日日火水木土土

「月月火水木金金」ではない
怠け者の絵日記、photo日記。

誕生日プレゼントⅡ

2005-11-30 | ひとりごと


<承前>
カマンベール、青カビ、ハードタイプの3種類のチーズと、赤白のワイン。
これに大好きなパン屋のバケットがあれば、至福のときがやってくる。
パン好きの娘の趣味が強く出た、私の好みを的確についたプレゼントだ。
彼女の時間はゆっくりと流れている。
幼稚園の授業参観のときのことだ。
授業が終わり、担任の保母さんが、
「さあ、お帰りの仕度をしましょう」
と声をかけると、みんないっせいに教室の後ろの棚に殺到し、
バックを取ると自分の席に戻っていった。
みんなが席についたころに、ゆっくりと席に戻る娘。
このときの娘の姿が、すごく愛らしかったことを思い出す。
彼女はすこし変わっているかもしれないが、
ステキなお姉さんになったように思う。

なんだか、照れてしまった。
<この項了>ほらね、miyuさん、終わりにはこう表記するのだからね。

四捨五入すると還暦

2005-11-29 | ひとりごと
11月23日に55歳になった。
glennさんのブログでその日のことはふれられている。
お祝いの言葉をいただいた皆さんには、感謝です。

いつの間にかこんな年になってしまった。
Don't treast over 30.ジョン・レノンは言った。
そんな年は、もうとっくに過ぎ去ってしまったが、
信用するなといわれるほどの安定は得ていない。
「四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順随う」と論語にはふれられている。
十分に自分の身の丈は知っているつもりだが、
高度化した近代社会は、自分の枠をもっと超えろと要求してくる。
「七十にして心の欲する所に従えども、矩をこえず」
矩をこえようとは思わないのに、夢は果てしなく続く、可能性は無限だなどとあおりまくる。
平均寿命がこれだけ延びているのだから、これくらいの年ではのんびりしてはいられないということなのだろう。


ところで、先週末遅れてきた誕生日プレゼントが届いた。
妻と息子夫婦の共同の贈り物だ。
ずっと以前からほしかった万年筆、モンブランの149だ。
いやはや、まいった。
「プレゼントは忘れたころにやってくる」けだし名言だ。
(こんなことわざは、ないか)
万年筆をまちがえていたらしくて、二日遅れになったらしい。
息子たちからは、中古カメラの本をもらっていたし、妻の誕生日にはフジロックに出かけて家にいなかったし、プレゼントも渡していなかったので「プレゼントなどない」と言われて納得していた。
期待していないだろうから、クリスマス・プレゼントにシフトしようとの意見もあったらしいのだが、息子が早く渡したくてしょうがなかったらしい。
いやはや、もう感激だ。


家族のみんなにいろいろなものをもらった。
もちろん、物をもらうのはうれしいに決まっているが、みんなの私に対するやさしい気持ちがなんといってもうれしい。こんな、だめオヤジなのに……。

変~~身

2005-11-19 | ひとりごと

わが家にある変身グッズ。
お面は『マルコビッチの穴』公開時のプレミア物。
息子が映画館でゲットして来てくれた。
レクター博士の拘束マスクは、娘のBFが何年か前、
クリスマスにプレゼントしてくれたもの。
髪の毛は小人が夜中に染めたもの。
いや、なかなかすごいものがある。

人格無視、人格拒否

2005-11-14 | ひとりごと

公衆便所の手を差し出すと、自動的に水の出る水道で、
手に反応しないで水が出ないときや、
銀行のATM器のタッチパネルが指でふれても反応しないとき、
人格を無視されたような、さらには拒否されたみたいな、
ひどく悲しい気分になってくる。
人にそのような態度をとられたとしても、
「馬鹿は相手にしない」とか、
「お前とは品格がちがうんだよ」で
すますことができるのだが……。
操作方法が分からないということで、
ちょっと事情はちがうかもしれないが、
電車の券売機の前で悲しそうな顔をしたおばーさんや、
いらだっているジーさんも同じような気持ちなのかもしれない。

アルコールバトン

2005-10-30 | ひとりごと
遅ればせながら、しんみこさんからの「アルコールバトン」を受け取らせてもらった。
すぐに書こうと思ったのだが、ちょびままさん―しんみこさんと回ってきたバトンを、私のようなジジイが受け取っていいのかと思ったのと、私の次には絶対に繋がらないと思い躊躇していた。
それが今回、しんみこさんの「特派員報告」のお礼ということもあり、バトンを受け取らせてもらうことにした。
では、さっそくスタート。

1 あなたの好きなお酒はなぁに...?

日本人だからなのか日本酒がいちばん好きだ。
年とともにその傾向が強くなった。
マティニーとマルガリータは装飾されているが、
飲み物としてうまい飲み物だと思う。
そのベースとなる、ジン、テキーラ、そのほか乙類の焼酎などの臭さがステキだ。
ワインは安いスーパーワインしか飲んだことがないので、
本当はよく分からないが、料理にあわせて楽しんでいる。
料理といえば、中華の紹興酒もうまい。
紹興酒は横浜ベイスターズ優勝の味がする。
ロンドンのパブで飲んだ、ぬくまったようなビール、ビターの味も忘れがたい。
冷えすぎのビールは味を損なうと気取っていた。
しかし、オアシスのリアム・ギャラガーが日本のキーンと冷えたビールの味を知ってからは、
母国のぬるいビールを「こんなビール飲めるか」と怒ったという話を聞いて、
素直に冷え過ぎのビールも認めるようにした。

2 酔っ払うとどうなってしまうの...?

饒舌になる。
やたらと書生臭い論理を展開したがる。
「朝まで生テレビ」(あさなま)めいた空間を作ってしまう。

3 一晩で呑んだ量と費やした最高金額は...?

最高金額は会社の接待で行ったときに記録しているのだろうが、私の関知するところではないので詳細は不明。
量についても、外だとよく分からないし、複数で飲んでいるとどれくらい飲んだのかも分からない。
基本的には、そんなに量は飲めない。

4 呑んだくれて良かったなぁ~と思うことは?

5年ほど前、約2年間ほど禁酒していたことがある。
体調を壊してからだった。しかし、別に医者に禁酒をするように言われたわけではない。
言われているといえば、C型肝炎があるので「決して酒は勧められない」と言ったニュアンスで言われている。
禁酒によって、定期的に行っている血液検査で、一つの項目はすこしだけ数値的によくなったし、飲んだ翌日の重い内臓や、うつな気分や、だるい体の感じはもちろんなく、健康な日々ではあったが、なんだかつまらないのだ。
美味しいものを食べるにしろ、酒を飲みながらゆっくりと食べたほうが楽しい。
そのときに、「健康はつまんない」「健康は精神衛生上よろしくない」という結論に達した。
それで、飲んだくれてよかったと思うことは、現実の桎梏から逃れ、自由な想念の飛翔を楽しむことができることだ。

5 お酒の席での失敗談ある?
お酒の席の失敗談はあまり思いつかない。
「朝生(あさなま)」風の議論になり、上司と険悪な雰囲気になったこともあるが、それは失敗とは感じていない。
酒席のあとはいろいろとあるような気がする。
電車を乗り越して、1時間ほどかけて車で迎えに来てもらったり、
途中駅まで迎えを頼み、寝過ごしてしまい、長時間待たせてしまいたどり着いたとき、車のキーをぶつけられたりなどなどだ。
そのほかには、どうも私は家族がいっしょのときになぜか泥酔するみたいで、昔も今も親戚関係と飲むことになるとヘロヘロになってしまう。
いまも、息子や娘の同伴者のご両親と飲むといつも最後のほうは記憶が飛んでいる。
そのようなシチュエーションで、一度たいへんなことがあった。
ある年の正月、妻の実家にお年賀に行き、そのときもしこたま飲んだようだ。
うちに帰るまでの1時間ほどの道のり、小さかった子どもをつれて、よほど恥ずかしい思いをしたようで、妻はそのあと1か月間、口をきいてくれなかった。
しかし、往来で裸踊りをしたわけでもなく、人に絡んだわけでもないし、大衆の面前で立ち小便をしたわけでもない。
大通りの真ん中を千鳥足で歩いたり、電車が止まるたびに顔を出し、唾を吐いたりしたらしい。
それだって、通りを歩いたときは、ちゃんと車の来ないことは確認していたし、唾を吐いたのは、すこし気持ちが悪くなっていたせいであり、車内では迷惑だと思ってのことだ。
妻の親戚や家族と正月の楽しいひと時を過ごし、すこし飲みすぎたからといって、機嫌を損ねた妻の気持ちがよく理解できなかった。

6 次にバトンを回す呑んだくれさん二人
ほんど訪れる人のいないブログなので、期待はできない。
どなたか、引き受けていただけますように。


ミルクティー

2005-10-25 | ひとりごと

わが家も紅茶の消費量が激減した。
紅茶好きの娘がいなくなったせいだ。
新しいアパートに移った当座はさほど感じなかったが、
このような些細な日常の変化をみると、
娘がほんとうに他の家に行ってしまったことを実感する。

牛乳をカップに先にたっぷり入れ、
あっつーい紅茶を注ぎミルクの香りがたった、
真っ白なミルクティーが好きだ。

携帯PHOTOの実験

2005-10-13 | ひとりごと

大きいサイズで撮った写真の実験。

急に寒くなってしまった。
しかし、10月も半ばになるのだから、
こんなものなのだろう。
21世紀になってから、
5年目の年も、残すところあとわずか。
21世紀は重たく過酷だ。

ナンバー ナイン、ナンバー ナイン、

2005-10-08 | ひとりごと

このところ、新しい電車であるつくばエクスプレスに乗る機会が多い。
できる前までは、料金が高いと聞いていたし、
あまり使わないだろうと思っていた。
しかし、開通してみるとこれまでと経路は、ちょっとしか違わないのだが、
新しい車両が気持ちいいのと、比較的空いているので利用する機会が多い。
昨日も、新宿に用があり出かけその帰りに利用した。
最近の電車は、駅の表示が英語、ハングル文字、中国語だったり、
車内のアナウンスが英語だったりと国際化の雰囲気を味わうことができる。
つくばエクスプレスは、駅に番号がつけられており、
英語のアナウンスではその番号も読まれる。
外国に旅行に行ったときのことを考えると、
駅名を番号でアナウンスしてくれると
たしかに便利だろうなと思った。

そこで、ここからが本題だが「09三郷中央」の英語アナウンスだと、
「ナンバー ナイン ミサトチュウオウ」と
カタカナではなく、しっかりとした英語で放送される。
その「ナンバー ナイン」の発音を聞くたびに、
Beatles の「Revolution 9」の音声が思い出されるのだ。
通称、White Albumと呼ばれている、2枚組みの大作アルバムでは、
毎回飛ばされて、ほとんどまともに聞いたことのない曲のことが。

写真は、私の最寄り駅の駅前。

一杯のカップ麺

2005-10-04 | ひとりごと
わが家には犯してはならない不文律がある。
「めん類はかみ切ってはならない」
これは、食事の作法などという教養・礼儀の問題ではなく、
わが家におけるある特殊な事情によってもたらされたものだ。
それは、「カップ麺のじゃんけん食い」という風習によるものだ。
カップ麺、あの体に悪そうな下卑た味が無性に恋しくなることがある。
そんなとき、わが家では子どもたちが小さいころ、
カップ麺を一つだけ作って、ゲームの要素を加えて、
「じゃんけん食い」なるものが行われていた。
ルールはいたって簡単、じゃんけんをして勝ったものが一箸食べるというもの。
そのときに、麺をかみ切ると最後のほうになってくると、
ぼろぼろに短くなってしまい、食べにくくてしょうがない。
そのために、生まれたルールが「かみ切るな」ということになる。
しかし、これがなかなか慣れないとむずかしい。
めん類は長いという基本認識を忘れてしまうと、
なにげなくつかんだ一箸が、意外と下のほうに繋がっていて、
口に入りきらなくなり、だらしなく口からはみ出したぶんをかみ切ることになる。
そこでの解決策は、通常の箸さばきよりも少なめにつかむことだ。
ちょっと少なめにつかむことで、ちょうどいい分量が口に運ばれることになる。
美しいめん類の食べ方の習得だけにとどまらず、
他人に対する思いやりの心も育まれることになる。
じゃんけんで勝ったものが食べるのではあるが、
やはり、みんなが食べられるように少しずつ取るようになるのだ。
いちばん容赦のない食い方となじられ続けたのは、
情けないことではあるが、一家の主人たる父親だった。
このような「一杯のカップめん」が成立する誘因としては、
家が貧乏だったことと、みんなが小食だったことも忘れてはならない。

このようなわが家の伝統は、「じゃんけん食い」だけにとどまらず、
外食に行っても、すべからく一つの皿をみんなでつつく傾向にある。


新装開店

2005-09-11 | ひとりごと
getstone 「遠のく風景」から、
[ひとりごと][さりげない風景][植物][food]などの
雑感、身辺雑記めいた内容を、分離することにした。
写真が、すぐにいっぱいになることが原因の主たるもの。
有意義な事柄を取り上げている訳でもないし、
たいした意見でもないので、写真でもないとしまらない。

また、glennさんのイラストが好評をはくしていて、
わたしも挑戦してみたいと思ったこともその理由の一つだ。