聖書と共に

祈祷の生涯(2)

私にとって祈りは課題です。祈りは、簡単そう
ですが奥が深い。今日は祈祷の生涯(佐藤雅
著)からご紹介します。

聖霊の満たしの中に、ただイエスの御名を唱え
るだけでも、いかに我々の喜びとなる事であろ
うか。イエスの御名によって祈る祈りの、いか
に信仰的な事か。
祈祷の真の結末はイエスの名による祈祷と、
聖霊の働きの合作である。

さらにイエスの御名は天の父の前に、いかに力
あることか。(ヨハネ15ー16) 天の父が父であ
るがために子なるイエスの御名が尊いのである。愛子であるが故に御名が格別に香ばしく、父の
前にあるのである。

子の御名によって祈るが故に、我らの祈祷は
父の前にイエスの祈祷として届くのである。
我らの祈祷を、本質的に価値づけて父の前に
価値あらしめるのがイエスの御名である。

げに、イエスの御名は天の父の心を、我らが如
き者の祈祷に傾けしめるに足る聖き御名である

祈祷の答えの権限は父なる神に属している。
我らの祈祷の答えはキリストによって承認され
た、父なる神の御心の発動に起因している。

地上で唯一、父の心を動かせるもの、それは
イエスの御名である。祈祷の答えは、我々に対
する父の愛の故であると共に、イエスに対する
御名の故である。

初歩的な祈祷においては、その答えを得た時、
自らが祈った為だと考えている。
更に祈祷の本質に触れてくると「御名の故に」
との事実を見い出し、ここに「ふつつかな僕」
の発見をするに至る。

かくして、その全栄光を主の御名に帰するに至
る。かような業は、まことに主の僕の業に相応
しいものと言えるであろう。



名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る