日日火水木土土

「月月火水木金金」ではない
怠け者の絵日記、photo日記。

特技・得意技

2013-10-04 | ひとりごと
クリストファー・ロビンが学校に上がろうとする時、
くまのプーさんに、いちばん好きなことは、なんにもしないことだと言う。
学校では、かけ算のやり方や、ABCの使い方や、ブラジルの場所は教えてくれるらしいが、
なんにもしないってことができなくなってしまうらしい。
それを悲しんで、クリスタファー・ロビンはプーさんに、
きみは、いつまでも森に来て、なんにもしないことをしてくれると頼む。
そして、僕のことをいつまでも忘れないでいてとつけ加える。
話をよく理解していないプーさんに、クリストファー・ロビンは言う。
「プーの、おばかさん」



先日で、会社で自己紹介を書くことがあり、特技の欄に
「なんにもしないことをすること」と書いた。
今年小学校に上がった孫娘に言ったら、「じったんのおばかさん」と言われそうだ。



でも、ほんとうにわたしの得意技は、なんにもしなくても平気でいられることだと思っている。
あ、そうだ、それに手のひらでプー、プーって音を出すのも得意技の一つだ。
これは、孫たちにやってみせたら、尊敬の目で見てくれた。



なんだか、今日は涼しさをこえて、寒いくらいだ。


Over the Rainbow

2013-10-02 | ひとりごと
今日は、朝から映画館で映画鑑賞。
だいたいが、映画館へ行くのは、平日の朝一番の回だ。
それに、どちらかというとヒットとは縁遠い、地味な映画が多い。
そのせいで、いつもガラガラの館内で、さみしく鑑賞というのが常だ。
しかも、最近は映画好きの友人の影響で、
最前列もしくは2・3列目で観るので、隣に人がいることはほとんどない。
なのに、今日は開演前はあちこちから話声が聞こえ、にぎやいでいた。
それに、両隣には、二人連れのおばさんと、母娘が入ってきた。
いっぱいで、いい席が取れなかった。ちゃんと見られるだろうかと、
母娘は、しきりと心配げな会話と続けていた。
かかっている映画は、是枝裕和『そして父になる』。
カンヌ効果なのか、福山効果なのだろうか。
是枝監督の作品は、『歩いても、歩いても』以降は劇場で観ているが、
こんなに混んでいたことはなかった。
公開すぐということも影響しているのかもしれない。
やはり、もっと落ち着いてから観るようにしようと反省した。
映画の出来は、それなりではあるが、80点くらいかな。
 

映画が終わってから、出産を今月に控える娘のところに寄った。
ちょっと心配なことがあり、疲れているみたいだったので。
その帰り道、きれいな虹を見た。
すぐに、電話をして娘にベランダに行くように話した。
まだ近くにいたので、4階のベランダからと、地上からきれいな虹を楽しんだ。
くっきりとしたきれいな虹だった。
このきれいな虹が幸運を運んできてくれるのだと信じたい。




足組む人

2013-09-28 | ひとりごと




先日、電車に乗ったときのことだ。
両隣に座った、サラリーマン風のスーツ姿の男と、
ジーパン姿の30代くらいの男が、同時に足を組んだ。
それが、どこぞのダンシングチームの振りみたいに、
みごとなタイミングで、右足が上がり、
スーッと左に動いて、左足の上に足は組まれた。
あまりの息の合い具合に、ふと笑ってしまった。


だいじょーぶ

2010-01-23 | ひとりごと
孫娘が発する「だいじょーぶ」という言葉が好きだ。
たとえばこうだ。
彼女に請われ、絵を書いてやることがよくある。
なにを書いてかにを書いてと言われ書いてはみるのだが、
それがうまくいくこともあれば、ぜんぜん違ったものになることもある。
うまくいけばどうだとばかり得意満面なのだが、
うまくいかなかったときに、
「だめだなー。なんかへんだよね」と言うと、
「ヘンくない。だいじょーぶ」と言ってくれるのだ。
彼女のかわいい声で、ちょっとだどたどしい言い回しで、
「だいじょーぶ」と言われると、いろんなことが大丈夫なような気がしてくるのだ。



磁場 銀座一丁目

2009-01-24 | ひとりごと
今なぜか銀座に引きつけられている。
情緒的に魅かれているというのではなく、何か見えざる力がわたしを銀座一丁目辺りに引っ張っていくのだ。
きっかけは、この前の日記に書いた森山大道の写真展だ。
その帰り、ケチなわたしは電車賃を一駅分倹約のため、東京駅まで歩くことにした。
ただでは起きないわたしはもちろん路上観察をやりながら、裏道へ裏道へと入り込んでいく。
するとやはりステキな建物があった。
   
周りは小綺麗なビルが建ち並んでいるのにこの古い建物。
でも、さすが銀座なのだろうか、この看板が実にステキだ。
漢字とアルファベットの書体の大きさバランスが、じつに絶妙だ。
なぜかそこだけが新しく塗り替えられたような枠の飾りもチャーミングだ。
その日は、銀座の裏道をまた歩きたいなという思いで終わった。

年が明け、職場で新年宴会をやろうという話が持ち上がった。
泊まりの勤務なので、昼間から飲もうということになった。
さっそく、ネットで「銀座 昼間から飲む」で検索すると、三州屋という店がヒットした。
所在地の地図を見ると、どうも年末に歩いた辺りのようだ。
幹事を買って出たわたしは、泊まり明けの日に下見に出かけることにした。
   
これまた、オシャレな建物の隙間にひっそりと、路地の奥、その店はあった。
店は実に魅力的だった。詳細は今回の趣旨とは異なるので省略。下記URL参照ということで。
http://r.tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13002473/

店の所在地を確かめてから、また路上観察を始めた。
先日、見つけた「河西歯科医院」はひとつ通りを違えたところにあった。
そのすぐ隣には、なんだか見覚えのあるような看板が目に飛び込んできた。

わたしは、散歩マニアであるのだが、方向音痴だし、土地勘がひどく悪い。
それに記憶力もすこぶる虚弱である。
ゆえに、人に連れられて行ったところなど、ほとんど覚えていない。
そんなわたしが、その看板がどうも昨年娘夫婦に連れられて行ったカレー屋のようだと感じとった。
そのときは、確証はなかったのだが、店名を娘に確かめ確認した。
春先に行ったと思っていたら、昨年行ったのが1/12で、下見で発見したのが1/7だ。

さらに、偶然は続く。
いつもは、職場で行われる健康診断が、人事課の手違いでわれわれの職場は忘れられていたようで、各自診療所に行くようにとの連絡が入った。
そうなのだ、その所在地が、住所は銀座二丁目ではあるが、やはり有楽橋の近くなのだ。

いやはや、何ともだ。
とはいえ、「だからどうした」といった類の話なのではある。

そこにもう一つ追い打ちをかけるように、福田和也の「東京の流儀」がわたしの銀座への興味をさらにかき立てることになる。
少し気にはなっていたのだが、福田和也は読んだことがなかった。
江藤淳の弟子を自認し、西部邁とも近しいということで、毛嫌いしていたということもある。
それが、三州屋下見の後立ち寄った八重洲ブックセンターで、タイトルに惹かれその本を手に取った。
目次を開くと、一章が「散歩酒、大好き」これは読むしかないだろう。
でも、買うほどの本ではないと思い、帰ってすぐに市図書館のHPで検索したら所蔵しおり、予約可能だった。
すぐにネットで予約を入れたら、次の日には手元に届いた。
いやはや、便利な世の中になったものだ。本屋はほとんどわたしのためのカタログ置き場だ。
さっそく読んでいくと、福田の銀座への熱い思いが伝わってくる。
蘊蓄たれに対する違和感の蘊蓄が、多少うざくはあるのだが、大枠同意できる。
彼によると、「都市」といのは「昼から酒が飲める」ということらしい。
いやはや、卓見である。

さてさて、長くなってしまった。
銀座は気取っているようでなかなか近づきがたかったが、遅ればせながらその魅力にどっぷりと浸ってみたいものだ。

銀座で大道

2008-12-27 | ひとりごと
    

12/25銀座の三愛ビルにあるRING CUBEで森山大道写真展「S'」を鑑賞してきた。
RING CUBEというのは、10月にできたばかりのRICOHのフォトギャラリーだ。
三愛ビルの丸い建物の特長を生かした展示がなかなかに印象的だった。
銀座という森山大道とはミスマッチな街のオシャレなギャラリーに、
彼の無機質でコントラストの強いモノクロームの映像が屹立していた。
いつものように、徹夜仕事明け、平日の朝から出かけていった。
11時の開場まで銀座散歩で時間をつぶし、いちばんのりで会場に入った。
誰もいない会場で、森山の大きな写真を体験できてひどく満足だった。
この写真展は28日までだが、1/7からは「銀座/DIGITAL」という次の展覧会が始まる。
これは、彼のデジタルカメラでの初めての展覧会とのこと、カラー写真というのも初めてのような気がする。
これも実に楽しみだ。

When I'm Sixty-Four

2008-12-10 | ひとりごと
先日、上野駅のBECK'Sで朝食を摂ったときの話。
通常は、泊まり勤務のときの朝食は、
会社の食堂で朝粥と決まっている。
その日は、朝からいろいろと忙しく、
めずらしく食堂に行くことができなかった。
9時少し過ぎに店に入ると、通勤ラッシュも過ぎ、
客もすこし落ち着いた感じだった。
店内には、オルゴールの曲が流れていた。
ビートルズやサイモンとガーファンクル、
竹内まりやの「元気をだして」など、耳慣れた曲ばかりだ。
ビートルズの'When I'm Sixty-Four'が流れてきた。
なかなか渋い選曲だと思って聞いていたら、
'When I sixtyfour'という女性の口ずさむ声が聞こえた。
こんな店で歌う人などいないだろうから、
この曲にだけVOICEが入っているのだろうかと思った。
店の中を見回したが、男も女も勤め人風で、
こんなところで歌い出すような感じの人はいない。
次のリフがはじまったときも、また♪When I'm Sixty-Fourという声が聞こえた。
他の歌詞は覚えていないらしくそこだけを口ずさんでいた。
なかなか見つからなかったが、窓際に座った厚いオーバーコートを羽織った、
30代半ばくらいの女性がどうもそうのようだった。
わたしも若いころに好きな曲だったので、
いくらか憶えている歌詞が長かったので、
わたしは声に出すことはできなかったが、一緒に口ずさんでいた。

このときに食べたモーニングプレートは、
安くてそれなりに満足のいく内容だった。
390円でスクランブルエッグ、ベーコン、パン、レタス、
それに飲み物、なかなかの充実だ。
昨日、妻が朝早く駅で人と会う約束があり、
待ち合わせ場所がBECK'Sだったみたいで、
彼女もこの朝食を食べたらしい。
事前に話をしていたわけではないのだが、
彼女もひどく気に入ったみたいだった。



秋深し

2008-12-06 | ひとりごと

11月の末に妻と二人で母の所へ行ってきた。
老人ホームへ行くときは、いつも裏の畑のほうから入っていく。
その日は5人ほどの工事関係者が、裏口の近くのちいさな空き地にいた。
気にも留めず歩いていくと、一人の人から
「木が倒れますから、気をつけてください」と声をかけられた。
空き地を見ると、大きな杉の木をチェーンソウで切っていた。
その木の倒れる方向を誘導するために、車からワイヤーで引っ張られていて、
わたしたちの数メートル先の道路をそのワイヤーが横切っていたのだ。
すぐに倒れるとのことだったので、立ち止まって事の成り行きを見守ることにした。
ほどなく、杉の木は軋みとともに倒れはじめた。
しかし、隣にあったほかの木にもたれかかリうまく倒れてこなかった。
ワイヤーが取り去られるのには時間がかかりそうだったので、
空き地を大回りして先へ進み施設へと向かった。

その日は、数日前に施設の担当者の方から連絡があり、承諾書にサインをすることになっていた。
最近は、体調が以前ほどは思わしくなく、入浴中に吐いたり、下血があったりするとのことで、
母のもしもの場合の処置についての確認を求められた。
最期は家で看取るか、延命の措置は行うのかなどの内容だ。
延命の措置は必要ないこと、最期まで施設でよろしくお願いしますとのことを伝えた。
その日の母は、ときどき目を開けてはいたがまどろんでいた。
看護の担当の方がこのところの状態を説明してくれた。
下血のことがあったので、発熱はあるのかと聞いてみた。
「ちょっとあったのですが、今は平熱に戻っていますよ」
といいながら、母の首元に手をあてた。
母は、少し顔を顰めちいさな唸り声を上げた。
わたしも、首元に触れてみたが、いつもと同じ冷たい感じの皮膚だった。
説明を終り担当者の方は仕事に戻っていった。
母が目を開ているときに、
「12月に入ったら、久しぶりに長崎に行ってくるよ。
オヤジの墓参りもしてくるけんね」と話しかけた。

帰りに先ほどの空き地を通ったら、木は倒れていて人影もなくなっていた。