Rising斬 the侍銃士

音楽のこと、時代小説、映画を中心にしていくと思います。タイトルは自分のHNの由来になったゲームから

童門冬二「上杉鷹山」

2013-02-22 01:34:31 | 本と雑誌

ここ1、2年くらい、いい本にめぐり合うことが多く、いつか感想を書こうと思いつつなかなか書けていませんでしたが、これもその中の1冊でした。


その昔、ケネディ大統領は「最も尊敬する日本人はウエスギ・ヨウザン」と語り、その場にいた日本のマスコミは全員「誰だそれ?」状態だったが、これをきっかけに日本でも注目をされるようになったそうです。
まあ、ケネディは「最も尊敬する」わりには自分の奥さんは上杉鷹山の奥さんとかけ離れているなと突っ込みたい気もするんですが。


もともとは内村鑑三の「代表的日本人」で取り上げられて海外で紹介され、恐らくケネディもそれを通じて存在を知ったと思われる。
この小説の著者である童門冬二氏は、この代表的日本人に記されている人物を小説化するのが夢だったらしいです。


上杉鷹山は、山形県に当たる江戸時代の米沢藩の当主でした。


上杉という苗字で思い出す人もいるでしょうが、上杉謙信の跡継ぎの上杉景勝は関が原の合戦で西軍につき、敗北により当時の越後から米沢に移される。
その際、石高は4分の1になったにもかかわらず、景勝は藩士を減らさなかった。
これだけでも藩の財政は逼迫するが、さらに、4代藩主が急死した際に迎えた養子が実は忠臣蔵の悪役で有名な吉良上野介の子ども。
これが吉良上野介の指示で藩士に馬鹿にされないようにと散財をしてしまう。


こうして米沢藩は負債が重なりすぎて、藩を返上するしかない状態。江戸では新しいなべや釜から金気を取るために「上杉家」と書いた紙を貼るおまじないが流行っていたほど金がなくて有名でした。


そんな中で新たな藩主として上杉家の養子になったのが上杉鷹山。


ボロボロになった藩をその手腕で立て直す経緯を小説化したわけですが、


泣けた…。それも何度も泣けた。


読めば本当に実感したが、財政を立て直すのは不可能です。
そして、多くの人たちは諦めることに慣れ、もはやそんなことを望んでいない。
さまざまな邪魔も入る。
そんな中で、上杉鷹山は何があっても諦めないし、あくまで藩士の意見を尊重し、藩士を大事にする。
邪魔してきた者たちでさえも味方にしていく。
究極的には、敵でさえも協力してもらわなければ実現できないほど、この財政の建て直しは難しいということなのですが、冷え切ったのは財政ではなく、民の心、その心に火を灯す作業が必要だと信じ、そうやって築き上げた信頼感があまりにも美しかったです。
あいつは邪魔だから要らないとか、あんなやつに頭下げる必要なんかないとか、そんなことが言えるのはまだまだ少ない協力者だけで可能な小さい夢を追いかけているだけなんだろうなと思ってしまいますね。
上杉鷹山は実現に必要だからとか自分の野望や目的のためではなく、みんなを幸せにすること自体が彼の信念であり目的であったからそうしたのですが。


今の世の中、夢を追いかけるのは大変です。夢を追いかければ必ず馬鹿にされますから。
結局、夢を追いかけるのをやめた賢い人にとって、夢を追いかける馬鹿者は疎ましくて仕方ないのでしょうから、邪魔だってされるでしょう。
でも、それでやめるようじゃまだまだ夢への思いが中途半端なのかもしれない。本気だったら、上杉鷹山みたいにみんなを味方にできるはず。
夢なんて、本気だったら実現できないわけがないし、日本で一人しかできないなら日本で一番本気になればいいじゃないかと。実現できないのは、結局どこかで自分に甘いんだ。それでは自分はどこまで本気なのか、そういうのを考えさせられました。


鷹山は改革の象徴として自分の志に賛同してくれる人に火種を分け与え、その火を消さないように守ってもらうのですが、その火は時空を超えて俺にも点火してくれましたよ。


そういうめっちゃいい小説だったんですけど、一点だけ気になることもあった。


この改革はとにかく邪魔をする人間が多く、鷹山たちはとても苦労を強いられるのですが、それでも鷹山たちは綺麗な生き方を貫きます。
中には、やはり誰かが汚れることで、古い人間を味方にすることも必要、せめてそうすることでみんなの邪魔をさせない方がいいと考え、あえて旧勢力と一緒に汚れていく人間もいます。
それを仲間は咎めるのですが…。
その時のたとえとして、何人ものこどもを持って水商売をしている女の人の話をし、
「根が水商売であってみれば、母親はときには、客のいかがわしいもとめに応じなければならない。ことわれば、店をすぐに辞めさせられるからね」
「こどもはどんどん大きくなる。大きくなって、そういう母親を見たとき、何と思うか」
「母親はただ酒の酌をしているのではない、金のために客と寝ているのだ、とわかった時、大きくなったこどもたちはどう思うだろう。」
「一体、母親とこどもとどっちが正しいのだ?」
とあったんですが、このたとえがあんまりうまくなかったですね。
これでいうならば、子どもが恨むべきは母親ではなくその母親にいかがわしいもとめをする男どもです。
社会へのうっ憤やら何やらがそういうはけ口を求めさせるのであれば社会の問題にできなくもないけれども、やはりまずは立場に物を言わせなければ女一人抱けない自分自身のかっこ悪さを思い知れと、その男たちに鉄拳を交えて語りかけてあげたいものです。


そう思うとこの問題に対して上杉鷹山がやったことは、あんまり共感はしにくい気がします。結局はその決断によって、さらにつらいことにもなってしまうし。
だけどよくよく考えてみると、たとえそれがマイナスになるとしても、トップたるべきものはぶれてはいけない。ましてこれについてはみんなで決めたことだから、それを自分が裏切るわけにはいかない、そう考えての決断だったのかなとも思う。
その時その時の決断が正解だったかどうかより、そうやって貫き通すことで自分の本気を家臣に示し、みんなにも本気になってもらうというのが上に立つ人間の取るべき道なのかなと思いました。
思えば今の日本で仕事をしていると、いわゆる「しがらみ」というものが実力以上に重要視される機会ばかり、当事者の立場になってみると冷酷だと思える鷹山の判断は、少なくとも俺みたいな立場の人間にとっては非常に嬉しいことなのかもしれません。


この本はよく「政治家に読ませたい本」として取り上げられることがあり、確かに政治家の中には「この人本読んだことないのか?」と思うようなしょーもないことをする人がいっぱいいますが、まずは一般の人もこういう本を読んで、理想的な政治家を選ぶ着眼点を養うのに使ってほしいかなと思います。
マニフェストは守るものだし、国民はマニフェストを守れる政治家を見極めて選ぶべき。
せめて選挙が終わってから1年もしないうちに党替えする議員やなくなる党を選ばないようにしていただきたいものです。
なんて書こうと前から思っていたんですけど、実際に2012年12月の衆議院選挙では低投票率の上で自民公明の連立が復活したわけですが、1面ではなくなりそうにない党と議員が勝ったようだし、なくなる党を選べない有権者が大量に棄権したと言えなくもないですね。



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