石ころ

聖所で仕える資格(民数記18章)

 

そこで、主はアロンに言われた。「あなたと、あなたとともにいるあなたの子たちと、あなたの父の家の者たちは、聖所に関わる咎を負わなければならない。また、あなたと、あなたとともにいるあなたの子たちは、あなたがたの祭司職に関わる咎を負わなければならない。(1)

 

聖所での働きを委ねられることは、聖さを守る責任を負うことになる。それは一つ間違えると命を失う務めである。
神を恐れて、命じられたことを聴いたままに行う、それも家族と、その家にいるすべての者と共に、すべての時においてである。
神に選ばれるとはそういうことであった。

 

また、あなたの父祖の部族であるレビ部族の、あなたの身内の者たちも、あなたの近くに来させよ。彼らがあなたに連なり、あかしの天幕の前で、あなたと、あなたとともにいるあなたの子たちに仕えるためである。(2)

 

主に用いられる祝福は親族ぐるみであり、アロンに仕える聖所の働きは、レビ族の祝福である。そうして、アロンの働きの責任を彼らも共に負うのである。主の祝福を受ける者は、主に忠実である責任を負うのである。

 

彼らはあなたのための任務と、天幕全体の任務に当たる。しかし彼らは、聖なる用具と祭壇に近づいてはならない。彼らも、あなたがたも、死ぬことのないようにするためである。(3)

 

その務めは徹底的な従順と、命じられたことを正確に聴き取る耳が、命を守るのである。
旧約聖書を読む時、キリストの十字架のあがないが、どれほどに完全なものであるのかを身に染みて実感する。

 

イエス・キリストが十字架で、人の罪のあがないを完了されたとき、神と人を隔てていた聖所の幕が天から裂けた。
そうして今、キリストの血潮に罪を洗い清められた者として、神の御前に、ありのままの姿で出入りすることが赦されているのである。

 

何時でも責められることなく出入りして、心にあることを申し上げるお交わりを頂いたのである。自分の恥を忘れて、心のうちにあるままに、「アバ・父」と親しく呼ぶことが赦されている。

 

自他に責められている時も、御前に出入りして弁護してくださる方により頼み、聖霊の導きの中で御交わりの恵みを頂き、霊も魂も体も回復が与えられ続けるのである。
今、天に在るモーセはこの事実に、どれほど感激していることであろう。

 

彼らはあなたに連なり、天幕の奉仕のすべてに関わる、会見の天幕の任務に当たる。資格のない者があなたがたに近づいてはならない。(4)

 

今、主に在る者を聖別していてくださるのは聖霊である。その導きのみことばに素直に従うとき、自他のいのちが守られて行く。
主に聴いたみことばは救いの実を結び、時に聴いた人のうちに留まり、待ち受ける滅びの警告となる。

 

今、みことばを語り伝える資格は、キリストを信じるすべての人にある。その人のうちにキリストが居られるからである。

あなたがたは自分自身のことを、自分のうちにイエス・キリストがおられることを、自覚していないのですか。(Ⅱコリント13:5)

 

あなたがたは、聖所の任務と祭壇の任務を果たしなさい。そうすれば、イスラエルの子らに再びわたしの激しい怒りが下ることはない。(5)

 

みこころを行う時に求められることは、ただ、うちなるキリストからあふれ出る福音を、そのまま素直に語る従順である。主の賢さによって、それぞれに相応しく備えてくださるからである。

世の権力者、巨大なゴリアテに虫けらのような者が、主に在るだけで勝利することができる。すべての命は主のものだからである。

 

今ここに、わたしは、あなたがたの同族レビ人をイスラエルの子らの中から取り、会見の天幕の奉仕をするために主に献げられた者として、あなたがたへの贈り物とする。(6)

 

今、主がレビ人をあらためて選びだし、会見の天幕に仕える者としてアロンに賜ったのである。
主は、働きのためのすべての必要を満たしていてくださる。どのような敵と戦う時も、備えは主のうちに準備されてある。神の贈り物を、みこころを行う者は受け取るのである。

 

あなたと、あなたとともにいるあなたの子たちは、祭壇に関するすべてのことや、垂れ幕の内側のことについて自分の祭司職を守り、奉仕しなければならない。わたしはあなたがたの祭司職の奉仕を賜物として与える。資格なしにこれに近づく者は殺されなければならない。」(7)

 

神の聖さは汚れを決して受け入れず、神の義は不義を打たずにはおかない。
善悪の木の実を食べたアダムの血筋にある人間には、神の聖と義を弁えることが出来ずに死ぬ。

人の清さや正しさは、神の聖や義とは異質なものであり、その基準がコロコロと移り変わるものである。それゆえに、永遠に変わることのない神を悟ることはない。

 

キリストはご自身の命と引き換えに、助け主なる聖霊を信仰者のうちに住まわせて、神の聖と義をみことばを解いて教え、それを生きることを、霊、魂、体を助けて導いてくださっている。それが、神の子とされた者の聖であり義なのである。


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