石ころ

日曜日はイエス様のお話を聞く 11.19

「終末の預言」という題でルカ21章7から36節までを通して語ってくださった。
私にとって、特に心に残ったことはやはり聖書の読み方。


「あなたがたの見ているこれらの物について言えば、石がくずされずに積まれたまま残ることのない日がやって来ます。」ルカ21:6
彼らは、イエスに質問して言った。「先生。それでは、これらのことは、いつ起こるのでしょう。これらのことが起こるときは、どんな前兆があるのでしょう。」21:7

イエス様の「これらの物について言えば」と言う言葉を、弟子は注意深く聞いていて、「それでは、これらのことは」と質問しており、神殿が崩されると言うことだけではない、他にももっと大きな出来事があることを現していること。それを弟子達はちゃんと聴き取っていたから、イエス様の十字架と復活ということと結びつけて理解することが出来た。


このことを知って、私は弟子達が、イエス様の十字架と復活でどうして、神殿のお話が理解できたのだろうと思った居た疑問が解けた。私の聖書の読み方がいい加減であったということ。何時も言われる「ちゃんと読めば書いてある」を今日も教わる。

この当時を生きていた弟子達には、イエス様は型破りで、罪人を受け入れたり、安息日に癒しを行ったり、律法を破っているようにさえ見えることをされた。なんの権利もないのに神殿の商売を妨害された。弟子達には、イエス様のそんな言動に自分を従わせながら、みことばを注意深く聴き取ると言う訓練がされて行った。

聖書を読む姿勢を教えられ、訓練を受けて行くことの大切さ、みことばに自分を従わせながら、注意深く読みとり、注意深く聴くことがどれほど大切であるかと思った。そうしないとイエス様を正しく知ることは出来ない。

すべてがアメリカによる支配の中にあって、今、多くのあやまった情報があふれる。それらを丸飲みすることなく、聖書にちゃんと照らして吟味すること。聖書は終末だから特別にこうしなさい、とは言っていない。この時代の混沌と閉塞を受け入れつつ、落ち着いて普通の生活をし、十字架にかかられた方を示し、主の助けの中で導かれる時、悔い改めをお伝えするそんな生活を導かれた。


駅から家まで20分ほどの距離を歩いた。歩くにはちょうど良い気温。暗い道に落ち葉が積もっていて、カサカサと踏むたびに乾いた音を立てていた。月もなく暗い道だったけれど、心が明るかった。知らないことを教わり、疑問が解けてゆき、イエス様を知ることの望みは感謝に満ちて嬉しい。

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