自分は腕時計に、ある程度のファッション性を求めます。
でないと、その逆、ファッション性を求めないとするなら「必然性」となってしまい、必要にかられて腕時計するから、とにかく時間がわかればいい、とりあえず時計していればいい、と、どうでもいい時計、あたかもオヤジ時計と兪やされる類いの時計を選んでしまうと思うのです。
電車に乗ってても、その人がある程度選んでその時計しているのか、あるいは、必要にかられて時計しているだけなのか、一発でわかりますよね?
それは決して値段とかではなく、仮に時計の相場としては低価格であっても、きちんと選んだ時計であるかどうかって、割とわかるものです。
それは、草野球する時、野球経験者ならキャッチボール1、2球見ただけで、彼が経験者かどうかすぐわかるのと同じです。
ただ、ここからが難しいのです。
時計に限らず、ファッションアイテムってそれ1つで成り立つものではなく、それをどのように着こなすか、その所有者に大きく委ねられるものなのです。
20年位前、ロレックスがブームになったきっかけの1つとして、木村拓哉がドラマでエクスプローラー1をつけていた事。
確かにエクスプローラー1は、デザイン的にシンプルでオンオフ問わず汎用性が高く、時には「オシャレ」な時計として見られる事もあります。
でも、間違っちゃいけないのは……
エクスプローラー1のような趣の時計は、他にいくらでもあるんです。
シンプルな時計なんて腐るほどあるんです。
木村拓哉がしているエクスプローラー1を見て「カッコいい」と感じた冴えないサラリーマン、おっちゃんが高い金出してエクスプローラー1しても…………冴えないのです。
せっかく、高い金出して買ったのにもかかわらず。
「カッコいい」木村拓哉が「カッコいい」エクスプローラー1してたから、「カッコいい」のです。
逆にいうと、木村拓哉がセイコー5しても、「カッコよく」見えるのでは?
少なくとも普通の人がするよりは。
ファッションって似合う似合わないもあるけど、そもそもその人自身がものをいうものです。
冴えないおっちゃんがしているロレックスの時計見て、買いたいと思いますか?ってことなのです。
時計自体に罪はありません。
それ自体は「オシャレ」に見せるだけのデザイン性はあるはずですので。
ただ、それを使う人が活かしきれるかという事です。
それを活かしきるような人格(ちょっと大げさかな?)、佇まいが必要なのでは。
だから、高かろうが安かろうが、それ単体で「カッコいい」時計ってあると思うのです。その「カッコいい」はその人となりの基準で。
それを自分が身に付けて活かせるのか。
でも、勘違いしてほしくないのは、他人に高い評価もらいたいと思ってしているファッションは、男としてはちょっと違う。
あくまで男のファッションなんて、自己表現であり自己満足なものです。
他人に見せびらかすものでは軽すぎです。
時計もこれ見よがしでしている程「カッコ悪い」ものはない。
あくまで自己満足の範囲で、そのメーカー、ブランドの「カッコよさ」を自ら感じ、自分のアイテムとして使いこなすのが「粋」なのではないかと思います。
そんな人がしている時計が「カッコよく」見えるのではないでしょうか?