「まるで僕よりも僕のことをわかっているようなそんな変な箱です」
僕の大好きなRADWIMPSの携帯電話の一節。
最近は何でも携帯だ。友達と連絡を取るときはもちろん携帯。わからないことがあれば携帯。音楽を聴くときも携帯。携帯。携帯。携帯。携帯。
携帯という文字が、ゲシュタルト崩壊するくらいには手放せないものになっている。
アンチ携帯、というわけじゃない。とても便利だし、使い方次第では想像を超えるようなことができたりもする。
だけど少し寂しい。
人の記憶は曖昧で、一生忘れないと思った楽しいことや素晴らしい景色も、時間がたてば次第に薄れていってしまう。
そんな中で、思い出が保存されているのはいつも携帯の画面の中だ。
友達の変顔をした写真、部活の練習動画、くだらないことばかり話しているLINEの履歴…。
自分の頭よりも、はるかに記憶力がよく、自分が覚えていないようなことも覚えている携帯。
自分という存在が、不確かに思える時が、たまにある。
何かを買うときやお店を選ぶ時もそうだ。すぐに評価を見て、良くなければ買わないし入らない。
自分ってなんだ。
自分が選んだ道は、本当に自分の選んだ道なんだろうか。
そんなことを考えながら、携帯に頼らずにはいられない自分です。