石ころ

新しいエルサレムの約束(黙示録3章)

 

 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。(6)

 

黙示録にはこの言葉が繰り返されている。いのちに関わる大切なキリストの警告を、聞いて救われなさいと勧める愛のことば。今聞いて守る者の幸せとなり、新しいエルサレムへの備えとなる。

 

また、フィラデルフィヤにある教会の御使いに書き送れ。「聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、彼が開くとだれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない、その方がこう言われる。」(7)

 

キリストのことばによってのみ開かれる天の門は、キリストを愛して求める者に開かれ、求めない者には閉ざされている。

 

 黙示録はあまり読まれていないと聞いた。それは「御霊が・・言われること」ゆえにかもしれない。福音を伝えることが、人から教えられたことばに重きが置かれているのだろう。
御霊に聴いたことばを語るには信仰が必要であり、神が良い方であって、私たちを愛しておられるという信頼によってのみ、口にできる言葉だからである。

 

此処は「神がすぐに起こるべきことを示すため」とある個所であり、明日にも必要な備えであるなら、御霊の導きによって神の備えの言葉に「耳のある者」であるべきである。

 

 また、聞いたことばは丸のみにするのではなく、聞いた言葉は聖書によって確認し、反芻するように、祈りの中で主に直接聞き直すことは、キリストにある者の責任でもある。
それは、自分たちの明日のいのちの問題であり、また、同じ個所であっても、聖霊によって個人的に聴くためである。それぞれの賜物は違うからである。

 

あなたがたの場合は、キリストから受けたそそぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、──その教えは真理であって偽りではありません──また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。(1ヨハネ2:27)

 

聞き手がキリストにつながって聞くなら、語り手の荷は格段に軽くなり、もっと開かれた言葉を自由に語れるようになるだろう。ことばの不足分を負ってもらえるからである。
誰も神のことばの全部知ることはないが、みことばに関しては、関りのないキリスト者は存在しないからである。

 

成長してみことばを知ることの不足を補い合い、主を分かち合う中に在ってこそ、キリストを頭とする真の教会であり、聖所の柱のあるべきところである。

 

勝利を得る者を、わたしの神の聖所の柱としよう。彼はもはや決して外に出て行くことはない。わたしは彼の上にわたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、わたしの神のもとを出て天から下って来る新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを書きしるす。(12)

 

整えられて天から降りてくる新しいエルサレム。もはや決して外に出て行くことはない永遠の住まい。そこは、耳のある者がみことばに聴いてたどり着く神の都である。
 


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