはずです。

肝心の音も、掛かり方が判りやすく操作性もいい。


思い入れのある機種

DS-1
ギター始めた頃の1989年から10数年、DS-1-が国内販売を停止していた期間があり、理由はDS-2(ターボディストーション)の発売による移行。
あの頃はまだ中古市場もほとんどなく、仕方なくHM-2(へヴィーメタル)、DS-2(ターボディストーション)を買ったが、やはりシンプルなDS-1が欲しく「憧れ」でさえあった。

90年代中頃、ギター雑誌の楽器店広告にDS-1の逆輸入を限定発売するのを見つけた時、すぐに楽器店へ電話で在庫を確認し、電車に乗り買いに行った。

今でもその「逆輸入」のDS-1使ってます。

その後、やがて国内でも再発されたが、やっと手に入れた「憧れ」の気持ちは変わらない。

数年前に限定で黒いDS-1が発売され、買おうか迷いましたが止めました。
やっぱりオレンジのDS-1がDS-1なのです。

PS-2
デジタルピッチシフター ディレイ。
業界初のコンパクトのピッチシフター。
これは憧れでも何でもなく、買った経緯があるあるなのです。
1987年頃、高校生の自分が楽器店に行くと、長髪の店員が「なに聴いてる?」「BOΦWY」「なら、これだよ」って、オーバードライブと発売されたばかりのPS-2を繋ぎ、お願いしてもいないのにデモ演奏。ビーブルーをイントロから終わりまで丸々一曲。
当時、高校生の自分に断る勇気なく、結局お年玉で買う羽目に。

でも、実際はいい音してたし(あまりピッチシフター使うこともないけど)デジタルディレイとしても使えるので、そんなに後悔はしなかった。
ただ、ピッチシフターとディレイは同時に使えないので、2つ機能があってもどっちかしか使えないのだけが、ちょっとした不満でしたが。

次回はBOSS以外






BOΦWY その2

2020-07-14 15:12:08 | 時計、ギター、野球
1987年、前年のジャストアヒーローからビートエモーションを経て、BOΦWYはロックバンドがロックビジネスとして成立する事を証明し、純粋なロックファン以上に普通の歌謡曲しか聞かなかった層にまで浸透していきました。

そんな中、「BOΦWYが解散する噂がある」が広まる。
売れている、ロックビジネスとして成り立っているのに、何故解散?

噂を更に噂として強くしたのが、1987年夏、BOΦWYがイベントとして数ヶ所行ったライヴ。
いつもなら発売したアルバムを中心とした曲目構成なのに、ファーストアルバムからビートエモーションまでのこれまでの総括のような、ベスト盤みたいな曲目構成。
ただ、次のアルバムが秋発売だから、あくまでイベントでって可能性が高いのかな? とも。

確か夏に、アルバムに先駆けてシングル発売したマリオネットは、チャートの1位。
その後、アルバム サイコパス発売。
確か同時期にマイケル・ジャクソンのアルバムが大ヒットする中、邦楽1位だった(気がする。間違ってたらすいません)

個人的にこのアルバム、一番気に入ってます。
たぶん、ボーカル中心で聴く人ならビートエモーションか3枚目のボウイだと思うけど、ギター始めた自分にとって、コードワークを中心にボーカルの裏で弾いてるバッキングや、ちょっとしたフレーズに、シンプルなのに最大限のカッコ良さ、ギターのカッコ良さを感じた。
たぶん同世代のコピーバンドも同じだったと思う。

で、その前後にシングル 季節が君だけを変える、が発売。B面がクラウディハート。

タイトルが終わりを告げてるみたい。しかも、B面、クラウディハート。

やっぱり噂は本当かもって、皆思ってたはず。

サイコパスのライヴツアー。いつ、BOΦWYが解散宣言するのか、あるいはしないのか?
ツアー中、氷室のMCのたびに、オーディエンスに緊張が走る。でも、言わない。
音楽雑誌もメンバーと話できないし、周りのスタッフからも情報漏れない。

そして、ツアー最終日の12月24日クリスマスイブ。当時の「渋谷公会堂」

ライヴ本編のMCで何も言わず。

1回目のアンコールでも何も言わず。

2回目(最後)のアンコールでやっと氷室が「皆に言わなければならない事が……」
(この解散宣言(実際は解散という言葉は言ってないけど)については、またの機会に)

結局、
売れたにも関わらず、ビジネス的には名声を手に入れて、これからなんでもやりたい事が出来る状況なのに、アルバム出せば売れるって決まっているのに、そんな手に入れた名声にしがみつかず、いとも簡単に(なように。本人達にしかわからない何かがあったと思うけど)次のステージへ飛び込む潔さや、解散が決まっているのに、それをラストツアーとして盛りたてず、最後の最後までいつも通りのライヴに徹したライヴバンドの生きざまがカッコよかったのです。

因みに、翌年(1988)4月の東京ドームのこけら落としのラストギグスを「解散ライヴ」呼ばわりする人がいるけど、違います。

正式に1987年12月24日の渋谷公会堂をもって解散してるので、ラストギグスは、解散後のファンへの最初で最後のラストライヴなのです。

12月25日.新聞一般全国紙4社が、テレビ番組欄の下側、大きなスペースで「BOΦWY解散」の広告を打ち出しました。
マスメディアを利用しなかったバンドが、最初で最後(だと思われる)しかも新聞一般全国紙で流したのが「解散」だったのです。




BOΦWY その1

2020-07-14 12:06:40 | 時計、ギター、野球
BOΦWYのファンは、バンドとして存在していた時からのファンと、解散後、氷室、布袋のソロから入ったファンとに別れると思いますが、両者の間には同じファンでも違った魅力を感じてると思います。

自分は、世代的にバンドが売れ始めてスターダムにのり、人気絶頂期に解散した一連の流れを体験しましたので、その事について勝手に語ろうと思います。
(こんなマニアックな話、とてもじゃないと話す機会ありません。ブログで独り言言うしかないのです(笑))

BOΦWYが当時、バンドブームを牽引するほどの現象を起こしたのには、大きく分けて、バンドが売れてスターダムに昇るまでの経緯と、バンド自体、メンバーの魅力によるもの、の2つ。

まずは、バンドがスターダムに昇るまでの経緯。
(個人的な見解もあろうかと思いますので、その辺は軽く見てください)

バンドが売れる方法で、よくあるのがマスメディアとのコラボ。ドラマやCMとのタイアップ。それでも売れれば凄い事ですが、BOΦWYは、真逆でした。

当時、インターネットもない時代に、ライブハウスから口コミだけの叩き上げのライヴバンドでした。

初期には、レコード会社を転々とします。ビクター、徳間ジャパン、そして東芝EMI。

初期の頃、マスメディアに取り上げられた内容が余りにも自分達の思惑と違う取り上げられ方をした為、マスメディアさえも拒否し、以降、音楽雑誌の取材も受けず。
あの当時の音楽雑誌にインタビュー載ってたよ、と思うかもしれませんが、あれは当時のマネージャーが本人達の言葉を正しく伝える為にインタビュー形式で伝えたもの。マスメディアの取材を受けたものではない事は当時のファンは知っていました。

転機は、まずは、サードアルバム。プロデューサーに佐久間正英氏を迎え、ベルリンでのレコーディング。

そして、4枚目のアルバム、ジャストアヒーロー。
ある意味、マニアックな曲調でありながら、氷室のボーカル、布袋のギターでポップに聞こえるBOΦWYの特徴が完成形に近づいたアルバムだったと思います。
初期からのファンは、このアルバムが一番好きだという人も多い。

そして、日本武道館でのライヴ。

氷室の有名なMC「ライブハウス武道館へようこそ」は、そんなライブハウス叩き上げで武道館までたどり着いたライヴバンドのプライド(……だったと勝手に思ってる)

ここから一気にスターダムへのしあがります。

シングルのビーブルー、アルバム ビートエモーション。後発のシングル オンリーユー。

この頃、夜のヒットスタジオ出演なども重なり、BOΦWYの曲をコピーしたいアマチュアバンドが大多数出現。

ここで、一旦やめて、次回にします。


最近の楽器屋、昔の話

2020-07-14 00:09:59 | 時計、ギター、野球
いきなりギターの話。

高校生の時、初めてエレキギターを買って以来、30年以上経ちましたが、当たり前ですが……あまりに環境が変わってしまっています。

昭和の終わりから平成の始め、沢山の国産ブランドがありました。

国産じゃないのも含めて
グレコ、フェルナンデス、アイバニーズ、ヤマハ、トーカイ、ESP、シャーベル、ジャクソン、ビルローレンス、シェクター、もっとあったのですが忘れたので省略……
あとは、フェンダー、ギブソン

楽器店も今より多かったんで、主要な駅周辺で3つ4つあるのが当たり前だったので、普通にハシゴしたものです。

いろんなメーカーのギターが壁狭しとぶら下がり、今思えば選び放題。でも、あの頃は長髪の店員に声掛けられるのが面倒で、店で選ぶより先にギター雑誌で憧れのギタリストの使用ギターとか調べた上で買いに行っていた。

エフェクターも、ボス、ヤマハ、グヤトーン、DOD、マクソン、
沢山山積みになっていた。

本棚に行けば、その当時のバンドのスコア(楽譜)が沢山あり、基本売れてるバンドのスコアは、アルバムごとに売ってるのが当たり前でした。

それが……今では……
まず、楽器屋がかなり減った。
しかも、ギター、エフェクター、スコアの品揃えに満足のいく店って、都心とかしかないのでは……

昔は駅ビルやショッピングモール(そんな呼び方してない)内に楽器屋が普通にあり、品揃えも豊富だった。

今はたまに楽器屋見つけても、ギター、エフェクターともに限られたメーカーのものが少数あるだけ。
スコアも少し。

滞在時間、数分で充分。

時代の流れですね。

数ヶ月前のギター雑誌の特集、プロのギタリストが選ぶギタリストランキング、いまだにCHARが一番でしたから。
平成を飛び越えて昭和にブレークしたギタリストが今でも日本のギタリストの頂点にいるのが現状。
若い世代のギタリスト、いるんだろうけど、とても大きなムーブメント起こすには、今の多様化の時代では難しすぎるんだろうと思う。
だからアマチュアのギタリストも減り、結果、ギターメーカー減り、バンド減り、スコア減り、楽器屋減り。

高校生の頃、たまたま聴いてたラジオで「ボーイのビーブルー」って紹介された曲、カッコ良くてCD買おう(いや、あの時はレコードだ。カセットだった)と思ったけど、「ボーイのビーブルー」って、どっちがバンド名?、どっちが曲名?って。

結局、シングルレコードを買い、アルバムはカセット。

1986年。BOΦWYがフジテレビの夜のヒットスタジオに出演した時のビーブルー、とてつもなくカッコ良かった。

同世代でその頃高校生だったGLAY(スペル合ってるかな?)やジュリマリのタクヤとかも、たぶんテレビでその時に、フェルナンデスのテレキャスをステップ踏みながら弾く長身のギタリストに憧れて、やがてプロのギタリストになってる。

ギターが、ギタリストが、今では考えられない大きなムーブメントを起こしていた。
あの頃は、ギターを弾きたい、バンドやりたいって思える環境が揃ってたんだと、今なら思える。

ギターの事、好きだったバンドの事、エフェクターの事、
おいおい、書いていきます。